
雑記:人が生きがいを探すのはデトックスのためなんじゃないかな。
こんばんは、サカキです。
先ほど、今シーズン最大級の
「わかったぁぁぁぁぁああああああ!!!」
がやってまいりまして
ブログの方に書いたり、こっちに書いてみたり
今思い浮かんだことは書ききった。
と、思うまで書き連ねてみようという時間に入っています。
そもそも
『人ってどうやって生きていったら、楽しいんだろう』
っていうことをずっと通奏低音みたいに人生のテーマにしています。
楽しくないと嫌でたまりません。許せません。
昔一緒に住んでいた彼氏にしつこく「楽しくないから何か楽しいこと考えようよ」と言っていたら、
「人生は楽しい時間だけあるわけじゃないんだ!!」
とぶち切れられた時に、びっくりして何時間か唖然としたくらい、生きているすべての瞬間が楽しくないと嫌です。よくそれで生きてんなって尊敬しました。
そんなわけで、すべての瞬間に満足するにはどうしたらいいのかっていうのをずっと探求してきました。
毎日何かに気づいては記述するという研究の仕方をしているのですが
今日の大発見は
『なんで人間は何にもしなくてもいいのになにかしようとするのだろうか』ということに関してです。
そしてそれは、デトックス効果を狙ってのことなんじゃないかなという話です。
順を追って話しますね。
ええと。
人って本当はなんにもしなくていいじゃないですか。
ここでいうなんにもしなくていいというのは、
食べて寝てそれだけでいいじゃんという話です。
「それだけじゃ暮らしていけないよ。仕事をしなくちゃ。」とかそういう話は一旦置いておいて、例えばお金も十分にあるし、生活に何の不安もないし、勝手にご飯が出てくる状況だったら、食べて寝てそれだけでもいいじゃないですか。
だから、そういう生き方もひとつの選択肢としてありだなとおもったんですよ。人生研究の過程で。
猫さんみたいで非常に平和的。
ひなたぼっこして、たまに歩いて、ご飯食べて。これはこれであるひとつの幸せのカタチがありそう。
これにもうちょっと彩りを添えて、起きているときは漫画読み放題、映画見放題、ゲームし放題というのはどうでしょう?
これも悪くなさそう。
クリエイターの方々が作った作品に毎日触れてとっても楽しそう。
これもひとつの生き方としていい感じ。
だけど
だけど
なんだか持続可能な感じがしない。
それが続くとなにか物足りなさを感じるのはなんでなんだろう。
それじゃなにがダメなんだろう。
もしかしたら、上記2つの生き方どちらかが最高の形だ!!という人もあるかもしれません。
だけど、自分はそれじゃ何かが物足りなかったんですよね。
なので、この物足りなさについて研究することにしました。
かならずどこかで出てくる
「なにかしたい」というこの欲求はなんなんだろう。
この「なにかしたい」とずーーーーーっと付き合ってきた人生と言っても過言でないくらい、こいつは謎でした。
この「なにかしたい」は結構厄介です。
こいつさえいなければ、ただごろごろしていられるのに。
なので、こいつをどうにかする方法をずっと考えてきました。
最初は「なにかしたい」をなくす方法を考えました。
なにかしたいの根源を探しました。
「なにかしていないとダメ」という潜在意識から来ているのか。
なにもしていない自分を許していないのか?
いや、そこはクリアしたっぽい。
なにもしなくてもOKという意識に傾けて生きることもできる。
承認欲求とかそういうやつなのか?
誰かに認められることをしていないと達成感を感じられないとかそっち?
いや、そうでもない。
そこもどうやらクリア済み。
わたしはすべてであるという世界感で生きているから
そもそも他者が世界にいない。
そのあたりまでやって
せっかく自然に出てきているものを
消すのもなんか違うなあと思って
やつは生かすことにしました。
生け捕りです。「なにかしたい」は仲間にすることになりました。
そうすると話は変わってきます。
こいつをどうやって飼いならしたらいいのかという話です。
「なにかしたい」といっているので
なにかさせてあげたらいいんじゃないか?
ということで餌をいろいろあげてみました。
漫画読んだり、映画見たり、ゲームやったり。
ダメなようです。
喜びますがやつはそれじゃあ満足しない様子。
もっと違うんだよこういうのじゃなくてと言ってきます。
じゃあ、旅に出たらいいんじゃないか?と思って、
国内外いろいろ行ってみました。
うーん。
一瞬は、喜ぶんですけど
そのうち、これじゃあないんだよなぁとか言ってきやがります。
じゃあ、どうしたらいいんだい。
ということで、自分でプロジェクトや目標を立ててそれをやってみました。
これはいい感じでした。
どうやら、こいつはやったことがないことや挑戦をする際に、
一生懸命、自分の力の限界値を超えていろいろ試行錯誤している時は
満足をしやすいということがわかりました。
こういうのが好きなのか。こいつ。
(なんの話をしているかわからなくなってきたかもしれませんが、「なにかしたい」という気持ちとどう仲間になるかという話ですよ。)
もう少しシンプルに、こいつが喜ぶ方法を定義できないかなと思っていた時に、さっきひらめきが来て、
「自分の表現でエネルギーを出しているときにこいつは満たされるのか」
ということに気がつきました。(そのあたりはブログの方に書きました)
なるほど.....え?
そこで、また疑問がわきました。
なんでわざわざ表現してエネルギーを外に放ちたくなるのだろうか。
冒頭に書いた、猫生活ダメ?
のんびりとなだらかな生活と、エネルギー蓄積&大爆発の緩急人生と。
どちらが好きかは人それぞれだと思うので、そこはいいんですけど、
なんで後者なんていう選択肢ができちゃったんだろう。
おとなしく生きていたほうが省エネで効率良さそうなのに。
というのが疑問でした。
で、いろいろ考えた結果
エネルギー大放出は、『考えとイメージを吹っ飛ばすためにするんじゃないか』という考えにたどり着きました。
雑ですね。もうちょっとちゃんと書きます。
人間は生きていると、外部から入ってくる情報とイメージのおかげでいろいろ世界が制限されていきます。
「知識を得たら世界は広くなっていくんじゃない?」という感じがしますが、初期設定がなんでもできるしなんでもありの真っ白のキャンバスだと仮定すると、何かを知るということは、そのキャンバスに線を引くようなものなので、世界は限定されていきます。
得た考えやイメージが想像力の材料として効果的に働けばいいのですが、同時に「これはこういうものだ。」「わたしにはこれはできない。」といったような固定イメージや制限が溜まっていくこともあります。
そして、大体それらは人生の邪魔をします。
だから、定期的にエネルギー大放出で邪魔な考えとイメージを吹っ飛ばすんだなと思いました。意識のデトックス。
ブログの方にも書きましたが、表現は思考より速度が速いので思考に勝てます。思考を掃除するのにはもってこい。
考えるという行為は、人間に備わっているおもしろ機能だし、かなり使えますが、言っちゃ悪いけれど過去のデータベースを参照して演算しているだけですからね。ごちゃごちゃしてくると計算速度も落ちるし、「リスクがある」とか、「効果が低い」とか動きづらくなる理由をいろいろ提示してきたりもするので、なんでもできるという人間本来の姿を忘れがちな作用もある気がします。
ネコさん人生は、情報の蓄積は少ないです。
感じることに重きが置かれている緩やかな時間の過ごし方では、そんなに思考はごちゃごちゃしないので、どこかで激しく発散・デトックスしなくても、一瞬一瞬の今を丁寧に過ごしていける生き方なんだと思います。
そして、いろいろなものを吸収して、情報知識も得て表現をするという
大きく吸って大きく吐くみたい緩急のある生き方。
それらを両極端の生き方だとしたら、わたしはどのあたりがお好みかな。
もしくは、どういう時間スパンでこれらが来たら楽しいかな。
など考えながら人生をデザインしていきたいなと思いました。
今日は満足いく発見ができました。
ありがとうございます。
いいなと思ったら応援しよう!
