石原慎太郎が亡くなったのは2022年2月1日で享年89歳だった。その後、石原の小説の文庫が次々と復刊されると思って待っていたものの、全くその様子がなく、2023年3月3日に88歳で亡くなった大江健三郎とはえらい違いだと思ったのだが、クオリティを考慮するならば致し方が無いのではあろう。
たまたま古書店で新潮文庫の『太陽の季節』を見つけたので、今更ながら購買して読んでみた。1955年7月号の『文學界』初出である本作の有名なシーンを引用してみる。
ところでウィキペディアによるならばこの有名なシーンに関して、武田泰淳の短篇『異形の者』にも同様の場面があって、当時問題にならなかったのかと思うのだが、石原が最初に応募した文學界新人賞の選評者の一人が武田本人であり、武田は『太陽の季節』の受賞に賛成の立場なので問題にしなかったのであろう。
しかしそれにしても『太陽の季節』の知名度と比較するならば、1950年4月に「展望」に掲載された『異形の者』の知名度はほぼゼロなので、改めて取り上げてみようと思う(『ひかりごけ』新潮文庫 1993.10.15)。
主人公の柳はたまたまある哲学者と愛に関して議論になり、自分は地獄に行くという哲学者に対して、主人公は人はみな極楽に行くと結論づけるのであるが、それは主人公の出自に起因する。
19歳の頃主人公は僧侶になるために本山に籠って修行することになったのだが、童貞ではあったが、行見舞の客も多く、差し入れの品物も絶えない大地主の坊ちゃん育ちの主人公は、捨て子同然で片足が悪い肥満で、主人公よりも5,6歳年長の穴山の目の敵にされている。例のシーンは主人公ではなく、穴山によってなされるのである。長くなるが引用してみる。
ここには石原が描写したような単純さが微塵もない。穴山の陰茎による「障子破り」は主人公(のみならず周囲にいた加行中の者全員)に性欲の発散だけでは治まらない複雑な感情をもたらしているのである。
ところで『太陽の季節』の有名な描写は明らかに間違っている。英子が投げた本が「見事、的」に当たったのであるならば、竜哉は強烈な痛みで悶絶するはずだからである。とても23歳の男性作家によって書かれたとは思えない。ここに小説家としての石原の限界が垣間見えるような気がするのだが、もはや小説というよりも映画のシナリオのような文体がウケたとも言えるだろう。