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【拝啓 私】本気で生きていなかった時の私へ【※最後の手紙note】

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拝啓 私へ

お元気ですか?

これを見ている私は、いつの時代の私ですか?

どの私でもいいから、見てくれてる事を願って書きますね。


今日私が伝えたい事、

それは【本気で生きていなかった】ことについて。


口だけだった。

やるやる詐欺だった。

いつまで経っても行動に移すのは、

時間がかかるか結局やらないか。

一番やりたいことやこれがいいんじゃなかと思った事は、

失敗したら嫌だし、

人から批判されるのが怖くて、

動き出すのに勇気が無かった。

そうやって過ぎてきた人生。

やりたい事と称して時間潰しのようなことをしてみたり、

その場その時の自己満足を思い付いたようにするだけの日々。

想像出来ない不安だらけの未来に向き合って進む事から、

ずっと逃げてきた。

目的・目標・夢を、

私以外の人や会社が掲げたものを、

自分の夢と思って挿げ替えることで、

自分の目的・目標・夢という錯覚の中で、

その達成の為に生きてきたようにも思う。

自分で思い描き、

自分で掲げ、

自分で達成させていく。

自分で叶える力がないと自分で思い、

それを受け入れたくないから考えないように、

私以外の目的・目標・夢を借りてきて、

自分事にすることで満たそうとしていた自分が居た。



どうですか?

思い当たる経験はありますか?

私が私の為に人生を歩む選択を今現時点で出来ていますか?

今、生きてて良かったと思えていますか?

正直言うとね、

今の私はその生き方は辞めました。

もしこれを読んでいるいつの時代かの私が、

本気で生きていなかったとしたら、

これを見て一つの参考にしてもらえると嬉しいです。



私の人生の主人公は私のはず。

私は自分以外の他の誰かや何かの為の脇役になりたくて生きてるわけじゃない。


私ならこう言うだろう。

「私は私の為に生きてる」

胸を張って言うはずだ。

自分の認識・把握している自分の範囲内では、

確かにそう言い切れるのは理解できる。

では果たして、

自分の認識の範囲は広いものだろうか?

自覚している自分の周りの広さを考えたことはあるだろうか?

私の思う私の範囲の広さを確認してみようと試みた事があるだろうか?

私は「私自身」をどこまで自分で知れているのか

そこに真摯に向き合ったことはあっただろうか?


私はなかった。

そんな発想すら正直なかった。

私の事は私が一番よく解っている。

それを常套句にして、

実際に私が私をどこまで知っているかなんてことは、

正直やってもこなかったし、

考えてもこなかった。


認めること。

今の私が私を、

思い込みや妄想・こうであろうという無責任な希望を全部取っ払って、

正確に自覚して認めること。

そこから始めなければスタートはできない。



カーナビの設定のようなものだ。

現在地が解らない状態で目的地を検索しても、

ルートなんて検索することはできない。

現在地をどこまではっきりとさせるかによって、

適切で希望通りのルートで目的地に行けるかが初めてわかる。

人生にやり直しはない。

いつでも本番だ。

戻ってやり直すことが出来ないなら、

再設定(準備)して再スタートするしかない。

その本番をいつから再スタートさせるかは自分次第。

その準備とは、

今迄私が私をどのように把握し、

どんな使い方をしてきたかを再認識することだ。

正確な現在地を自覚する作業。

私という心や体を駆使して人生を生き抜く為に、

私が何を今迄の人生で手にして装備してきたかを知る作業。

装備している道具はそれそのものがどのようなもので、

それを認識した上でどう使えるかを把握しなければ、

使い方を誤って破損し、

事故や怪我に繋がる。

その道具とは自分の経験によって私自身の心そのものだ。

人間は心で思った事を言動で表現する。

言動で表現した結果、

そのアクションと私以外からのリアクションが折り重なって、

私の取り巻く現実が作られている。

私のアクションの根本である私の気持ち・心。

そこを把握することが、

自分の現在地を把握する為に必要不可欠な工程。

自分を知らなければ、

再設定もメンテナンスもしようがない。



人間は生まれた時から死に向かって進んでいる。

そしてその死はいつ訪れるかは解らない。

予測したとしてもそれが真実である根拠はどこにもない。

盲信するのも結構。

それも一つの道だ。

だが私は盲信はしない。

だから一瞬一瞬を後悔の無いように生きたい。

その為の生き方改革を始めた結果、

今その生き方を実現している。

それをこの手紙が書き終わった後に纏めようと思ってる。

だがいくらその方法を知ったところで、

それは人生の中の一つの目的地を定めるに過ぎない。

その先にも道は続く。


今重要なのは、

現在地を知ること。

そこから始めなければ地図に線は描けないから。

私の心の地図は見た事が無いはずだ。

誰も作ったことが無い。

それは毎瞬更新されている膨大な結果、

今の私を構築している。

見た事ない地図に予測で現在地を決定することなんてできない。

私の価値は、

私の人生を唯一歩んできた、

私しか一番色濃く把握する事は出来ない。

今こそ自分を向き合う時、

今が人生の中で一番若い瞬間。

今が再設定・再スタートを切るには一番最適。


自分が生きてきた年数の記憶を、

今こそ振り返ろう。

そのまだ自分に向き合う決断が出来ないのなら、

違う視点からも同じような事を2つ書いてるので、

今の私の心に響く手紙を捜してみてね。


そして「私の現在地の捜し方」の、

私自身が実際にやった一つのやり方を、

ここに記したので参考にしてみてね。



体を持った人間という観点から見ると、

時間という概念から考えた時に、

命という時間の有限からは逃れる事は出来ない。

この命の時間というものを、

私はどのように捉えているだろうか。


例え話を出してみよう。

1日は86,400秒である。

私がもし、

毎日0時に86,400円を貰い、

1日のうちに使い切らなければ没収すると言われたら、

必死で使わないだろうか?

お金にするとちゃんと無駄なく使い切ろうと思うのに、

なぜ時間は同じように大切に使おうとしないんだろうか。

お金は人間が作れるものだから必要以上に貯めることもできる。

でも時間は流れていくだけで止めることも貯めることもできないもの。

今というこの時間を如何に無駄なく、

私の人生を私が私の意思で生きていると実感して、

悔いなく生きられているかという確認作業は、

言わば毎瞬お金を捨てているような生活をしている現状を、

もっと効果的に生きない?ってお誘いでもある。



「私が私を本気生きると言うのであれば、

まずは私が私を本気で把握し、

私が今迄どのように私を使って生きてきて、

どんな結果になっていたのかを再認識し、

それをどのように理想通りに修正していくのか。

その方法を、

今迄の私に答えを捜していこう。

過去の私を今の私の仲間にして、

全部の私で、

私の人生の再スタートをしよう!」

私から私に送るメッセージ。



ひとつだけ付け加えると、

私の人生の生き方の中には、

ちゃんと意図的に休憩は入れてあげてねってこと。

休憩や余暇の時間さえも、

自分で決めていくんだよ。

何もしないただボォーッとする時間も取ってあげてね。

思考もちゃんと休ませてあげて。

寝てる時も思考って動いてるからさ。

起きてる時に意図的に脳も休む時間作ってあげてね。



頑張れ私!

出来得る限りの過去の自分を回収して、

自分という因果を超えてきてね!!

そうなった時、

私は本当の意味での自由を手に入れられる。



これを読んだ私の心が、

少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。



                         敬具



手紙noteはこちらのポストに溜めています。

良かったら読んでみてね。




追伸

そうそう、

これを読んでる私やその知人友人に

「感情の出し方忘れちゃった」って人居る?

もし居たらこれ読むと参考になると思うから載せておくね。

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