友人に頼まれた件で、初歩的な英語の文法解説を載せていきます。なお、専門外なので間違いなどあるかもですが、教えていただけると幸いです。 一、文型 まずは英文法の基本、文型から。ぶっちゃけると、ここで躓いてるやつ多数。というか、英語にしろ何にしろ、語順というのは重要である。シンタグマとかパラディグマとか、まあ、文法的な話は置いておくにしろ、統語(Syntax)が滅茶苦茶だと通じない。よって、まずは平叙文の場合、主語の次は動詞となるみたいな流れをきちんと掴んでおこう。 S=主語
文学作品に限らず、芸術作品って何だろう。とりあえず本日の話題は「文学作品ってのは抽象性を持たせることによって具体像を現前させる文字媒体のもの」って感じです。 「文学作品とは何か」。二十代の大半を酒と文学と少しばかりの料理スキルに費やした手合なので、時々考える。 文学作品って何だろう、といわれると途端に答えに窮する。哲学やってるのか文学やってるのかわからない問いである。 強いていうならば虚構。じゃあ歴史書はどうなのだろう? 多分、虚構が多分に含まれる。それは例えば六国史
お久しぶりですね。本日は「典拠」について書こうと思います。 といっても、タイトル通り『源氏物語』の中の「典拠」について書くわけではありません。そんなもん、ネタがあったら学術論文にしますよ。 さて、「典拠」という言葉が分かりにくければ、「元ネタ」といえばわかりやすいでしょうか。 「元ネタ」的な考え方はそれはそれは古くからある。少なくとも、日本においては漢籍の受容から日本漢文なり日本語文なりといったテクストが編まれてきた。 テクスト(text)は元々ラテン語で「織物」を指
今回は文章の要約問題が出た時、といったテーマで書きます。文章を書く時の参考にもなるように書こうと思います。大学受験・大学編入試験向け。 「要約について」の要約すると ・要点を三行で ・要約作る時はケツから読め ・全体の骨組みを作ってから肉付け です。 文章を読んでいてこう思ったことはないだろうか? 「うるさい御託を並べるな」 と。私はある。というか、毎回思うし、なんなら三行以上ある文章とか読もうと思わない。 お前人文学部卒だしなんなら院卒だろ、って? こまけぇこ
前回に引き続きコラムです。後半植物からやや離れますが、日本の文学作品における植物についてちょろっと書いていきます。 さて、「親方! 空から女の子が!」みたいなノリで「婆さん! 地面から(生えている植物)女の子が!」みたいな感じで出てきた物語の主人公といえば誰でしょうか? かぐや姫ですね。 『竹取物語』は「今は昔竹取の翁といふものありけり。野山に交じりて」と暗唱させられた方も多いのではないかと思います。まあ、実際のところ「月に帰る」わけで、「空から女の子が!」なわけですが
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる もう秋ですね。ところがどっこい、今年の夏はまだまだ終わってないんじゃないかと思うほどに暑い。 「秋来ぬと」と冒頭に引用しましたが、この歌は『古今和歌集』の秋歌上の巻頭歌で、立秋の日の歌です。今年の立秋は八月八日ということで、一ヶ月も前なのですが、ようやく風がどことなく秋めいてきた、といった感じでしょうか? まあ、田圃を見ると黄金色になった稲穂が頭を垂れているので、秋といえば秋なのですが、厳しい残暑とのアンバランスぶり
今回は「キャラクター」や「作詞家」になりきるってどんな場合? みたいな話を書きます。本題に行くまで長いです。 というわけで、こんばんは。文学作品について考える、実に面白い。アサヒスーパードライでも飲みながら…… 福山雅治は流石に無理がありますね。こんばんは。ちくわです。 たまにフィクションの中のキャラクターなり歴史上の人物なり、あるいは現在生きている有名人なりに自身を重ねることってないでしょうか? あるいは歌の歌詞なり、なんでも良い。自分自身を他の何かに重ねること、こ
今回は割と近代文学とかその辺の話題です。 「おい、今何時だと思っているんだ、わかってんのか?」 「時間がねぇんだよ、こちとら。わかってんのか?」 「「ちょっと何言ってるかわかんないですね!!!」」 こんにちは。上記のようなやり取りが日常茶飯事、ちくわです。時間って一体何なんですかね。 「お前はそんなこともわからないのか?」 と思われたあなた。時間って一体何なんでしょうか? 例えば、我々は目の前の運動や物質の状態の変化などと「時間」とを結びつけて考えるし、そこの結合
今回は文学関係なく私の体験談です。大分汚いので注意。 「にんにくを好きなだけ食べたい!!」 そんな欲求を抱いたことがある方、いらっしゃらないだろうか? 私はちょくちょくある。にんにくをホイル焼きにするだとか、素揚げにするだとか、あるいはそのまま薬味として使うだとか、色んなにんにくの食べ方がある。 そんなにんにくであるが、スタミナ料理として使われるイメージが強いであろう。 二十二年前、小学生だった私は「スタミナつくしええやん!」とめちゃくちゃにんにくを食べていた。
今回は「歴史ってどこまでが歴史なんだろう」っていうようなことについて書きます。 さて、タイトルで目茶苦茶デカいテーマを書いてしまったのであるが、書き出しから何を書こうかと頭を抱えている。 そもそもそんなに壮大なテーマ設定するなよって思った方。 卒論で似たようなことやらかすやつが毎年一人はいるんですよ。 いや、先生に止められるだろって思ったりするんですけど、何故かいる。 「止まるんじゃねぇぞ」って学生でもいるんですかね? さて、今回は「歴史」と「文学」に境目はあるの
今回は普通のコラム的なものです。 突然であるが、言語表現を伴うものはゼロから生まれてくるもの自体ないと思われる。 仮にゼロから生み出された言葉があるのだとしたら、それは作り出した当人にしか通じないであろうし、通じるようにメタ言語的な説明を加えるのならば、その時点で何かしらのゼロではない言葉を介在させる必要がある。 このことはジャック・デリダという哲学者が述べているのであるが、言語の指示作用・指標作用とかその辺の構造主義なり現象学なりの批判について述べると目茶苦茶長くなる
こんにちは。文学の騙り部のちくわです。「語り部」ではなくて「騙り部」ですので、たまに嘘とか言いそうですね! さて、今回は文学作品全般について。小説とか読む人向けのお話です。 まず、物語なり小説の「語り」ってなんだろう。文字通り、「その物語を語っている者」である。 例えば以下の二つの文章を見てみよう。 【文章①、夏目漱石『坊っちゃん』】 おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になる
今回は簡単なコラム的なものです。 現代我々が一人で本を読む時なり、テクストメッセージを読む時、なにか意図がない限りわざわざ口に出して読むことはないはずである。 例えば、ある日のデートの翌日、ドラゴンクエストをプレイしている兄弟姉妹がいきなり「ゆうべはお楽しみでしたね!」と言い放ったらぎょっとするだろうし、ポケモンをプレイしている父親が突如「おじさんの金の玉だからね!」とかいい出したらしばらく口をききたくなくなること請け合いである。 現代人は基本的に何か意図がない限り文章
タイトル通り。でも、日本の言葉なり文学を勉強するのに漢文って重要だ、という話です。今回の内容はやや専門的です。 まず、日本語ってのはやまと言葉だけで出来てるわけじゃない。これはまあ、感覚的にわかるだろう。事実、ここまでのめちゃくちゃ短い文章でも十個ほど漢語を使っているし、逆に漢語由来の言葉を使わずに文章を作るとなったら苦労するに違いない。 これだけでなぜ日本の国語の授業で漢文をわざわざやる理由になるのか、といわれたらそんなことはない。多分高校生くらいの私が言われたら「寝言
私の専門からは程遠い近代文学について書きます。近代文学に興味のある方、大学編入試験を考えている方向けです。 読めるけど読めてない、でもちょっと読める文章。どっかの食べるラー油みたいだな、と思いましたね? これがメンタリズムです。 さて、「読めるけど読めてない、でもちょっと読める文章」って、どんな文章のことを指しているでしょうか? え? 私のnote? ちょっと何言ってるかわかんないですね。 さて、その「読めるけど読めてない」みたいな文章なんですが、ズバリ、近代文学です。
今回は私の体験談です。 私は『源氏物語』の研究をやっているし、当然のこと、『源氏物語』は幾度となく読んでいる。 別に「ストーリーが好き」とか「紫式部にガチ恋している」とかではなくて、単純に「物語内の歌を研究したい」といった動機から『源氏物語』の研究に手を出した訳である。 最近では歌から離れて『源氏物語』の享受について興味を持ち始めた。物語にしろ何にしろ、享受されなくなった文献は「古典」というよりは「資料」といったほうが良いように思われる。 そういった意味で「古典」とは