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OH!へんろ。親子の88か所巡り(50番札所): 東山 繁多寺(愛媛県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩:

「個人主義」というのは、たぶんひとつのフィクションだと思います。確かに、制度やテクノロジーによって、それを支える基盤は疑似的に用意できるかもしれない。なんでもお金を払えばサービスが生まれるしね。

初期のサピエンスの時代、母系の群れはオスを仲間に招きました。ひとつは高カロリーの大型動物の肉を得るため、もう一つは群れを外敵から守るため。オスは群れにたくさんいる必要もないし、実は必ずしも自分の子孫を残せるわけでもない。何のために命を懸けて守るのか。

最終的に、個人主義の中から「命をかけて守る」という行動やその価値観は生まれるのか。深い問いだ。「警察が守ってくれるよ」「軍隊が守ってくれるよ」「行政が守ってくれるよ」というのはあくまで制度。制度が崩れた後の行動は利他性や向社会性にかかっているのだろうか。

果たして「何かが守ってくれる」というフィクションを信じている「自分」は誰かを命がけで守るだろうか、という命題がある。群れのオスとメスはそれぞれ何を守れるか。

誰も守るにしても、身体がとっさに動いてしまうという衝動というものはあるかもしれない、かつては所与のもののように発動したかもしれないそういった衝動も、個人主義が染み込んでしまうことで、その感情や価値観も薄れ、やがて消えていくことも考えられる。

火の用心「カンカン」「マッチ一本家事のもと」とかつては、人々の命を守るために勤労奉仕や誰かがやらねばという使命感からか、進んでやる人もいた。

個人主義的に採算が取れないことは価値がなくなると考える世の中になると、「お父ちゃん、そんなお金にならないことやる暇があったら、アルバイトでもして稼いできな」なんてことを言われる世の中になるのだろうか。

ぶるっ・・・。

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御詠歌:

よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ

本尊:

薬師如来

創建:

天平勝宝年間(749〜757)

真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

歴史:

縁起によると、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられているそうです。弘仁年間(810~24)、弘法大師がこの地を訪ねました。

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所在地:

愛媛県松山市畑寺町32

駐車場:

あり。無料。

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