47比較文化論
比較文化論─米国テロ事件を背景に─尾坂淳一
一、ポグロム
ユダヤ人は何故迫害されたのであろうか。聖書にはキリストを裏切ったユダヤの子孫として扱われ、キリスト教圏であるヨーロッパからかなり感情的な迫害を受けた。それら迫害は「ユダヤ」という人種がなく、「ユダヤ教徒」がユダヤ人である限りにおいては宗教的なものであろうが、事実上社会的に利用されてきた歴史がある。十八世紀、ナポレオンによるクーデターでルイ十八世が殺害され、絶対王政から共和制へとフランス革命が起きる。ここで、身分、宗教、職業等といった「越えられない壁」は破られ、そのような「共同体」から「平等な人間」というフィクションを持った「国家」が創造された。これにより、王族支配にあった「民族」は国家の主権を手に入れ、民族主義は高揚しナポレオンは周辺の職業軍人を圧倒したのである。しかし、この民族主義はユダヤ人への迫害をより強力にした。なぜなら、民族主義はアイデンティティという自意識と、他民族の差異とを認める自他意識による「他の集団との相互行為的状況下による動的なもの」である為である。ユダヤ人は主にアメリカ、オランダ、オスマン帝国へ逃れた。ユダヤ人は、「平等な人間」像の宣言の元に主権者として認められなかった。ヨーロッパ各国において「国民」となれなかった理由として、当時のナショナリズムが「国民国家」にはなく「民族国家」にあったためだ。「国民PEOPLE」とは、主権者として人為的に創造された上位概念(マルクス)であり、ゆえに「国民国家」とは主権を国民が持つ「想像の共同体」(B.アンダーソン)である。それに対し、「民族ETHNICS」は文化の担い手として慣習、宗教、生活様式、価値体系について、言語を媒介として文化的社会的基盤を同じくする共同体である。社会との契約がなくとも、自然的にある下位概念である。つまり、ドイツに「ドイツ人」はなく、「ゲルマン人」がいる、という事が民族国家の理想なのである。民族ナショナリズムは、帝政から解放をもたらすと同時に、そのバックボーンに「人間」を中心に据え、非文明を周縁にする同心円を描く。「文明化」とはすなはち「未開の開発」であり、文化の普遍性を唱える文化相対主義をもっていた。事実、十九世紀はこの「理性的人間像」「機械論的自然観」「合理主義」に基づいた植民地思想が蔓延したのである。
一方、世界中に散らばったユダヤ人は、テオドール・ヘルツルの「国のない民へ民のいない国を」というスローガンに、宗教上の理由から「シオン」(パレスチナ)にユダヤ人国家を想像し、「シオニスト」として流入し始める。勿論、当地にはパレスチナ人が既に定住していた。ここにも背景に植民地思想があったのである。シオニストは、ヨーロッパ、アメリカの支持を受けながら少しずつ流入し、今日までいたるシオニストとパレスチナ人との紛争を引き起こしていった。‐‐‐‐
比較文化論─米国テロ事件を背景に─尾坂淳一
二、シオンへ
「未開」思想をバックボーンとした文化相対主義は、同様に植民地支配を持つヨーロッパや、アメリカの支持を受けながらシオニストの流入を加速させていった。ここには、文明化という前提を元に「均質的」な世界観がある。文化的に均質的であるということは、CULTUER(知的教養)、COMMN SENCE(常識)を含めた「文化」に、普遍的人間像が中心に据えられている為である。アラブ人にとってこの合理主義は、キリスト教対イスラム教の戦いであり、シオニストは「十字軍」であったのである。
第一次世界大戦中、ドイツを破った世界各国の中の一つイギリスは、アラブ世界に対しパレスチナを含むアラブのオスマン帝国からの独立を約していた。それと同時に、シオニストに対しては国家の前景にあたる「ナショナル・ホーム」を宣言。パレスチナを巡って二枚舌外交をしている。結局は、イギリス自身がパレスチナを委任統治する格好をつけ、シオニストは「ナショナル・ホーム」を盾に流入し続けた。同時に「国のない民」は、土地の購入を進め、定住していった。この定住化を更に進めたのが、第二次世界大戦である。ナチス党の「ホロコースト」は、ユダヤ人に対し世界の同情を集め、大きな移民活動となっていった。終戦後、イギリスは中東地域から撤退し、アメリカ側にあったシオニストは国連総会において、パレスチナのユダヤ人地区を57%に認められた。残りはアラブ地区と国際管理地区とに分割された。シオニストが「イスラエル」宣言をしたゆえんであった。元来そこに住んでいたパレスチナ人としては主権をおおきく脅かされる事となる。そんな中で起こった第一次中東戦争は、ヨーロッパ対アラブであり、パレスチナ人は難民化、イスラエルはアメリカやソ連に承認される。第二次世界大戦による植民地支配を受けていた国々の独立は、民族国家というイデオロギーを実質的なものにした。
戦前、世界は五十カ国であったのに対し、戦後は百九十一カ国と三倍以上になっている。西洋ではこれら独立した国々を「第三国」と呼び、民族国家の激しい運動から「多文化主義」の世界観へとシフトしつつあったといわれている。しかし、実際には多文化主義が浸透したわけではない。多文化主義とは、民族的な多文化ネイションと主権的な国民的アイデンティティとの共存の上に成立する(J.ハイアム)。いわば、(種々の問題を一端無視していうのだが)イギリス、アメリカ、日本といった国々のようなモザイク国家が多文化主義の一つの例である。パレスチナには一つの国に民族同士の対立があり、グリーンラインがあり、国民的アイデンティティに共存はなかった。「第三国」思想とは、自然的な下位概念としての民族を指していうものである限り、多数の文化を持つ人為的な上位概念としての国家の問題に取り組んだ呼称ではない。単に相対的で主観的な問題視であり、「普遍的人間」像から「国民PEOPLE」へのシフトは殆んどなかったのである。‐‐‐‐
比較文化論─米国テロ事件を背景に─尾坂淳一
三、シオニストの国
ユダヤ人がヨーロッパから直接に、アメリカから間接に移民規制ということで迫害を受け、シェイクスピア「ベニスの商人」のシャイロックのように経済界においてのみ、その存在を守ってきた。彼等の文化(CULTUER、COMMON SENCE)は国民(PEOPLE)としての主権を永く認められず、民族(ETHNICS)として成立し、「国」を求めパレスチナへ流入してきた。その責任は、それを支持したヨーロッパやアメリカにもあり、アメリカの同盟国として資金を提出している日本にもある。
先にも述べたように、国家は、上位概念と下位概念とで成立する。そこに市民権を得るには、フィクションとしての国民アイデンティティと、自然な民族アイデンティティとのフレキシブル(使い分け)が必要とされる。ユダヤ教の政教一致は、それを困難にし、「植民地」思想や「第三国」思想は、一民族一国家の理想を追及する方向へ向かう。そこに多文化主義はなかった。
イスラエルの、「国土」に対する想いは想像を絶するものがある。
「十八歳になると男性には三年、女性には二年の徴兵義務があり、その後は男性は五十四歳まで、女性は三十四歳まで予備役に編入される。そのあいだは年に一ヶ月の訓練を課せられている。」
「一九八八年の数字では、三万一千の職業軍人と十一万の徴兵期間中の兵士が常備軍を構成していた。緊急時には予備役が召集される仕組みになっている。二十四時間で四十万の動員が可能という。そして最大百万にまで総兵力を膨らませることができる。」
「イスラエルの三百七十万のユダヤ人はこうした強大な軍事力を維持するための膨大な資金をどうやって捻出したのであろうか。それは重い重い税負担によってである。そのためイスラエルは、世界最高の税率の国である。月額一千アメリカドルを越える収入については五十パーセントの高率の税が課せられている。」
高橋和夫「アラブとイスラエル」講談社現代新書
加えていうと、イスラエルはアメリカから年額四十億ドル(推定)の援助を受け、「モサド」という優れた謀報機関をもち、一九六七年頃には核を持っていたといわれる。その圧倒的な軍事力は、スエズ危機、六日戦争、第四次中東戦争の勝利によって証明されている。国家の構成要素が、如何に概念的なものだけでは不十分かをよく示している。具体的な国土と、その歴史と、文化があってこそアイデンティティが認められるのである。‐‐‐‐
比較文化論─米国テロ事件を背景に─尾坂淳一
四、PLO
第一次中東戦争においてパレスチナ人は、ガザ地区とヨルダン川西岸地区、いはゆる「グリーンライン」に追いやられ、又多くは難民となった。それらがゲリラ化し、その中でPLO(前ファハタ)はアラブ世界からの援助を受けつつ「主流派」としてエジプトのナセルに台頭し、アラファトを中心にしてきた。
黒い九月事件、第四次中東戦争、レバノン内戦を通じてイスラエルに敗北したゲリラは、拠点をヨルダン、レバノンから地理的に接触していないチュニジアへと追いやられていった。そこで起きたのが、経済的破綻によるソビエトのペレストロイカ、ひいては冷戦終結であった。シリアを「東」の足場としてきたソビエトはレバノン内戦に介入しなかったのである。内政干渉がなくなったということは、即アメリカの一極化を意味していた。
アメリカは、内に取り込んでいたイスラエルに対し劣等コンプレクスを抱く在米ユダヤ人の反発を恐れつつ、主にキッシンジャーやクリントン政権において、政策を展開してきた。「強国」イスラエルと、それに非武装で立ち向かったパレスチナの「インティファーダ」は、イスラエルのイメージを世界的に低下させていた。しかし、アメリカの一極化には、パレスチナ人を忘却させるという副作用があったのである。「グローバリゼーション」を唱えつつ、その実「普遍的人間」像をバックボーンにしているアメリカの介入は世界に「均質」的な社会観-文化相対主義をみていたヨーロッパ、アメリカ、日本等といった国々の人々の関心を薄くしていった。
皮肉にも、我々が忘れかけ、想像を怠ったパレスチナ人の不安を再考させたのが、イラクのクウェート侵攻である。建て前上、パキスタン難民問題を取り沙汰したフセインの侵攻は、クウェート在住のパレスチナ人の歴史を世界に思い出させたのである。結果、ブッシュからクリントンに政権が移ってから、PLO、ハマス、ジハード、タリバンといったイスラム原理主義の中からアラファトを「主流派」として担ぎ出し、パレスチナ国家構想を提案する事となったのである。
ここで学んでおくべきことは、我々の「グローバリゼーション」が、アメリカの一極化という楽観的なものであり、均質な社会をみている文化相対主義でしかないという点だ。冷戦終結から、アメリカは大陸ミサイル構想を提出、足がかりとして計画に反対している中国の核ミサイル増強を認め、核実験の再開を九月二日に示唆している。‐‐‐‐
比較文化論─米国テロ事件を背景に─尾坂淳一
五、三つの手紙
2001年九月十一日、ニューヨーク世界貿易センターのツインタワーにそれぞれ一機、ペンタゴンの国防総省に一機、ピッツバーグ郊外に一機、計四機が死者行方不明者六千名以上を生じる事件を起こした。連日各メディアはこの惨状を伝え、ジェットがビルに突入する衝撃的な映像を繰り返し放送した。それらの情報は、その惨状を一様に、そして繰り返し報道するものであり、パレスチナは敵視された。パレスチナ難民の歴史を忘却し、「均質」な世界―第三国 をグローバリゼーションにみていたアメリカや日本では、これに即「戦争」を想像するという異常な事態が起こった。平和を願うという逆説の元に、ご遺族の悲しみや文化相対主義を想像する余裕はなく、十月八日未明、米英軍の報復攻撃へと結びついた。現代人の想像力が如何に乏しいものであるかを示す事態に陥ったのである。
今回の事件で、息子を亡くされたPHYLLIS、ORLAND・RODRIGEUZ両氏の手紙を紹介したい。
toニューヨークタイムズ
私たちの息子グレッグは、多くの人とともにワールドトレードセンターでのテロ事件で行方不明となりました。はじめにこの知らせを聞いて以来、私たちは、彼の妻や、家族、友人や隣人、彼の職場の同僚や、毎日ピエールホテルで出会う悲嘆にくれている人々と、悲しみと慰め、希望、絶望、楽しかった頃の思い出を分かち合っています。誰と会っても、私たちの怒りが彼等の中にもある事が分かります。今日の悲惨な事件に関して毎日流れ込むニュースをちゃんと読むことはできません。それでも、読んだニュースから、我が国の政府が、暴力による復讐に向かっていることはしっかりと感じています。そのような復讐が行われれば、遠い国の息子や娘、親や友人を死なせ、苦しめることになります。私たちの悲しみをさらに深めることになります。それは進むべきではありません。それで息子の死の恨みを晴らすことにはなりません。私たちの息子の名において復讐することはやめてください。私たちの息子は、非人間的イデオロギーの犠牲となって死にました。私たちは、同じ目的を果たすような行動をとってはなりません。深く悲しみ、省み、祈りましょう。この世界に本当の平和と正義をもたらすための理性的な対応を考えましょう。しかし、この時代の非人間性をさらに増大させる国になってはいけません。
toホワイトハウス、ブッシュ大統領
私たちは火曜日のワールドトレードセンターへの攻撃で息子を失いました。この数日間、あなたの事件への対応や、上下院がテロ攻撃に対処するため無制限の権力をあなたに与えるという決議について、紙面で読んでいます。大統領のこの事件に対する対応は、息子の死に対する私たちの気持ちを和らげてはくれません。
それどころか、ますます気分が重く暗くなっています。我が政府は、他国の息子たちやその親たちを苦しめる理由として、私たちの息子の思い出を使っているように感じられます。あなたの立場にいる人が無制限の権力を与えられ、それを後に後悔するというのは、今回が初めてではないことでしょう。私たちの気分を和らげようと、からっぽのジェスチャーをしている時ではありません。いじめっ子のように振る舞っている場合ではないのです。我が国の政府が、テロリズムに対する平和的で理性的な解決策をどうやって作り出すことができるのか、大統領にぜひ考えていただきたいと思います。テロリストの非人間的なレベルに私たちを落とす解決策ではなく…。
(邦訳 枝廣淳子)
「世論」とはマス・コミュニケーションを指す。テレビであり、新聞のことである。世論がこの事件を一方的に報じた時、アメリカ国民や日本国民は一斉に「戦争」を懸念し、政府の思うところとなった。が、当事者たちは具体的な生活を通して「遠い国の息子や娘、親や友人を死なせ、苦しめる」事に想像力をはたらかせ、世論と一線を画した。もう一方の当事者であるテロリスト達も、家族宛てに手紙を送っているという情報が、謀機関紙に小さく出ていた。内容は、現実に絶望し、聖戦によって天国へ行く事、家族を心配するものであったという。当事者に共通するのは、民族や国家といった枠組みを超えた「生活」や「暮らし」の視点があるという点である。我々は余りに過激な印象を原理主義に持ってはいまいか、その非人間的行為というものから彼等の歴史や生活を忘却してはいまいか。
イスラエルの平和団体GUSH・SHALOMに以下のようなメールが届いた。
ヨルダン河西岸のパレスチナ人の村であるベイト・サフールから届いたメッセージを紹介します。アメリカでのテロ事件を非難しており、この事件に対するパレスチナ人たちの「歓喜」を知らせる大手メディアの報道と、明らかな対象をなしています。公式メディアは、必ずしも誤ってはいません。パレスチナ人たちの中には、武力および経済の面で自分たちに優る占領者たちへの攻撃が成功したのを見て、これを祝福する者たちがいたことに疑いの余地はありません。しかし公式メディアは、パレスチナの中にさまざまな主張があること、そしてテロに強く反対している人たちもいることを報道していないという点において、決定的に誤っています。この攻撃について、ぞっとしている人たちもいるのです。これまでに、イスラエル人が(パレスチナ人に)攻撃されたときもそうであったように。(以上G・Sのコメント)
ベイト・サフール市当局より
ベイト・サフール市当局および市民の名において私たちは、このひどいテロによって無実の多くの命が失われたことについて、アメリカのすべての方々に対し深い哀悼の意を表します。特に、遺族のご家族のみなさんの悲しみを思い、この苦しみに耐え、強くあることができる力をお与えくださるよう神に祈ります。日々、イスラエルによる無実の人々に対する攻撃に苦しむパレスチナ人として、テレビであのひどい光景を見てどれだけショックを受けたか、表す言葉が見つかりません。私たちは、平和と繁栄、そして自由が全世界を覆うべきである3度目のミレニアムに起きたこのような行為を非難し、このひどい行為を許しません。無実の人びとに対するこのひどい行いに対して、強い非難をくり返します。どのように表現しても、私たちがどれだけ悲しんでいるかを表す言葉を見つけられずにいます。世界中のテロ行為をなくすために、一緒に行動させてください。安全に暮らせる世界をつくるため、手に手をとって行動しましょう。
追申:このメッセージを広めてください。ベイト・サフールのひとりひとりが、このような思いでいることを知っていただきたいのです。(邦訳 中野恵美)
ここで「無実」を繰り返しているのは、「国民 PEOPLE」としての文化相対主義から距離をとっている為といえる。パレスチナ人の「歓喜」は、イスラエルに資金と武器を与えているアメリカへの「同罪」意識によるものであり、そこから一歩退いている事を強調するものである。
これら三つの手紙から知って欲しいのは、文化的に均質な世界が現在に到るまでグローバリゼーションと誤解されている点と、そこに覆い隠されてしまいやすい倫理的道徳的人間像があるという点だ。そこまで想像力がはたらく時、多文化主義はやがて理解されてくるであろう。
参考 土井美徳「比較文化論Ⅰ」奥羽大学文学部1999年
三木賢治「マスメディア論Ⅰ」奥羽大学文学部1999年
「いるか」氏にはネットを通じて資料を頂き、御教示を受けた。ここで御礼申し上げたい。‐‐‐‐