【拝啓 私】死にたくなった私へ【手紙note】※実話~私の回顧録~
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拝啓 私へ
お元気ですか?
これを見ている私は、いつの時代の私ですか?
どの私でもいいから、見てくれてる事を願って書きますね。
今日私が伝えたい事、
それは【死にたくなった私へ】ことについて。
辛いことがあった
亡くしてしまった大切なものがあった。
生きる意味が解らなくなってしまった。
世界から色が消えたような感覚。
何を見ても感情が動かなく、
ただ空虚な時間だけが只過ぎ行くだけの人生が、
これから永遠に続くのかと思ったら、
もう生きてることが辛くなるだけに思えてしまう。
どうですか?
そんな風に思ってしまう時間から抜け出したいですよね?
出来れば死にたくはないですよね?
今迄生きてて良かったと思えていますか?
正直言うとね、
今の私はその生き方を克服できました。
もしこれを読んでいるいつの時代かの私が、
死にたいと思ってしまっていたら、
これを見て一つの参考にしてもらえると嬉しいです。
向き合いたくなくなる現実は誰にでも一度は訪れるものです。
それが客観的に見た事の大小に関わりなく、
私にとっては何にも代え難い辛いことなんです。
私のこの辛さを軽々しく解るとか言われたくない。
誰のも私の気持ちなんか理解できるわけがない。
同じ経験したことないくせに。
私にとってどれだけ大切なものだったかなんて知らないくせに!
解るとか言うな!!!!
同情なんてされたって心の傷は治らないんだよ。。。
優しくされたってどうにもならないんだよ・・・
だってそれでなんとかなるわけじゃないんだもん
何も変わらないんだもん
私だって・・・
ずっとこんな思いのままでいたわけじゃないんだよ?
でもどうしたらいいのか解らないんだよ。
私一人じゃどうしようもないんだよ。。。!
助けてよ・・・
誰か私の心を救ってよ!
ここから出してよ!!
同情や優しさじゃ無理なの。。。
もっと他の何かで。
お願い・・・
誰か私をタスケテ。。。
私の経験からの、
その時の思いを書いてみました。
私には二十歳になる前にとても大好きだった同い年の人が居ました。
初めて結婚を意識した人でした。
その人はとても厳しい家系に生まれ、
自分の人生の全てを自分で決めることが許されないほどに立派な家柄に生まれた人でした。
そんな中で生きてきて、
そして出会った私たちでした。
その人は七夕の日、
出会って2ヶ月の時に罹った急性白血病で亡くなりました。
「私はもう死んじゃうから、早く忘れて前向きに生きてね。」と、
入院した病院も知らされることもなかったんです。
でも死の恐怖から、
夜中に無菌室を抜け出して私に電話してきたりしていました。
私が泣きながら病室に戻って生きることを諦めないで欲しいと頼んでも、
「私の人生は私じゃどうしようもできないからもう生きていても辛い。
でも死にたくない。」
そう繰り返すばかりでした。
次第に抜け出して電話してくることも少なくなり、
見舞いに行くことも叶わないまま、
私の大好きだった人は亡くなりました。
死の知らせはその人の唯一の理解者である親族の方が伝えてくれました。
遺族からは、
直接ではなくメールでしたが「お前のせいで死んだんだ」と私を責め立てることもありました。
私は自分の無力さと、
大好きだった人の命を私が削り取って死なせてしまったこと、
どうしようもない心の孤独感から、
数ヶ月を廃人のように過ごしました。
学校も仕事も上の空。
人が楽しそうにしている声を聞くと、
私が楽しかった時のことを思い出すので、
人の居ないところに逃げることもありました。
家に帰ると電話で話していた思い出が蘇り、
自室に居ることも辛くてずっと外で過ごしていたこともありました。
私にはどこに居ても、
大好きだった人が亡くなった現実を忘れさせてくれるどころか、
それを思い出させるような場所しか日常生活になかったんです。
死ぬことも毎日考えました。
淋しくないかなとか。
本当は一緒にいて欲しいんじゃないのかなとか。
勝手に死んでいい理由を、
相手が望んでくれているであろうという、
都合の良い勝手な私の妄想で作り上げたりしながら。
でも死ねなかった。
勇気がなかったんです。
こんな日がずっと続くと思って生きていました。
もう立ち直ることなんかできない。
私は一生自分のこの思いを背負って生きていくんだと思っていました。
この話は、
こんな風に公の場で話したことはなかったけど、
これを読んでいる私とはもしかしたら違うかもしれないけど、
そんな中での私の立ち直り方が参考になるかは解りませんが、
何かの力になれればと思い、
勇気を出して再び向かい合って、
手紙に書いて伝えてみようと思います。
当時の私は、
学校と仕事に全く身が入らず、
人からは逃げ、
私自身の心からも逃げ、
毎日フラフラと外を宛てもなく彷徨っていました。
「誰か」私の心を助けて・・・
自分じゃ本当にどうしようもなかった。
涙しか出てこない。
思い出ばかりが蘇ってくる。
楽しい思い出ばかりが。
でももう死んじゃったということを無情にも思い知らされる。
忘れたいわけじゃない。
けど受け止めるにはあまりにも辛い事実で、
現実に逃げ場なんてないのにずっと逃げていたんです。
逃げていたのは、
大好きな人の死と向き合うことが受け入れられない私自身の心から。
現実から。
そう。
私はずっと過去に逃げ込んでいた。
今が辛いから過去に浸っていたんです。
それに気が付いたのは、
亡くなってから二ヶ月近く経った日のことでした。
私は「楽しい思い出」ばかりに逃げ込んでいました。
死に際を思い出すことはそれまで全然なかったんです。
死を連想させるような思い出はずっと避け続けてきました。
でも、
私は死に際のあの人をも否定したいわけじゃなかった。
だから向き合ってみたんです。
そのトキに。
そして思い出しました。
あの人は、
死を恐れながらも受け入れようとしていたことに。
そして、
私に前を向いて生きて欲しいと言ったことに。
私は、
あの人の心を、
強さを
思いを、
最後の願いをも、
受け止めようともせず、
ずっと裏切っていたことに初めて気が付きました。
私は、
私の思い出を都合の良いように、
見たいとこだけ見て、
見たくないところを無視し続けていました。
大好きだった人の全てを、
大切にしてあげられてなかった。
そう思ったんです。
誰か助けてと、
私は人に頼ろうとしていました。
でも私以外の誰かが助けられるわけないんです。
私の気持ちを一番解ってあげられて、
一番痛みを知っている私しか、
私を救うことができないんだってことに。
私は、
私の心だけじゃなく、
大好きだった人の生き方や気持ちからまでも逃げてしまっていたんです。
見落としていたメッセージにまで目を背けてしまっていました。
私はこの瞬間から、
自分の思い出、
気持ちの整理を付け、
その月の終わりに哀しみに明け暮れる毎日から、
あの人が望んだように前を向いて生きようって決めました。
ちょっとずつだけど、
もう哀しむだけの生活は止めようって思ったんです。
思い出すことはもちろんその後も沢山ありました。
その度に涙を流していました。
でも同時に前を向くこともセットで考えるようになりました。
人間は、
自然と忘れていく性質を持つ記憶力しか持ってないって聞いたことあるけど、
私は思うんです。
私が覚えていたいと思うことは、
例え薄れてしまっても、
忘れることはないって。
あの人の体も心も、
私には今はもう解りません。
でもあの人のかけらは、
例え土葬であれ火葬であれ、
この空気の中にあの人のかけらはある。
私はそう思えるようになりました。
真実がどうかとかはどうでもいいんです。
私がそう思ったらそうなんだ。
それでいいと思いました。
目に見えるものが全てじゃない。
人間の目に見えることなんて、
ほんの一部でしかないんだから。
全部の真実なんて人間は感知でいない。
だったら思いたいように思えばいいじゃんって。
あれから数十年たった今でも、
ここまで覚えているんです。
忘れない。
無理に忘れることなんかない。
私に必要ならちゃんと思えてるから、
無理に忘れようとかしがみつこうとか思わなくても、
今をちゃんと前向きに生きていても、
ちゃんと私の中で生きてるから大丈夫。
だから、
今これを読んでいる私が、
死にたいほどに苦しんでいるのなら、
今にしっかり目を向けてあげて。
失くしたものばかりに心を向けないで。
それこそ辛いことだから。
遺されたものはなんだっただろう。
託されたものは何だったろう。
そこに答えはあると思う。
それにさ、
そばに居るか居ないかを決めるのも私次第なんだ。
形あるものに囚われないで。
触れるものだけが全てじゃないよ。
私が思えば、
それは確かに存在させることができるはずだよ。
目を閉じても。
目を開けていても。
哀しい思い出に変えてしまわないで欲しいんだ。
居てくれてありがとうって思ってあげて欲しいんだ。
そうしなきゃ、
最初から居なければ良かったって思っちゃうのは、
そっちの方が哀しいと思わない?
頑張れ私。
いつでも心の私は、
一番近くにいるからね。
忘れないで。
ひとりじゃないよ。
これを読んだ私の心が、
少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。
敬具
こんな経験をした私の書いた手紙noteです。
もしよかったら他のも読んでみてください。
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