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【シナリオ】さよなら、クロール

制作意図

 パンデミックの時期に青春を送らざるを得なかった日本のティーンエージャーを描いたドラマが、一部のホラー映画を除くと皆無で(あるいは見逃しているのか?)、シリアスである必要はないものの、「悲喜劇」として一作ほどあってもいいのではないかと思いました。(因みにイメージは『宮脇咲良ファースト写真集 さくら』撮影:桑島智輝 集英社 2015年)

登場人物一覧表

早瀬來菜らな(十七歳)

森川楽々らら(二十七歳)
森川奈々(一歳)
「先生」(四十九歳)

中年男性A(六十歳)
中年男性B(六十歳)

スーパーの警備員(七十歳)
スーパーの店員(四十五歳)
女Gメン(五十歳)

広報車を運転する街の女性職員(三十歳)

公営プールの受付係の女性(三十歳)

あらすじ

 ニ〇二〇年の八月、いよいよ日本全国において新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた頃、主人公で都内の高校に通う早瀬來菜は父親の勧めもあって気分転換も兼ねて姉の森川楽々が住むある地方の田舎に赴く。楽々には産まれて一年くらい経つ奈々を育てているのだが、楽々の夫が出張するために何かと忙しくしており、楽々も助かるということもあった。
 しかし來菜は楽々を従姉妹だと思っていたのだが、実の姉であることを最近知ってそのことに対して文句を言うつもりでもいたのだが、それを面白がっている楽々に対して怒りが消えてしまった。
 当初は慣れない田舎暮らしでコロナウイルスのこともあり失敗することも多々あった來菜はだんだんと慣れていき、 楽々たちの身の周りの世話以外にすることがなかった來菜は、楽々の勧めで近所の公営プールに行った際に、「先生」と呼ぶことになる女性と出会い、泳ぎを教えてもらうことになる。
 最初は全く泳げなかった來菜がついに泳げるようになったのだが、泳げるようになった矢先に「先生」は姿を消してしまい、お礼を言えないまま東京に帰る日を迎える。
 実は來菜は父親が写真を一枚も持っていなかったために母親の顔を知らず、楽々の家にあった仏壇を拝むこともためらっていたのだが、最後に仏壇を開けて拝もうとしたら、そこに飾ってあった写真の顔は「先生」と同じ顔だった。
 驚いていると「開かずの間」から大きな音が聞こえて、見たいと思う來菜と見せたくない楽々が小競り合いになったのだが、扉が開くとそこは蝶が舞う草原が広がっていたのである。

本編

〇草原(昼・晴天)
   画面を横断している木の枝のアップ。
   その枝の上を左から右にゆっくりと横切っていく芋虫。
   背後でその様子を見つめていた早瀬來菜(十七歳)の顔。
   じっとりと汗が滲ませながら不思議そうに見つめている來菜。

〇田舎道(昼)
   画面中央に映し出される丘に向かう田舎道。
   その右側でかがみ込んで草むらの中を覗き込んで芋虫を見つめている  
   セーラー服姿の來菜。
   やがて來菜が丘の方を振り向く。

〇田舎道(昼)
   草原を背景とした画面の中に下から立ちあがった來菜の顔。
來菜「(疲れた感じで)まだか……」

〇田舎道(昼)
   再び丘に向かう田舎道。
   ゆっくり歩き出すカバンを持った來菜。
タイトル『さよなら、クロール』

〇一軒家の玄関(昼)
   森川楽々(二十七歳)が住む家の内側から映される玄関。
   そこへやって来た來菜の影。
來菜の声「(遠慮がちに)こんにちは……」
   誰も反応しない。
   引き戸を少し開き、顔を出す來菜。
來菜「(遠慮がちに)こんにちは……」
   誰も反応しない。
來菜「(思いっきり)こんにちは!」
   楽々の足音。
   画面の左隅に楽々の背中。
楽々「來菜ちゃん、久しぶり! 迎えに言ってあげられなくてごめんなさい 
 ね。ちょっと手がはなせなくて。でも、駅から一本道だったから道に迷う 
 ことはなかったでしょう?」
來菜「迷うことはなかったけれど、一時間かかるとは教えてもらってません 
 でした」
楽々「ごめん、ごめん。言うと来ないかもしれないと思ったから。さあ、中
 に入って」
   左にはける楽々。
   來菜が玄関の内に入って引き戸を閉めて靴を脱ごうとした瞬間、画面 
   の右側から、階段から人が転げ落ちるような大きな音。
   驚いて左側を向く來菜。
來菜「何か落ちたみたいだけど……」
   玄関に上がって音がした右側に向かおうとする來菜。
楽々の声「大丈夫だから。こっちに来て。何が飲みたい?」
來菜「スポーツドリンクがあったら飲みたいです」
   不審がりながらもそのまま左側に行く來菜。

〇居間
   廊下を通って居間に現れる來菜。
   台所から持ってきたペットボトルとともに、座布団を差し出す楽々。
楽々「どうぞ。座って」
來菜「……どうも」
   來菜が座るとテーブルを挟んで対面する二人。
楽々「本当に久しぶりだね。元気に過ごしてた?」
來菜「いただきます……」
   ペットボトルの蓋をあけて黙って飲む來菜。
楽々「今日は天気が良かったから一時間も歩くと喉が渇くよね」
   ゴクゴクと飲み続ける來菜。
楽々「最近、本当に暑いよね」
   ペットボトルを乱暴にテーブルに置く來菜。
來菜「おねえちゃんって、本当のおねえちゃんだったんだね」
楽々「えっ? ずっと本当のおねえちゃんでしょう?」
來菜「そういう意味じゃなくて、親戚のおねえちゃんだと思っていたのに、
 本当のおねえちゃんだったじゃない!」
楽々「あぁ、逆にね」
來菜「何の逆なの?」
楽々「あぁ、逆でもないか……」
來菜「私は真面目に話してるの!」
楽々「ごめん、ごめん。黙ってて申しわけない!」
   手を合わせて笑顔で謝るポーズをする楽々。
來菜「別におねえちゃんが悪いわけじゃないけど……」
楽々「いつ教えてもらったの?」
來菜「中学を卒業した直後の三月」
楽々「それで高校生になってから元気がなくなって、父親が私に電話をかて 
 きたんだね。夏休みになってもずっと家にいるから何とかしてくれって頼
 まれたから、うちに寄こせばってアドバイスしてあげたのよ。いつ言おう
 か父親も散々迷っただろうから許してあげて。そもそも原因を作ったのは
 私だから」
來菜「おねえちゃんが? どうして?」
楽々「おとうさんがおかあさんと別れたのは來菜ちゃんが一歳くらいで、私
 が中学生になったばかりだったけれど、私はおかあさんと一緒にいたいと
 駄々をこねたから、私はおかあさんと一緒に暮らすことになって、代わり
 に來菜ちゃんがおとうさんと一緒に暮らすことになったのよ」
來菜「そうなの?」
楽々「その後に、いつの間にかおとうさんが再婚していて、來菜ちゃんは疑
 うことなく新しいおかあさんを本当のおかあさんとして育ったのよね」
來菜「離婚したのはおとうさんの浮気が原因なの?」
楽々「そこは私もよく分からないのよ。タイミング的には疑われても仕方が
 ないけれど、離婚した直後に、私たちのおかあさんが病気で亡くなってし
 まって、お葬式の時に、おとうさんが号泣しながら自分を責めていたか
 ら、結局、私は両親共に何も訊けてないから。だから來菜ちゃんからなに
 げなく訊いてみてよ」
來菜「無理、無理! 絶対に無理! 今でも2人との関係がぎこちなくなっ
 ているのに、さらにこじらせたくないもん」
楽々「そりゃそうだよね。來菜ちゃんと私が再会したのが、おかあさんの代
 わりに私を育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんが亡くなった時だか
 ら、來菜ちゃんがまだ小学生と中学生の時で、おとうさんがまだ本当のこ
 とを來菜ちゃんに伝えていないからということで私は親戚のおねえさんと
 いうていで再会したということなのよね。去年の私の結婚式の時に
 も会ったけれど、おとうさんがまだ言っていないって言うから……本当に
 申し訳ない」
   再び手を合わせて謝るポーズをする楽々。
來菜「別にいいけど。おねえちゃんが本当のおねえちゃんだった訳だ
 し……」
楽々「來菜ちゃんは優しいから私も良い妹を持って幸せだわ。もう一本ある
 わよ?」
來菜「あ、はい。ありがとうございます」
   立ち上がって台所に向かう楽々。
來菜「今日は旦那さんはお仕事なの?」
   ペットボトルを持ったまま居間に戻ってくる楽々。
楽々「それが、聞いてよ、來菜ちゃん! 育休取ったからって自慢気に語っ 
 てから期待してたのに、まぁ使えない使えない。それじゃあ育休じゃなく
 てただの有給だろうって言って仕事復帰させたわけよ。そしたらいきなり
 出張してしまって。彼の両親がヘルプで来てくれてたけれど、やっぱり疲
 れるみたいで帰ってしまったところに、丁度おとうさんから電話が来たか
 ら、すぐに來菜ちゃんに来てもらったわけなのよ」
   楽々の話を聞きながらスポーツドリンクを飲み終える來菜。
來菜「私がどれくらい貢献できるか心もとないけれど……」
楽々「いてくれるだけで心強いから大丈夫、大丈夫。それにしても新型コロ
 ナウイルスは大変なことになってるよね」
來菜「ここに来る時にも結構大変なことがあったよ」

〇(回想)都内某所(朝)
   高架橋から映される、高架橋に向かって走って来る通勤電車。

〇(回想)同電車内(朝)
   満員の車内の中央で人混みに翻弄されている、マスクをした來菜の渋
   い顔のアップ。
   全員マスクをしているが、車内の左側でマスクをしておらず人混みに
   翻弄されている中年男性A(六十歳)。
   車内の右側にもマスクをしておらず人混みに翻弄されている中年男性
   B(六十歳)。
   乗客と押し合いへし合いしながら、來菜がいる中央に徐々に移動して
   くる中年男性A。
   乗客と押し合いへし合いしながら、來菜がいる中央に徐々に移動して
   くる中年男性B。
   來菜の目の前で、顔を合わせる体勢になる中年男性Aと中年男性B。
   電車が大きく揺れた拍子に、中年男性Aの足を踏む中年男性B。
中年男性A「(激怒して)痛い! おまえ俺の足を踏んだろう!」
   中年男性Aの唾が中年男性Bの顔にかかる。
中年男性B「(激怒して)おまえ、マスクもしないで喋りかけてくるな
 よ!」
   中年男性Bの唾がかかる中年男性Aの顔。
中年男性A「おまえこそ、マスクもしないで俺に喋りかけてくるなよ!」
   中年男性Aの唾がかかる中年男性Bの顔。
中年男性B「(意図して唾をかけるように発話しながら)バカやろう! こ
 っちはマスクが欲しくてもどこにも売ってないんだよ!」
   中年男性Bの唾がかかる中年男性Aの顔。
中年男性A「(意図して唾をかけるように発話しながら)バカやろう! こ
 っちだってあっちこっち探しまわってもどこにもマスクは売ってなかった
 んだよ、このバカやろう!」
   中年男性Aの唾がかかる中年男性Bの顔。
   AとBの様子を恐る恐る伺う來菜の顔のアップ。
   急に電車がブレーキをかけたためについてしまう中年男性Bの口と中
   年男性Aの口。
   慌てて口を離して口を拭う中年男性B。
中年男性A「(驚いて)おい、おまえ何してくれてんだ!」
中年男性B「(困惑しながら)バカやろう! 電車が急にブレーキをかけた
 からじゃないか! 俺が好きでやるわけがないだろうが!」
   電車が急にスピードを上げたためについてしまう中年男性Aの口が中
   年男性Bの口。
   慌てて口を離して口を拭う中年男性A。
中年男性B「(驚いて)おまえ、何だよその仕返しは!」
中年男性A「(困惑しながら)バカやろう! 仕返しするとしてもこんな仕
 返し選ぶわけねえだろうが!」

〇(回想)都内某所(朝)
   高架橋から映される、くぐった高架橋から走って遠ざかっていく通勤
   電車。

〇(戻って)居間(昼)
   來菜の顔のアップ。
來菜「……てね」
楽々「泥沼だね」
   居間へ這い這いしてくる奈々(一歳)。
來菜「わっ! 奈々ちゃんだ。初めまして」
   來菜が近寄って抱こうとする前に奈々を抱き起こす楽々。
楽々「目が覚めてしまったのかな?」
   奈々をあやしながら來菜を見つめる楽々。
來菜「(不審がりながら)えっ?……どういうこと?」
楽々「おとうさんが、ずっと家に引きこもっているって言うからあなたを呼
 んだのよ」
來菜「いやいやいや、私は大丈夫よ。ちゃんとマスクもしてきたし……」
楽々「念には念を入れないと。大事な時期だからね。奈々ちゃん、來菜おね
 えちゃんが来てくれたよ」
來菜「こんにちは」
   奈々の手を握ろうとする來菜。
楽々「さあ、もう少しおねんねしようか」
   來菜の手を絶妙にすり抜けて別室へと行ってしまう楽々。
來菜「(ひとり言のように)私だって大事な時期なのに……。(大声で楽々の方に向けて)私だって大事な時期だからね!」

〇一軒家(晩)
   外から映される明かりがついている居間。
   夕食の準備をしている來菜と楽々。

〇居間(晩)
   料理が並んでいる目の前のテーブルを囲んで食事をしようとしている
   來菜と楽々。
楽々「來菜ちゃんに駅前で買ってきてもらったものばかりで申し訳ないんだ
 けれど、このポテトサラダは母親直伝だから食べてみてよ」
   ポテトサラダを小皿に分けて來菜に差し出す楽々。
來菜「そうなんだ……」
   楽々から小皿を受け取ると、箸でポテトサラダをつまんで口にほおば
   る來菜。
楽々「どう?」
來菜「うん、おいしい」
   再びポテトサラダを箸でつまんで口に入れる來菜。
楽々「そうでしょう? おいしいでしょう? おかあさんが最初におとうさ
 んにこのポテトサラダを作って出したら、おとうさん、何て言ったと思
 う?」
來菜「おいしいって言わなかったの?」
楽々「このポテトサラダ、どこで買ってきたんだって言ったんだって。失礼
 だけど、それだけおいしかったってことでもあるんだよね」
來菜「なかなか含蓄があるよね……」
楽々「含蓄があるのは私で、おとうさんはただ無神経でバカなだけだから」
來菜「そうだね。」
   再びポテトサラダを箸でつまんで口にいれる來菜。
來菜「おいしい」
楽々「おいしいよね」
   一緒にポテトサラダを食べ始める楽々。

〇一軒家(朝)
   外から映される玄関。
   玄関を開けて出て来る來菜。
來菜「それじゃ、行ってくるね」
楽々の声「気をつけてね。」
   玄関を閉めて玄関先にある自転車に近づき鍵を外して、自転車に乗っ
   て門を出て行く來菜。

〇坂道(朝)
   左側から右側に下る坂道を自転車に何の疑いもなく乗ってペダルを漕
   ぐことなく足を伸ばしながら下っていく來菜。
來菜「やっほー!」

〇居間(朝)
   台所で食事の支度のために野菜を切っているが急に手を止めて顔を上
   げる楽々。
楽々「あっ!!!」

〇坂道(朝)
   自転車に乗ったまま驚いている來菜の顔。
   何度もブレーキをかけるがブレーキがかからない來菜の手のアップ。
   止まらない自転車に乗って青ざめている來菜の顔。
來菜「どうしてブレーキが全然きかないの?」
   自転車に乗った來菜の背中。
   背中越しの行き止まりの正面には大量のゴミ袋が積まれたゴミの集積
   場所。
   來菜の顔のアップ。
來菜「ああああああああ!」
   來菜の自転車がゴミの集積場所に突っ込むと同時に、空中で一回転す
   る來菜。
   逆さまになって背中からゴミ袋の山に落ちる來菜。

スーパーの店頭(朝)
   自転車を押しながら現れる全身薄汚れた來菜。
   來菜を見て驚いて避けて訝しく見つめているスーパーの出入り口から
   出てきた客。
   自転車を店の自転車置場に置き、店の出入り口に向かう來菜。
   店に入ろうとする來菜を慌てて制止する、店頭に立っている高齢の警
   備員(七十歳)。
警備員「ちょっと待って!」
來菜「すいません……ちょっと汚れてますけれどすぐに終わりますから……」
警備員「いやいや、そういうことじゃなくて……」
來菜「本当にすぐに済みますから……」
   來菜の前に立ちふさがる警備員。
警備員「そうじゃないのよ、君。何か忘れてないかな?」
   少し思案する來菜。
來菜「ああ、すいませんでした。私は丘の上に住む森川楽々の妹の來菜です。以後、お見知りおきを」
   警備員に深々とお辞儀をして店に入ろうとする來菜。
   再び立ちふさがる警備員。
警備員「そういうことは別にいいんだよ。君はマスクは持っていないの?」
   はっとしてようやく気がつく來菜。
來菜「あっ、すいません。忘れてきました」
警備員「ダメだよ、店に入るのにマスクをつけないのは……」
   ポケットからマスクを取り出す警備員。
來菜「ありがとうございます」
   深々とお辞儀をして警備員が手にしているマスクを取ろうとする來
   菜。
   マスクを高く持ち上げて來菜にマスクを取らせない警備員。
警備員「いやいや、今どきマスクをタダで渡すことはありえないでしょ
 う?」
來菜「……それもそうですよね……おいくらですか?」
   ポケットから財布を取り出して中身を確認する來菜。
警備員「千円です」
   財布の中から警備員の方へ視線を移す來菜。
來菜「……いや、一枚で十分足りるんですけど……」
警備員「不満ですか? では千百円になります」
來菜「なんで値上がりするんですか?」
警備員「不満ですか? では……」
來菜「分かりました、買います、買います!」
   急いで財布から千円札と百円玉を取り出すと、警備員に渡してマスク
   をつかみ取り、すぐにマスクをつける來菜。
來菜「これはぼったくりですからね、断固お店に抗議してきますから!」
   警備員を押しのけてお店に入る來菜。

〇店内(朝)
   店に入ると品出しをしている中年の女性店員(四十五歳)に話しかけ
   る來菜。
來菜「すいませんけど!」
   來菜の方を向く店員。
店員「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」
來菜「今、店の前にいた警備の人に千百円でこのマスクを買わされたんです
 けど、ぼったくりだと思います!」
店員「警備の人ですか……」
來菜「ほら、あそこにいるでしょう!」
   來菜が入口の方を指さすがそこには誰もいない。
來菜「あれ?」

〇スーパーの店頭(朝)
   店の出入り口から出て左右を見渡す來菜。
   來菜のあとをゆっくりと追いかけてくる店員。
店員「あの、うちには警備員はいませんけれど……」
來菜「……ちきしょう……やられた!」
   訝し気に薄汚れている來菜を見ている店員。
來菜「……何かすいません……」

〇店内(朝)
   店のカゴをカートの乗せて買い物をしている來菜。
   自分を見ている視線を感じて、棚の反対側に目線を移す來菜。
   誰かが隠れる。
來菜「(独り言で)……何だろう……」

〇店内(朝)
   買い物を続けていると再び自分を見ている視線を感じる來菜。
   棚の反対側に目線を移す來菜。
   再び誰かが隠れる。
來菜「……おかしいな……」
   來菜の背後から声。
女Gメン「何が?」
   驚いて後ろを振り向く來菜。
   來菜の背後に立っているサングラスをした高齢の女性(五十歳)。
來菜「……さっきから私のことを見ていませんでした?」
女Gメン「見ていましたよ。見かけない女がいると思ってね。万引きしたら
 すぐにでもとっ捕まえてやろうと思ってね」
來菜「私、万引きなんかしませんよ。私は丘の上に住む森川楽々の妹なんで 
 すよ」
   來菜の全身をくまなく見る女Gメン。
女Gメン「楽々ちゃんのことはよく知っているよ。でも楽々ちゃんに妹がい
 るという話はきいたことがないけどねぇ……」
   來菜の顔に自分の顔を近づける女Gメン。
女Gメン「……何か臭うんだよね……」
來菜「それは色々諸事情があるんですよ……」
女Gメン「まぁ気を付けてくださいね」
   そう言い残して去って行く女Gメン。

〇坂道(朝)
   買い物袋をたくさん抱え自転車を押しながら坂道を登っていく來菜。
來菜「(息も絶え絶えに)この自転車は役に立っているのか?」

〇居間(昼)
   顔にハンカチをかけて大の字になって寝ている來菜。
   そこに奈々が這い這いしてくるが気がつかない來菜。
   画面からいなくなる奈々。
   その後に目覚め辺りを見回す來菜。

〇台所(昼)
   昼食を終えて、汚れた食器を洗っている來菜と楽々。
楽々「坂道の上り下りで完全に疲ちゃたのかな?」
來菜「いやいや、あれはマジで長すぎるよ」
楽々「でも、あれくらいだったらここの人たちには普通だから。部屋に引き 
 こもっていたから体力がなくなっちゃったんじゃないの?」
來菜「確かにそれは否めない」
楽々「近所に公営のプールがあるから行ってみれば?」
來菜「でも泳げないしなぁ……」
楽々「水の中を歩くだけでもいい運動になるらしいよ」
來菜「でも水着を持ってきていないし……」
楽々「私のがあるわよ」

〇田舎道(昼)
   鞄を片手に、もう一方に長い枝を小さく振り回しながらうつむいて歩 
   いている來菜。
   來菜の背後からゆっくりとした速度で近づいてくる街の広報車。
   広報車を運転しながら放送しているのは街の女性職員(三十歳)
広報車「迷い人のお知らせです」
   後ろを振り向くがすぐに元の体勢に戻り歩き続ける來菜。
広報車「昨日の午後八時頃から女子中学生の行方が分からなくなっていま 
 す」
   來菜の横をゆっくりと通り過ぎていく広報車。
広報車「えんじ色で横に白い線が入った上下のジャージを着ています。身長
 は百五十八センチ……」
來菜「(歩き続けながらひとり言のように)私と同じだ……」
   画面から消える広報車。
広報車「体重百キロ……」
  足を止めて顔を上げる來菜。
広報車「スリーサイズは上から百センチ、百センチ、百センチ……」
   周囲を見回す來菜。
広報車「お心当たりのある方は最寄りの警察署までお知らせください」
  前方にある広報車の方を見つめたままでいる來菜。

〇公営プール(昼)
   公営プールの無人の入り口から恐る恐る入っていく來菜。

〇公営プール内(昼)
   きれいな水が入ってるが誰もいないプール。
   ゆっくりとドアを開けてプール内に入ってくるスクール水着を着た來
   菜。
來菜「……どうして誰もいないの?」

〇公営プール内(昼)
   プールの縁に座り両足を水につけながら持って来ていた浮輪に口で空
   気を入れている來菜。

〇公営プール内(昼)
   側面から映されるプール。
   バタ足をしながら一番手前のレーンを右から左へ泳いでいく浮輪を腰
   につけた來菜。
   画面から消えた後、しばらくして一番遠くのレーンを左から右へバタ
   足をしながら泳いでいく浮輪をつけた來菜。

〇公営プール内(昼)
   プールの隅に設置してある階段を上がっていく浮輪をつけた來菜。
來菜「……疲れた……」

〇一軒家(夕方)
   玄関の引き戸を開ける來菜。
來菜「……ただいま……」
   驚きながら迎えに出る楽々。
楽々「もう帰ってきたの? やっぱり人が多かった?」
   玄関の引き戸を閉める來菜。
來菜「いや、誰もいなかったよ」
楽々「誰もいなかった? おかしいわね。今頃は混んでるはずなんだけ
 ど……あっ、やっぱりあのせいか!」
來菜「よくわかんない」

〇居間(夜)
   お風呂から上がったばかりの來菜の方に近づいてくる楽々。
楽々「明日もプールに行くんでしょう? これを持っていきなよ。必死なっ
 て探して見つけ出したから」
   向かい合っている來菜にあるものを渡す楽々。
來菜「これ?」
楽々「そうよ。どうせプールには誰もいないんでしょう?」
來菜「それはそうだけれど……」

〇居間の隣にある八畳一間の部屋(朝)
   部屋ではたきをかけている來菜。
   扉が閉まった仏壇を目にして手を止める來菜。
   はたきを置いて仏壇の扉の取っ手に手をかけて開けようとするが手を 
   止めてしまう來菜。
楽々の声「開けないの?」

〇八畳ひと間の部屋(朝)
   楽々の声に驚いて後ろを振り向く來菜。
   來菜の背後でにやにやしながら立っている楽々。
來菜「びっくりした……」
楽々「見ないの?」
來菜「……何を?」
楽々「何とぼけてるの? 実のおかあさんの顔でしょうが! 知らないのよ 
 ね、おかあさんの顔?」
   黙ってうなずく來菜。
楽々「そうよね。おとうさんは一枚の写真も持って行かなかったし……見な
 いの?」
來菜「……うん……」
楽々「わかる、わかる。今のおかあさんに気兼ねしてるんでしょう? いい
 わよ、別に強制してるわけじゃないんだから」
  振り向いて黙って仏壇を見つめる來菜。

〇公営プール内(昼)
   公営プール内のドアが開けて顔を出して周囲を見渡す來菜。
來菜「本当に誰も来ないな……」
   ドアを閉める來菜。

〇公営プール内(昼)
   (前のシーンと同じ構図で)公営プール内のドアが開いて顔を出して
   周囲を見渡すビキニを着た來菜。
來菜「本当に誰もいないよね……」
   プール内に入って来る來菜。

〇公営プール内(昼)
   プールの縁に座り両足を水につけながら持って来ていた浮輪に口で空
   気を入れているが、途中で止めて浮輪を放り投げてしまう來菜。
來菜「これで疲れちゃうのかな……」

〇公営プール内(昼)
   飛び込み台の下のプールの壁面の前に水に浸かって立っている來菜。
來菜「今なら浮輪なしでどこまで泳げるんだろう……」
   思いっきり空気を吸って顔を水につけると、両足で壁面を思いっきり 
   蹴って勢いをつけて泳ぎだす來菜。
   両腕をバタバタさせながらバタ足もして泳いでいるために、なかなか
   前進しない來菜。

〇公営プール内(昼)
   体が突然宙に浮く來菜。
   來菜を両腕で抱えている先生(四十九歳)。
先生「大丈夫?」
   呆気にとられている來菜。
來菜「……何がですか?」
先生「今溺れてたでしょう?」
來菜「……いや、一応泳いでいたつもりだったんですけど……」
先生「そうなの? でも全然進んでいなかったから溺れていたのかと思っ
 て……ごめんなさいね」
  ほとんど前進していないことを確認する來菜。
來菜「いや、私の方こそすいません、何か、ややこしくて……」

〇公営プール内(昼)
   プールの縁に座っている來菜。
   來菜の隣に座る先生。
來菜「ここには誰もいないのかと思っていました」
先生「私はここで監視員をしているから、いつもいるのよ」
來菜「昨日もいましたか?」
先生「昨日もいたけれど……」
來菜「私、昨日もここに来ましたけれど昨日は会いませんでしたね?」
先生「昨日は溺れていないでしょう?」
來菜「まぁ、今日も溺れてはいなかったんですけれど……」
先生「本当に申し訳ないけれど、溺れているようにしか見えなかったから」
來菜「私、全然泳げないんですよ」
先生「(半笑いしながら)バタ足しながら『バタ腕』してるとなかなか前に
 は進まないでしょう? プラスマイナスゼロだから。」
來菜「あの……『バタ腕』って何なんですか?」
先生「私もよく知らないけれど、あなたがさっきしていたのは『バタ腕』と
 しか言いようがないでしょう? こうして息継ぎをしながら両手を上手く
 使わないと」
  座ったままクロールの振りを來菜に見せる先生。
來菜「クロールって何か難しそうですよね」
先生「そんなことないわよ。やる気があれば誰でもできるから」
來菜「私でもできますか?」
先生「できる、できる。誰でも簡単にできるよ」
來菜「私に教えてもらえますか?」
   暫くの間、來菜を見つめる先生。
先生「いいわよ。どうせ誰も来ないから暇だしね。じゃあ、明日から教えてあげるから。(來菜を見ながら)あなたは他に水着を持っていないの?」
  自分が来ているビキニを見る來菜。
來菜「あぁ、これは今日たまたま姉から借りたもので、普段はスクール水着
 なんです」
先生「それじゃ、明日から今頃の時間に待ってるから」
來菜「お願いします」
   立ち上がって帰ろうとするが、來菜の方を振り向く先生。
先生「そういえば、名前訊いてなかったよね?」
來菜「來菜です。早瀬來菜です」
先生「ラナ?」
來菜「あのぉ、未来の来の旧字体と野菜の菜です」
先生「誰に付けてもらったの?」
來菜「誰に?……」
先生「どういう意味なの?」
來菜「どういう意味……」
   考え込んでしまう來菜。
先生「ごめん、ごめん。そんなに考え込むとは思わなかったから。じゃあ
 ね……」
  帰っていく先生。
來菜「あっ、監視員さんのお名前は?」
先生「(歩きながら)私は先生でいいわよ。じゃあまた明日ね」
來菜「お願いします」
   先生が帰っていく後ろ姿を見つめながら嬉しさの余り水に浸かってい
   た両足をバタバタさせるが、すぐに止めてしまう來菜。
來菜「私の名前って……」

〇居間(夜)
   食事をしている來菜と楽々。
   ずっと機嫌が良い來菜を興味深そうに見ている楽々。
楽々「今日は家に帰ってきてからもずっと元気だね」
來菜「(嬉しそうに)そうかな? おねえちゃんが作ってくれるおかあさん 
 直伝のポテトサラダが美味しいからじゃないの?」
楽々「それだけかな? 何かあったの? こんな田舎で何があるという話に
 なるけれども……」
來菜「実はね……」
楽々「何、何?」
來菜「クロールを教えてもらえることになったんだ」
楽々「誰に?」
來菜「先生……じゃなかった。プールの監視員をしている女の人に」
楽々「あのプールに女性の監視員さんなんていたかな?」
來菜「あっ、そう言えばその女の人に訊かれたんだけれど、私の名前って誰
 がつけたの?」
楽々「たぶんおかあさんだと思うけれど……」
來菜「どういう意味なのかな?」
楽々「意味までは訊いてないなぁ……」
來菜「そうなんだ……」
   少し落ち込む來菜。
楽々「あなたの名前はまだ何か含みがありそうなだけ良いわよ。私の名前な
 んて字面通りに何も考えずにつけられたのは明白なんだから」
來菜「おねえちゃんの名前は誰が……」
楽々「もちろんおとうさんに決まってるでしょう!」
來菜「奈々ちゃんの名前はおねえちゃんがつけたんでしょう?」
楽々「奈々は言いやすいと思ったから……でもそんな所が父親に似てしまったのかもしれないな……」
  ゆっくりと這い這いしながら居間に入ってくる奈々。
來菜「あっ、奈々ちゃん、こっちにおいで」
   奈々が來菜のそばに寄ろうとすると奈々を抱きかかえる楽々。
楽々「もうお眠の時間だよね」
   機嫌が悪くなる來菜。
來菜「私もちゃんとあやせると思うんだけどなぁ……」
楽々「じゃあ、來菜おねえちゃんにバイバイって」
   楽々に抱きかかえられながら來菜にバイバイする奈々。
   バイバイとし返す來菜。

〇公営プール内(昼)
   俯瞰の画面越しにプールサイドで二人だけで準備運動をしている來菜
   と先生。
   両腕を素早く回転させる先生。
來菜「クロールってそんなに速く腕を回さないといけないんですか?」
先生「(笑いながら)違う、違う。これも準備運動だから」
來菜「そうですよね」
   先生を真似るように準備運動をする來菜。

〇公営プール内(昼)
   順番に階段を伝ってプールに入る來菜と先生。

〇公営プール内(昼)
   先生の前にビート板を持って立っている來菜。
先生「足はバタバタさせれば良いっていうわけじゃないのよ。寧ろ足で体の
 バランスを保つ感じで、足首やひざは力を抜いて、ももを動かすことで前 
 進するように足を動かしてみて」
來菜「わかりました」
   先生に言われた通りに両手でビート板を持ちながらバタ足を始めて泳
   ぎだす來菜。
   來菜の行方を見つめている先生。
先生「そうそう、良い感じ」

〇公営プール内(昼)
   側面から映されるプールを一番手前のレーンを右から左に泳いでいく 
   ビート板を持った來菜。
   來菜が画面から消えた後、しばらくして一番遠くのレーンから左から
   右へ泳いで行くビート板を持った來菜。

〇公営プール内(昼)
   一緒にプールの中に立っている來菜と先生。
先生「次にやる練習はクロールの基本となるワン・ストローク・トゥー・ビ
 ートっていうやつ」
來菜「ワン・ストローク・トゥー・ビートですか?」
先生「つまり、両腕を一回回す間に足を二回蹴るっていう感じ。まず私がや
 ってみるから見ていて」
   そう言うと自分がいるレーンに沿って泳いで、しばらく行ってから水
   中で一回転して來菜のところに泳いで戻って来る先生。
先生「右腕を水中に入れる時には、左足で水を蹴って、左腕を水中に入れる
 時には、右足で水を蹴る感じなんだけど、大切なのは体のバランスを保つ 
 ことだから。出来そう?」
來菜「やってみます」

〇公営プール内(昼)
   飛び込み台の下の水の中に立って、体を沈めると壁面を蹴ってレーン 
   に沿って泳ぎだす來菜。
   しかしすぐに足をバタつかせて沈んでしまい立ち上がる來菜。
先生の声「先ずは体を上手く水に浮かせる感じで。先に浮く練習からしてみ
 ようか?」
來菜「はい」

〇公営プール内(昼)
   再び飛び込み台の下の水の中に立って、体を沈めるとレーンに沿って
   壁面を蹴って両手足を伸ばしたまま進む來菜。
   來菜の同様の行動がショットを変えて数回映される。

〇公営プール内(昼)
   飛び込み台の下の水の中に立って、体を沈めて壁面を蹴って、両手足
   を伸ばして進んだ後に、右腕を回転させて水中に入れると同時に左足 
   で水を蹴り、左腕を回転させて水中に入れると同時に右足で水を蹴っ
   て、その動作を繰り返す來菜。
先生の声「そうそう、上手い上手い」
   そのままレーンの最後まで泳ぎ切って、水中から顔を上げる來菜。
來菜「先生、泳げました」
先生の声「すごい、すごい」

〇公営プール内(昼)
   階段を上って水中から上がる來菜に手を伸ばして來菜の手を引く先 
   生。
先生「よく一日でここまで泳げるようになったね」
來菜「先生がわかりやすく教えてくれたおかげですよ」
先生「今日はこれくらいにしておこうか。さすがに疲れたでしょう?」
來菜「ありがとうございました」
   先生に深々とお辞儀をする來菜。

〇居間(夜)
   対面して夕食をとっている來菜と楽々。
楽々「……なんかずいぶんと楽しそうよね?」
來菜「師曰く、私は泳ぎのセンスがあるんだって」
楽々「あなたが『師』と呼んでいるその女の人はどうしてそんなにあなたに
 親切に教えてくれるの?」
來菜「どうしてって……どうしてなんだろう?」
楽々「そもそもあなたがここに来た理由は何だったか覚えてる?」
來菜「だってそれはおねえちゃんが私と奈々ちゃんの仲を裂いて抱かせてく
 れないからでしょう?」
楽々「仲を裂いてるって人聞きが悪いわね! あなたが変なおじさんたちの
 話をしたからでしょうが!」
來菜「別に私もそんなおじさんたちにわざわざ会いに行ったわけじゃなく
 て、たまたま遭遇してしまったんだから私の責任じゃないでしょう! そ
 れにおじさんたちも自ら変になりたかったんじゃなくて、社会の波に巻き
 込まれただけなんだから犠牲者みたいなものなのよ」
楽々「そりゃそうだね。不可抗力の前に私たちは無力だね」
   突然、楽々の両手を握る來菜。
來菜「だからどうか奈々ちゃんに会わせてください」
   來菜の手を握り返す楽々。
楽々「奈々のことは遠くから見守って。來菜は買い物、洗濯、掃除に励んで
 ください」
   手を離す來菜と楽々。
   仰向けに寝っ転がる來菜。
來菜「……厳しい……人生が……」

〇公営プール内(昼)
   俯瞰の画面越しにプールサイドで二人だけで準備運動をしている來菜
   と先生。

〇公営プール内(昼)
先生「息継ぎというのはそんなに難しくはないから。右腕を水中で掻いた後
 に、その手を目で追うような感じで口を出せば息が吸えるから」
   そう言うとその場で実践して見せる先生。
   先生の真似をしてみせる來菜。
先生「そうそう、そんな感じ」

〇公営プール内(昼)
   飛び込み台の下の水の中に立って、体を沈めて壁面を蹴って、両手足
   を伸ばして進んだ後に、クロールを始めて、息継ぎをしながらレーン
   の最後まで泳ぎ切り、水から顔を上げる來菜。
先生の声「すごい、やっぱりセンスがあるのね」

〇公営プール内(昼)
   階段を上って水中から上がる來菜に手を伸ばして來菜の手を引く先
   生。
先生「これくらい泳げるならレーンの往復もできるわよね」
來菜「やってみます」

〇公営プール内(昼)
   飛び込み台の下の水の中に立っている來菜。
   その飛び込み台の横でしゃがんでいる先生。
先生「頑張ってここまで戻って来て!」
   前をみつめたまま先生の言葉にうなずく來菜。
   体を沈めて壁面を蹴って、両手足を伸ばして進んでからクロールを始
   める來菜。

〇公営プール内(昼)
   順調にレーンの最後までたどり着き、残り半分を泳ぐために振り向き
   きざま「ゴール」に先生の姿を見かける來菜。

〇公営プール内(昼)
   クロールをしながら最後まで泳ぎ切って顔を上げる來菜。
來菜「先生、できました!」
   先生がいた場所に目をやる來菜
   そこには誰もいない。
來菜「あれ……先生!」
   階段を上がって水中からあがり周囲をうかがう來菜。
   人の気配がない。
來菜「先生! 先生! どこ行ったんだろう? ……そんなに遅かったか
 な……」

〇居間(夕方)
   取り込んだ洗濯物を畳んでいる來菜。
   その隣で、奈々を抱いている楽々。
楽々「本当によく探した?」
來菜「本当によく探したけれど、そんな大きなプールじゃないから探す場所
 がないのよ、マジで。」
楽々「何か先生を怒らせるようなことも……」
   奈々をそばに寝かせる楽々。
來菜「もちろんしてないわよ……してないつもりだけれど……」
楽々「だったら何か急用があったんじゃないの?」
來菜「それならそれでいいんだけれど……」
楽々「また明日プールに行ってお礼を言えばいいけれど……あっ、ダメだ。
 明日あなた帰るから」
來菜「明日、私、帰るの!?」
楽々「おとうさんから連絡があって明日來菜に帰ってきて欲しいって」
來菜「なんで私に連絡してこないの?」
楽々「電話でうっかり余計なことを話すよりも、きちんと面と向かって話し
 たいんじゃないの?」
   洗濯物を畳んでいる手を止める來菜。
楽々「どうしたの?」
   來菜の視線の先を追うといつの間にか立ち上がって歩いている奈々。
楽々「うわ、奈々が初めて歩いた」
   向かってくる奈々を受け止めながら泣いている楽々。
   泣いている楽々を見ながらもらい泣きしている來菜。

〇田舎道(朝)
   公営プールに繋がる坂道。
   手前に向かてくる頭が見えてきて歩くに従って体全体を現す來菜。
   突然歩みを止めた來菜の驚く顔。
   そのままカメラが百八十度パンすると映し出される客で込み合う公営  
   プールの正門。
   人混みの中を走っていく來菜。

〇公営プール内(朝)
   プール内のドアを開く來菜の驚く顔のアップ。
   そのままズームアウトするとプール内に映し出される大勢の客。
   來菜の顔のアップ。
來菜「……どういうこと?」

〇公営プールの受付(朝)
   受付の女性(三十歳)に訊ねている來菜。
女性「でもここには女性の監視員はいないはずなんだけれど……」
來菜「でも昨日もその人に泳ぎを教えてもらったんですよ!」
女性「でもこのプールは昨日までお休みだったのよ」
來菜「そんな……」

〇居間(昼)
   來菜の顔のアップ。
來菜「……てね」
楽々「てね、じゃないわよ」
來菜「だからお礼が言えなかった」
楽々「もはやそういうことではなくて、問題はあなたが閉まっていたプール
 の中で一人で何をしていたかという方にシフトしているから」
來菜「でも、悪いことは絶対にしてないからね」
楽々「……もう仕方ないわね。電車の時間もあるからすぐに出ないと」
來菜「じゃあ、おねえちゃん、元気でね。一人で大丈夫なの?」
楽々「旦那が今日出張から帰ってくるから、私も奈々も心配ないから。いろ
 いろありがとう」
   鞄を持って居間を後にしようとする來菜の手を取る楽々。
楽々「最後に見ていかないの?」

〇八畳ひと間の部屋(昼)
   仏壇の前に立っている來菜と楽々。
楽々「無理は言っていないからね。あなたが見たくなければ見る必要はない
 んだから」
來菜「……でもせっかくだからおかあさんにもさよならを言っておくよ」
   仏壇の取っ手に手をかける來菜。

〇仏壇内(昼)
   仏壇の内側からの映像。
   黒みから扉が外側に開いて映る來菜の顔のアップ。
   遺影を見て驚く來菜の顔。
楽々の声「どうした?」
   來菜の背後から映る楽々の顔。

〇八畳ひと間の部屋(昼)
   楽々の方に振り向く來菜。
來菜「……先生!」
楽々「先生?」
來菜「だから、私にクロールを教えてくれた先生!」
楽々「どういうこと?」
來菜「それは私が訊きたいことよ!」
   その時、画面の左側から、階段から人が転げ落ちるような大きな音。
   音がした方向を同時に見る二人。
來菜「……怪しい……」
   音がした方へ行こうとする來菜を制止する楽々。
楽々「そっちはダメなのよ。前にも言ったでしょう?」
來菜「おねぇちゃん、何か隠してるんでしょう?」
楽々「何も隠してなんかないわよ!」
來菜「だって私が来た時にも大きな音が聞こえたでしょう?」
楽々「あれ、そうだったかな?」
   隣の部屋に通じる引き戸を開けようとする來菜を必死になって止めよ
   うとする楽々。
   すったもんだの挙句、引き戸を開ける來菜。

〇草原(昼)
   引き戸を開けた來菜の驚愕する顔のアップ。
   ズームアウトしていくと映されていくだだっ広い草原。
   画面を横断している木の枝のアップ。
   その枝の上を右から左にのそのそと横切っていく芋虫。
   草原の上を舞っている蝶々。

〇八畳ひと間の部屋(昼)
   草原を驚いて見つめている來菜。
   ひどく驚いている來菜の横顔の手前にかぶる楽々の横顔。
楽々「今、リフォーム中だったから見せたくなかったのよ」
來菜「リフォーム中……」

〇草原(昼)
   來菜の顔のアップ。
   その鼻に止まり、すぐに飛び立つ蝶。
   飛び立った蝶を目で追う來菜。

〇エンドクレジット
 使用楽曲のイメージ「Lana」布施明

                ―終―

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