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「理由なき反抗」と「原因を持たない反抗者」

 『理由なき反抗』とはニコラス・レイが監督を務め、ジェームズ・ディーンを主演に迎え1955年に公開された青春映画であるが、ところでそもそも邦題である「理由なき反抗」とはキャッチ―なタイトルであることは認めるものの正しい訳だろうか? 原題の「Rebel Without a Cause」を正確に訳すならば「原因を持たない反抗者」という意味になる。

 「原因(cause)」と「理由(reason)」の違いをサイト上に載っていた辞書に頼るとするならば「原因とは直接、効果や結果を生み出すものであることに対して、理由とは何故物事が起こったのか、あるいは誰が何故そうしたのかという説明である。(A 'cause' is something that directly produces an effect or result, while a 'reason' is an explanation for why something happened or why someone did something.)」と記されている。

 この定義をこの映画に適用するならば、原題と邦題とでは映画の観点が変わってしまうのではないかと思う。

 「理由なき反抗」であるならば、主人公のジム・スタークが母親のキャロルの言いなりになっている父親のフランクに対する態度、急に冷たくなったジュディの父親に対する態度、ジョン・“プラトン”・クロフォード(Platoはいわゆるギリシアの哲学者のプラトンを指す)の子犬の銃殺に焦点が向かう。どうしてそのようになったのか彼らの両親から具体的な説明がないからである。

 原題の「原因を持たない反抗者」であるならば、その焦点がジム・スタークと同級生の不良グループのボスであるバズ・ガンダーソンの関係に移ると思う。プラネタリウム鑑賞後のナイフによる小競り合いで、二人の間には仲間意識が芽生えたはずで、実際にバズはジムに捧げるとしてラジオ局に有名な懐かしのポップスのニューアレンジメントの曲をリクエストしていたからである。しかし他の仲間たちの手前、落とし前をつけなければならず「チキン・ラン」を決行するも、バズは脱出に失敗し崖から車ごと転落して死んでしまうのである。原因はないのに反抗し合うことでバズはジムと友人になることはできなかったのである。

 父親のフランクから「10年後に振り返れば分かる」と言われるものの、今が大切だと信じているジムはジュディを連れて空き家に身を隠す。そこにプラトンもやって来て、3人はいわゆる「家族ゲーム」を始めることで理想を体現しようとする。気をつかって遊び疲れて眠り込んでしまったプラトンの背中に自分の服を覆って眠らせておくのだが、そこに三人のバズの子分がやって来てプラトンを襲う。プラトンは持ってきていた銃を一人に発砲し、さらに何故自分を一人っきりにしたのかという理由でジムに向けても発砲する。プラネタリウムに隠れていたプラトンを何とか説得して三人で警察に投降するつもりだったのだが、ジムがあらかじめ弾倉を抜いていた拳銃を持って逃げようとしたプラトンは警察に銃殺されてしまう。この時、ジムは父親の「10年後に振り返れば分かる」という言葉が身に染みたのではないだろうか。社会はジムが思っているほど単純にできてはいなかったからである。