【拝啓 私】思った事を上手く伝えられなくてに悩んでいた時の私へ【手紙note】
※この記事は「投げ銭型投稿」です。無料で全てがお読みいただけます。※
拝啓 私へ
お元気ですか?
これを見ている私は、いつの時代の私ですか?
どの私でもいいから、見てくれてる事を願って書きますね。
今日私が伝えたい事、
それは【自分の思った事を上手く伝えられなくてに悩んでいた】ことについて。
考えが纏まりきらず、
その場その時に的確に自分の思いが伝えられず、
相手に勘違いされて伝わった経験って、
誰しもが一度は持つ経験だよね。
どうですか?
今はちゃんと思いを言葉に乗せて伝えられるようになっていますか?
自分の考えや思いを短時間でまとめられるようになっていますか?
今、生きてて良かったと思えていますか?
正直言うとね、
今の私はその方法を見つけ出しました。
もしこれを読んでいるいつの時代かの私が、
自分の思った事を上手く伝えられないと思ってしまっていたら、
これを見て一つの参考にしてもらえると嬉しいです。
今の私は、
今この瞬間この時に、
何を思っているかを感じて生きれているだろうか。
私のことを誰よりも解っているはずの私が、
私のことなのに私が解らない事が、
一体どれだけあるか考えたことがあっただろうか。
立ち上がって今の自分の体を自分の目で見てみて欲しい。
自分の全てを自分で見渡せるだろうか。
どう考えても無理だよね。
背中は見えない。
頭の後ろも見えない。
自分の体内だってもちろん。
自分自身で自分を認識できる範囲なんて限られてる。
「私のことは私が一番よく解ってる」
この言葉はよく耳にする当たり前のようなことに聞こえるけど、
自分で自分の体を見た時には、
自分の見えない部分が沢山ある事に気が付く。
もしかしたら私より私以外の人の方が私の事を見れているのかもしれない。
私自身で見えない部分は、
他者の目には見える部分が多い。
背中も後頭部も口の中だって見ることができる。
もちろん鏡を使えば私にだって見ることはできる。
でもそれも自分以外のものの助力を借りて客観的に見ている。
病院に行けば、
レントゲンやMRI・CTなどといった機械を使って体内をみることはできる。
これも私以外のものを使ってでしか見ることができないもの。
私が私の力で知り得る私自身のことって、
本当は少ないんじゃないのかな。
「私の事は私が一番よく解っている」
そう思いただけなんじゃないのかな。
事実からは目を背けて、
自尊心を保つ為の虚勢に過ぎないんじゃないかって、
そう思った。
受け止めなければいけない事実を、
素直に受け入れるのは、
プライドや固定観念があっては難しい。
だから如何にして自分の思考を柔軟にして、
事実を見つけて受け入れるという行為を、
私は習慣化しなければならないと思った。
思い込みと事実は似ても似つかぬものなんだ。
そう思いたいとから思っていたことと、
実際の現実には大きな隔たりがある。
それは私の見ている範囲が限定的で、
一部分だけ見て納得して判断して決めつけてしまった結果、
実状との差を生み出したんだ。
この差を生み出したのは他でもない私自身だ。
そう気が付いた時に、
私は自分の妄想と思い込み・決めつけではなく、
現実を・事実を誠実に受け止めて受け入れなければならないと思った。
そうしなければ私自身の再編はできない。
プラモデルを説明書通りに組み上げていけば完成できるのに、
私の心プラモデルの説明書は生まれた時に誰からも渡されなかった。
だから自分の偏った知識で組み上げてきた私プラモデルは、
一度解体して組み上げなければ、
どこをどう動かしたら壊れてしまうのかも解らない。
まずは私という個性がどのように組み上がってきたかを理解しない限り、
私の意図や考え・思考がどんな風に展開されやすいのかを人に伝えることはできない。
自覚していないものを形にして人に認識してもらうなど不可能だから。
まずは自覚する為に、
自分の構成要素を細かく分析して自覚することが必要。
人に自分の思いを正しく伝える為には、
自覚から始めなければならないということだ。
自分の心をメンテナンスする為にも、
自分というものを把握しておかなくちゃね。
今迄ここに来るまでには私自身も時間がかかった。
だって、
待った無しで過ぎていく時間の流れについていくのに必死だったから。
頑張って生きてきたから。
それに、
私の事を私以上に知っていると言われたり思われたりするのは、
認めるわけにはいかなかったから、
根拠なく私は解ってるって思い込むことで、
そう思ってくる人や言ってくる人全てを駆逐してきた。
理解しようともしてこなかったにも関わらず。
私は私自身に無責任なことをしていた。
知ったつもりで私という個性を使っていた。
私ごめん。
そう思った。
今迄意識の中の私が私だと思ってたけど、
自覚しきれていなかった無意識の私は、
私として自覚することなく生きてきてしまった。
本当にごめん。
私なのに、
私を無視してきた私が居たんだね。
気付いてあげられなくてごめんね。
これからはちゃんと、
無意識の私ともしっかりと一緒に生きていけるように、
私が思ってること、
私が今感じてること、
私がどういう時にどんなことを考えてしまいやすいのか、
もっと細かく目を向けていくからね。
独りぼっちにしてごめんね。
私の無意識さん。
「私という体には二人の操縦士が乗っている。
一人は意識さん。
私が知ってる私。
もう一人は無意識さん。
私が知らない場所で私を操縦してくれている、
私なのに私が見つけてあげようともしてこなかったもう一人の私。
今メインコックピットに居る意識さんの横の操縦席に、
早く無意識さんを座らせてあげなきゃね。」
私を人に伝える時、
意識的な私と無意識的な私の両方を知っておかないといけないね。
ひとつだけ付け加えると、
私の無意識さんは私には見つけにくいってこと。
私を客観的に見ている私以外の人の私像を聞いてみて。
同じ私という対象を見ているけど、
人によって私の映り方は違う。
私の無意識さんは、
沢山の人の心の中に隠してきちゃったんだ。
「私はあなたにはどう映ってる?どんな印象?」
そう聞いてみて。
信じたくない、
認めたくない私もたくさん聞くと思うけど、
人が語る私のすべてが、
間違いなく私だって、
逃げずに素直に受け止めてあげてね。
受け入れるには時間がかあるかもしれないけど、
私の無意識さんは今迄自覚してこなくて解らなかったんだから、
知らない私が居て当然なんだよ?
知ったら変えられるでしょ?
だからまずは知ってあげて。
心のどこか、
存在に気付いて欲しくて孤独に泣いてる傷ついた私を。
私からのお願いです。
どうか、
私を探してあげてください。
頑張れ私!
私が私らしく生きる為に、
私をすべて、
ちゃんとしっかり纏めてまるっとお見通しだ!
って状態にしてください。
これを読んだ私の心が、
少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。
敬具
手紙noteのマガジン一覧はこちら
厳しくも優しく綴っております。
追伸
そうそう、
これを読んでる私やその知人友人に
「もっと無意識さんについて詳しく知りたい」って人居る?
もし居たらこれ読むと参考になると思うから載せておくね。
ここから先は
¥ 300
広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。