09日本文学概論 異化 ビジョン

大沢正善 日本文学概論 1996 奥羽大学 記録尾坂淳一
参考文献/阿部謹也 世間とは何か 講談社現代新書
参考文献/浅沼璞 西鶴という鬼才 新潮新書
参考文献/国文学解釈と鑑賞 別冊西鶴挑発するテキスト 至文堂
参考文献/新書漢文体系10 唐代伝奇 明治書院
参考文献/詩学・詩論 岩波文庫
参考文献/池上嘉彦 記号論への招待 岩波新書
参考文献/桑原武夫 文学入門 岩波新書
参考文献/大江健三郎 小説の方法 岩波現代選書
参考文献/大江健三郎 新しい文学のために 岩波新書
参考文献/交錯する軌跡 双文社出版
参考文献/田中実 小説の力 大修館書店
参考文献/和辻哲朗 風土 岩波文庫
(概論)

1、文学入門
文学の本質
「おもしろい」殺人を扱う非道徳的作品でもためになる 例ドストエフスキー「罪と罰」
読書とは「インタレスト」の継続である

文学(再現と模写)
あるイデアを模写することで現実化したもの
プラトン「芸術家は模写しかできない」
アリストテレス「低俗であってもあわれみと恐れの感情を起こさせそれを浄化カタルシスさせる」
プロティノス「芸術は感情を通じてイデアを認識させるもので宗教や経験にも等しい超越的経験である」
模写ミメーシスだけ=歴史
創造エクスタシスだけ=芸術のための芸術、なんの意味もない非現実的なもの

文学のビジョン
神と人間を媒介する創造力を重視し一切万物が神の世界に合一した境地である。至高の想像力の世界をビジョンと呼ぶ。例 キリスト教徒ブレイク→大江健三郎に影響→息子ひかるをビジョン化

異化
ただの模写ではなく手を加え読者に印象づける、見慣れたものを見慣れないものにする作業
模写→異化→創造

ビジョンの可能性
多くの文学=再生産的温存的観念的(概念的)=最大公約数的インタレスト
優れた文学=現実的変革的
読者はその新鮮な美的懸隔を体験し期待の地平を前進させ作品中では実現されない可能性さえ発見できる

文学の様式
様式スタイルとは人間の芸術意志が美的要求に従って作品をつくりだしていく方式、美的価値の発展の様式であり、文学の場合は文学様式、日本文学の場合は日本文学様式と呼ぶ。それぞれの地域と時代において優れたビジョンをもった作品がやがて古典として伝えられる。そのビジョンの集積の中から同時代的様式と歴史的様式が、地域や時代を超えて普遍的様式が析出される。

文学様式の三大ジャンル
1叙事エピック
民族の起源や英雄の事蹟を客観的歴史として格調高く伝える。神話や伝記を隣接し後に小説や物語に変化した。
2抒情(叙情)リリック
美的対象に触発された感性を主観的に歌として優美に伝えたもの。地域によって多様な形式がある。
3戯曲ドラマ
美的事蹟をカタルシス(葛藤の浄化)として体験するためにプロット(筋)化された劇の台本

ストーリー 王女が死んだ王が死んだ(時間の経過)
↓    ↑
プロット 王が死んだなぜなら王女が死んだからだ

日本文学の条件
日本人が日本語でつくった日本的様式をもった文学作品。東アジアモンスーン地帯の農耕共同体の民族が島国ゆえに安定して維持できた文学として古代~中古~中世~近世~近代にわたり展開した。

2、古事記
概要
日本の古代の歴史を神話や歌謡を僣りながら三巻に纏めたもの。壬申の乱に勝利した天武天皇が皇室や諸氏族に伝わる帝紀や本辞を整理統合するために稗田阿礼に甬み習わせた。天明天皇の代712年になって阿礼が甬むのを大笹万侶が採録した。その八年後天正天皇の代には舎人親王が「日本書紀」三十巻を採録。古事記は国内統一のために思想的な編集を心掛け日本書紀は対外的に国威を示すために客観的に記述。

「思国歌くにしのひうた」の美
古事記中巻に語られる景行天皇の命で国内平定に奔走した英雄倭建命の辞世歌四首

歌謡として
それぞれ別個に生まれた歌謡であり素朴な明るさがある。三十二が一番辞世歌らしい。氏族に伝わっていた伝説をつかったと考えられる。

景行天皇の御製歌として(日本書紀による)
遠征の途中故郷を偲び国土を讚美。厳粛で崇高。三首だが(三十二~三十四)一首に甬める。

倭建命の辞世歌として
死に臨んだ倭建命が故郷や部下が「命全けむ」状態であり続ける事を祈念して歌った。優しい抒情歌として詠む事ができる。

本当の意味は断定できない
作品とは読者に任されるもの

様式的特徴
一人の内面を持つ英雄を得て神話や伝説から逸脱した物語を持つ日本最古の文学作品
死を嘆くべき言葉はなく自然や仲間に生を継承させる場面として描き死と生が隣接する生態的特徴を後代に受け伝える
政治的動機から纏められた歴史書において歌謡が重要な役割を果たし叙事と抒情とが融合する表現的特徴として後代に受け継がれた

「神話」世界やその民族の起源(創世神話)や発展(平定神話)の普遍的アイデンティティを神格的抽象的存在を通して語るもの。断片化され民話となる。例古事記
「伝説」その国土や民族の集団的アイデンティティを納め他の集団との差別を意識しながら苦難を克服する英雄を通じ語るもの。例平家物語
「物語」もっと限定された集団や個人のアイデンティティをもった画を人間を通じて語るもの。個別化が進み小説となる。例源氏物語 

3、源氏物語
概要
第一部で光源氏の青春を描き第二部でその青年と晩年、第三部で後継者の薫と匂宮を描いた五十四帖から成り、五百余名の登場人物によって当時の宮廷社会の現実と理想を表現した。紫式部作。平安の寛和年間に成立。

愛と死における人物像
桐壷更衣の死を女房たちは「なくてぞ」と哀惜した。まもなく葵の上が亡くなり源氏は「つらき人もぞ。あはれに見え給ふ」と嘆く。死にある喪失感を媒介にその人間の愛が精彩あるかたちとなって周囲に記憶され物語も新局面を迎える。この愛と死の相関的同時認識がこの物語の主情を「あはれ」に決定した。

ゆかりによる長編化(ゆかりの構成)
桐壷の死後その面影を藤壷、紫の上がゆかりとして継承することで源氏の恋愛は展開し源氏亡き後も薫と匂宮は思慕によって浮舟を追い詰める。話は長編化した。

様式的特徴
死の喪失感を題材にして世界を静的に観照する。あはれの情感が確立され日本の文芸様式の主題的な基本となった。
歌が挿入引用され歌物語的な抒情とそれゆえの劇的非構築性が確立され表現的な基本となった。
恋愛の過程で嫉妬や苦悩を内面化し古物語から逸脱して世界最古の心理小説的物語に成長した。=「作り物語」神話や伝説から自立した作品

4、平安期の文学
詩 漢詩、和歌(漢字=男用、平仮名=女用)
随筆 日記、草子
古物語 源氏物語以前の物語=伝奇(竹取物語など)
歌物語 歌中心の物語(伊勢物語など)
作り物語 源氏物語以後の物語(貴族中心)→後代のゆかり「形代かたしろ」謡曲のシテ、堀辰雄、川端康成、

5、平家物語
概要
鎌倉時代の軍記物語。平氏一門の栄華から衰滅に至る歴史を合戦を中心に妻や女房たちの悲劇を交えながら記述した十二巻に後日談としての「灌頂巻」を加えた物語。僧侶姿の芸人が琵琶を伴奏に語り後代の芸能や物語に影響を与えた。

様式的特徴
多くの武将の死を壮烈に簡潔に美しく描き「あはれ」の伝統を因果応報に基づく仏教的宿命観を加える「無常」に変えた
日本では珍しく叙事的歴史物語であったが琵琶法師が仏教的常観を音楽的抒情的に語り宗教的物語として発達し愛された

6、浮世草子
概要
井原西鶴「好色一代男」以来の江戸前期に上方を中心に流行した草子。近世の安定した社会の中で経済的実権を握った町人が遊郭や金銭を享楽する様子を風刺的に描いた。江戸高級に文化の中心は江戸に移り物語色を強めた誌本が成長した。

様式的特徴
仏教的無常観に基づいて中世の武士達が抱いた「憂世」の感情を近世の町人達がつかの間の享楽「浮世」の感情に変え、その一方で浄瑠璃では心中物が多く描かれ「憂世」は残存した。
印刷技術や出版産業が発達し読者の要求を反映して短編の連作が多くなり劇的展開が風刺コントにとってかわられた。抒情は浄瑠璃や歌舞伎に求められた。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐前期

7、中国文学
死についてのセンチメンタルを描かない描いても短い

多民族国家、大規模な戦争

白居易長恨歌 →源氏物語
五言七言   →五七五七七

8、日本近代文芸史
明治元年─40年───大正12年──昭和9年─20年─
模索期 私小説期  三派鼎立期 戦時期  戦後期

日本の近代は鎖国を解いた明治年代に始まり西欧列強に追いつくために文明開化と富国強兵が叫ばれた。文芸も和歌や俳諧に対して新体詩を模索したり、草子、滑稽本、人情本を戯作と称し江戸期小説を改革しようとした。模索の中で明治三十年になると坪内が動き勧善懲悪を排し現実の人情世界を描く写実主義を起こす。北村らのロマン主義や森鴎外、夏目漱石の理想主義も登場した。四十年になると島崎がフランスから始まる自然主義の影響を受けて社会の中の個人の運命を描くことを唱えたが、田山以降作者自身の苦悩を描くことが真実だとする私小説に変質しその苦悩を透徹した心境で観る心境小説が生まれた。私小説は大正期を主導したが関東大震災から結局客観的どころか主情的になる告白への反省から社会的視点と方法意識が導入された。発展する文明社会を主知的肯定的に描くモダニズム文芸と、文明の背後で搾取される民衆を描くプロレタリア文芸が台頭し私小説と三派鼎立期に入り、それらの相互作用と出版文化が発達したことから活況を生した。やがてプロレタリアが弾圧され日中戦争から世界大戦へと拡大する中で一切が国家主義的な戦時文学へ強要された。

(明治期)
開化期(模索期)
「明六社」中村正直、福沢諭吉
仮名垣魯文「西洋道中膝栗毛」
自由民権運動→政治小説

写実主義
坪内逍遙「小説神髄」人情世態の模写を主張、戯作は婦女子の玩具である
「当世書生気質」主張の実作、統一的な主題は肯定できず

二葉亭四迷
社会・国家対個
「浮雲」戯画化、心境を描く、口語を使った言文一致体、三角関係→夏目漱石「それから」「こころ」

国家主義の台頭と写実主義の風俗化
硯友社 尾崎紅葉「金色夜叉」幸田露伴「五重塔」

ロマン主義
欧化主義にも国粋主義にも参加できずに個人の自由を内面的に求める青年作家達が二十年代後半にロマン主義的作品を生んだ。その中心となったのが「文学界」であり北村透谷(自由民権運動、「厭世詩家と女性」想世界と実世界)の評論、樋口一葉の小説、島崎藤村の新体詩が注目された。それを引き継いだ三十年代には国木田独歩の「武蔵野」徳富蘆花「自然と人生」が都市を離れ自然の中のロマンを発見した。四十年代には永井荷風が都市の中に江戸を、谷崎潤一郎が性的倒錯を発見し耽美派と呼ばれた。

(大正期)
自然主義
写実主義が風俗描写に傾いたのを反省しロマン主義を止揚して社会の中の個人の問題を実証的に把握し虚構化しようとする西洋の自然主義が移入され始め日本に影響する。明治三十年代半ばに遺伝と環境から主人公の運命を実験的に表現しようとするゾライズムを小杉天外と永井荷風が実践したが極端な実話製は実を結ばず本格的には四十年代に始まった。
島崎藤村は「破戒」で一人の部落出身者がそれを告白して自立しようとする姿を虚構して描いた。しかし同時に田山花袋が「露骨なる描写」で無技巧と露骨な描写こそ人間の真相を表現すると主張し「蒲団」で実体験(女弟子との醜聞)を赤裸々に描き衝撃を与えた。島崎も二作以降を実体験を描き自然主義は作家の私生活を無理想無解決のまま発展する私小説となり大正を主導した。
日本の自然主義はやがて私小説の露骨な告白は日本の場合ロマン主義を克服していなかったために大袈裟な感傷主義に変わり、その反省から自分の運命を冷静に観照しそれを受け入れる心境を描く心境小説も登場した。例えば志賀直哉の「城の崎にて」が有名ではあるがむしろ調和として知られ葛西善蔵などは破滅型として知られる。昭和期に登場する太宰治は葛藤の作品を愛したが自らの告白と虚構を意識的に交錯させメタフィクション的な私小説を書いた。

太宰前期「道化の華」「善蔵を思う」メタフィクション的
太宰中期「富嶽百景」「走れメロス」人間的
太宰後期「人間失格」「斜陽」破滅的

森鴎外と夏目漱石
社会の中で存在を私生活を通じて描こうとした自然主義に対し当為を時代に典型的人物を通じて描こうとした作家。鴎外は既にドイツ留学中に自我に目覚め挫折する青年を描いた「舞姫」でデビューし逍遙が主張する「没理想」に対して美学と批評の必要性を主張していた。
漱石は風刺的な「我輩は猫である」でデビューしたが「三四郎」以降自己本位が可能性を模索する青年を虚構し鴎外に「青年」を書かせさらに「こころ」では人間のエゴイズムの問題を追究した。二人ともに文壇に超然とした存在となり「理想派」「余裕派」とも呼ばれ後続の作品に大きな影響を与えた。

漱石前期三部作「三四郎」「それから」「門」
後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」

新理想主義
大正前半には漱石が自我とエゴイズムの関係を追究したのに対し自我を積極的に肯定した武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らが「白樺」にあつまり白樺派あるいは新理想主義とよばれた。武者小路は「友情」などで自我の尊重を追究したのち人道主義に移り「新しき村」建設に踏み切ったが方法論に欠け充分成功しなかった。志賀も父との対立を背景に自我尊重を追究したが「和解」以降調和的心境小説に移り「暗夜行路」の完成に力を注いだ。有島は「或る女」などで西欧的リアリズムを実現したが自死した。

漱石「三四郎」→鴎外「青年」→漱石「それから」→武者小路実篤「友情」

新現実主義
大正後半には新理想主義に対して形成されつつある市民社会を理知的にみつめるいくつかの傾向がみられ新現実主義と総称された。その中心となったのが「新思潮」に集まった芥川龍之介菊地寛らで芥川は「羅生門」で文明開化の隆盛から閉塞に向かう時代を生きる青年像を王朝期の主人公として表現することから出発したが理知と感性の平衡に疲れ自死した。菊地は明解な心境と主題の表現に優れたが通俗小説に近づき「文藝春秋」を創刊し出版文化の発展に貢献した。
他に「三田文学」に永井らロマン主義が「奇跡」には葛西ら心境小説が集まり、同人誌が作家を育てる時代でもあった。

(昭和期)
三派鼎立
自然主義もそれを批判した大正の文芸も主人公の精神的な問題を追究し主情的に重苦しくなった。また関東大震災の混乱にも関わらず都市の文明の発展はかえって加速した。そうした状況を反映するために社会的視点と方法意識に基づく新たな文芸が模索された。
その中から都市文明を主知的な視点と文体とで描くモダニズム文芸と文芸の背後で搾取される労働者を階級的視点から啓蒙するプロレタリア文芸が登場した。前者は川端康成、横光利一ら新感覚派から出発しやがてエログロナンセンスと呼ばれるまで流行した。後者は政治性と芸術性のいづれも優先されるか論争されながら時代の踏み絵ともなった。
それら二つは根強い勢力をもつ私小説と相互に刺激し合い円本ブームも手伝って三派鼎立と呼ばれる状況をつくった。

関東大震災→前作家 価値の相対化にショック
     →後作家 被害を見て歩く(元来価値の変化を唱えていた)

新感覚派 事物を感覚で掴みその一つ一つを繋げて作品を創る 横光利一「ハエ」一つ一つの場面は素晴らしいが全体としてストーリーがない
モダニズム 北川冬彦「西洋カミソリ」「馬」

戦時文芸
プロレタリア文芸が政治の色を強めて小林多喜二の虐殺などの弾圧にあい表面的な自由が束の間訪れた(プロレタリア弾圧のためほんの二、三年)。しかし日中戦争の勃発、国家総動員法施行、日本大学報国会談などを経て軍国ファシズムが文芸界をも圧殺し作家達は戦意を高揚する作品を書くか沈黙するしかなかった。

戦後文芸
戦争責任と民主主義的な新秩序を追究する民主主義文学派(中野重治、宮本百合子ら)が勢力を得たがその政治性に対抗して戦中後体験を実在的に追究する戦後派(野間宏、椎名麟三ら)と戦後の虚無を反映戯作的に描いた新戯作派(無頼派)(太宰治、坂口安吾ら)が台頭し昭和初期作家(川端康成、谷崎潤一郎ら)も復治し久しぶりに活況を呈した。しかしいずれも各自の戦争体験を踏まえた私小説でありそれから脱するのに三島由紀夫や大江健三郎らの出現を待たねばならず最近では私的体験というものが有対性を失った時代を村上春樹、村上龍らが描いている。

第一次戦後派(戦後派)→第二次戦後派(新戯作派、昭和初期作家)→第三次戦後派(三島由紀夫、大江健三郎)→「時代の安定により苦しさの共有ができなくなる」→村上春樹、村上龍

(森鴎外と諦念)
ドイツ留学から帰国すると軍医高官の本業の傍ら小説を発表しドイツ流美学的立場から没理想論争など鋭い批判を展開した。陸軍の嫉視から九州小倉に左遷され帰京した頃から「傍観者」の「諦念」を主張するようになる。運命を甘受しながら思想信条を曲げずに自らの使命を発見することを願ったのである。やがて歴史小説を手掛け「興津弥五左衛門の遺書」「山椒太夫」などで運命への愛から殉死する人間像を描き一方「阿部一族」「堺事件」などで殉死に反抗を潜ませる人間像を描いた。運命の甘受と反抗の矛盾を抱えながら文壇の流行から超然として一個人森林太郎として没した。

ドイツ三部作「舞姫」「うたかた」「文づかひ」
諦念(あきらめ、甘受)→明らかに観る(傍観者)→resignation(思想信条、反抗)

(夏目漱石と則天去私)
イギリス留学中に自国の文化を確立しないうえに他国の文化を学ぶことに不安を覚え帰国後東京帝大の職を辞し小説に専念し「自己本位」の必要性を主張するようになる。しかし後期三部作「行人」で主人公は「死ぬか、気が違ふか、夫れでなけれは宗教に入るか」しかないところへ追いつめられる。
「道草」で自らの暗い運命を初めて私小説に描い後「明暗」で複雑な人間関係の中に蠢くエゴイズムを冷徹に見つめ、一方弟子達に「天に則り私を去る」ことで「小我を去り大我に至る」ような「則天去私」を主張した。「明暗」救済の象徴らしき女性を登場させたところで胃潰瘍で没した。

9、日本の風土と文芸
「文芸」文章の芸術
「文学」文章の芸術の学問

人間は風土の条件の中で民族を形成しそれぞれの文化的個性を発展させた。例えば東アジアモンスーン地帯では農耕に適し民族は定住共同体を形成、自然の恵みと脅威を甘受し、受容的忍従的かつ鋭敏な感性を育てた。特に日本では四季がはっきりしていることから変化の中に回帰を待つ感性を個性とし、周囲を海に囲まれていることからそうした個性を純粋培養することができた。中央集権的でいて暗黙のコミュニケーションを重視し異民を排除しかつ異文化を摂取変容しながら世界に独自の地位を確立した。文芸においても自他や生死を区別せず「あはれ」「無常」の感性を重視し、小説では対立葛藤を含まない短編を得意とし、詩歌では短小型とその連鎖を得意とした。表現上でも主語の省略や暗黙の符丁を多用し総体的に抒情文芸に優れた。

モンスーン=台風=被害の象徴(東アジア特有)
和辻哲郎「風土」
→モンスーン 受容的忍従的 仏教
→砂漠 服従的戦闘的 イスラム教ユダヤ教
→牧場 中間的合理的 キリスト教
ユダヤ教 唯一神→合理的愛→キリスト教 世界的広がり
回帰=家、輪廻転生、因果応報
連鎖 例 連歌A→B→C
        ↘B'→C'
(相対的なら良いため主題や自我は消えても良い)
符丁=暗号 外国人には分からない
例 不合格=サクラチル、ミチノクユキフカシ、サイキイノル
吉本ばなな「アムリタ」媒介のないコミュニケーション(詩的、非説明的)

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐後期