OH!へんろ。親子の88か所巡り(41番札所):稲荷山 龍光寺(愛媛県)
わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。
今日の煩悩:
私は幸福学に関係する研究を少しだけしているので、たまーに地域の講演会に呼ばれます。そうした講演会は主催者側の希望も「しあわせの秘訣」的な内容のことも多いですし、参加者はご年配の方も多いです。ですので、ご希望に沿った内容に設えます。
たまにびっくりされることもあるので、専門的なところでしか話さないのですが、幸福研究の中には、「偉大な存在」は人間を「しあわせにしよう」ということを主たる目標にしているわけではなく、「しあわせ」は副次的なものだという見方をする場合があります(マインドフルネス等のアプローチは別だと思う)。
(遺伝子の)「生存戦略に沿ってヒトをどのように動かすことができるか」というのが主な捉え方です。言い方があれですけれど、「ロボットを動かすにはどうするか」と同じなわけです。実際、日本の幸福研究はロボット工学が先導していたところがあります。
人間が幸福感を感じるためには、科学物質(ホルモンなど)や電気信号が必要です。例えば、哺乳動物が育児をするためにはオキシトシン等の仲間を守るための化学物質が重要ですし、未来の計画を立てたり、それを実施したり、新しい発見をしたりするのにもドーパミンなどの化学物質が重要な働きをしています。
助け合ったり、ものを平等にわけあったり、小さな子供に何かを教えたり、歌を歌ったり、一緒にご飯を食べたり、早寝早起きしたり、病人やけが人を摩ってあげたり、ギュッと抱きしめたり、遠出して帰ってきたり、暫くお出かけしていた人を出迎えたり、ということは幸福感に影響する化学物質に関係します。
私が子どもたちと戯れると「ああ、オキシトシンに操られているな」と思ったこともありますが、大抵は喜んで操られる選択をしています。自分より大きな存在の手の内にあることを意識することは、必ずしも嫌なことではありません。
これに抵抗してみたところで、「私は人間という動物」という設定は変わらないので、のちのち苦しむことになりかねません。
ドーパミンは、未来のことや想像の世界を考えるために必要な化学物質です。計画を立てて実行したり、今ここにいない人のことを考えたり、研究したり、勝負に勝ったりというときにも影響します。
実際に身近で感じることで得られる化学物質と、空想の世界や未来を考えられる化学物質は、人間にとってどちらも大切です。
生活習慣・行動・認識を、好ましい方向に導くためにこうした化学物質が「ガイド」となっていると私は考えているのですが、あまりにも鉄の檻のなかの損得勘定に惑わされて行動し、そのための体調不良をサプリメントの接種で補うような生活は本末転倒なのかなとも思います。また、ギャンブルやお金や他人との比較(地位・名声・高級品)から足りない化学物質を補ったりしがちです。こういう化学物質は快楽の持続時間は短いです。ドーパミンは依存性があるので中毒にもなります。
個体としては脆弱なサピエンスがどのように進化してきたか、何をもって生存できたかということを、幸福感を利用して知るのが幸福研究だと考えています。
幸せは目標にしてはいけないとよく聞きます。そういうことですね。
最近心配なのは、肉体的には進化が追い付いていない(そもそも進化なのか退化なのかわかりませんが)であるのに、近代的な生活からは、非常に偏った化学物質(もっともっとの化学物質)への依存傾向が見られることです。
実は私には特別な信心はないのですが、こうして大きな存在に触れながら、子どもたちが分けてくれる微量のオキシトシンを得る機会を有難くいただきながら、細々と頑張ってまいりたいと思う所存です。
御詠歌:
この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いとぞ聞く
本尊:
十一面観世音菩薩
創建:
大同2年(807)
真言:
おん まか きゃろにきゃ そわか
歴史:
縁起によると、大同2年に弘法大師の前に、稲束を背負った白髪の老人があらわれました。大師は、この老翁が五穀大明神の化身だと悟り、稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置しました。さらに、十一面観世音菩薩と不動明王、毘沙門天も造像して一緒に安置し、「稲荷山龍光寺」として開創したとのことです。
所在地:
愛媛県宇和島市三間町戸雁173
駐車場:
無料