見出し画像

OH!へんろ。親子の88か所巡り(28番札所):法界山 大日寺(高知県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

画像1

今日の煩悩:

教壇からの景色は、思っている以上に良く見えるのです。見えていないように振舞う先生は「見えないように頑張っている」場合もあるし、「見たくない」と思っているのかもしれません。

提出物を見ても、テキストの構造、使われている単語、倒置の仕方をみると、お友達ネットワークが何となく見出せます。世の中、自分が思っているほど世の中の人は関心を持っていないというのも、その通りだと感じることがありますが、逆に、思っている以上に、「無意識のメッセージ」(アンコンシャス・メッセージ)を発していることもあります。

管理職の椅子からの景色も、思っている以上に良く見えます。私は企業、団体、大学も含めていくつかの事務室にも座る機会がありました。

ある人は毎回コピー機を使うたびに蓋を開けたままにします。別のある人は気づくといつも黙って閉めています。

ある人は共有のキャビネットの書類引き出しを開けると、毎回少しだけ開けたままにしています。別のある人は気づくといつも黙って閉めています。

ある人は通路に椅子をとびだたせたまま出かけます。別のある人はいつもだまって椅子を戻してくれます。

ある人はいつもゴミ箱に「ぎゅっぎゅ」と硬い段ボール紙を押し込みます。別のある人はいつも破れたゴミ袋からこぼれたゴミを片付け、新しいゴミ袋をセッティングしてくれます。

この様子についてコンサルタントの方と話したことがあります。すると面白いことを教えてくれました。

「引き出しを開ける」「コピー機のふたを開ける」「ごみを押し込む」などの行為は、「自分の目的」のための行為なので普通にします。引き出しを開けないと自分の必要な書類を取り出せないし、コピー機のふたを開けないとコピーができないし、ごみを押し込まないと自分のごみを捨てられません。

「引き出しを閉める」ことは自分の目的を達成した後の行為です。「コピーのふたを閉める」のも自分の目的を終えた後の行為です。「敗れたゴミ袋の処理」も、捨てるという自分の目的を終えた後の行為です。その事後処理には「自分の目的」に対応するインセンティブが発生していません

開けたら閉める、使ったら片付けるという行為は、これまでに家庭で注意されてきたか、自分で振り返りをしたか、何らかの経験のなかで、事後処理にインセンティブ(というか、やりっぱなしは気落ちが悪いと感じる経験)をする必要があるそうです。

この開けっ放しタイプですが、実は仕事にも反映されています。このタイプは自分の業績をやたら主張することも多いようなのですが、実際は事後処理をしてくれているのは、黙って落ちているごみを片付けてくれる人である場合が多いのです。

先程のコンサルタントが言いました。その「閉めない人」は前髪や前から見た姿は整えていても後姿は気にしない人ではないですか、と。そのコンサルタントが言うには、理由はよく知りませんが、時々そういう特徴の事例が報告されるそうです。

本人は全く気付いていないのも特徴らしいですが、結構周りの人は気づいています。インセンティブが自分中心のことにしか働きかけていないと

あるとき細々としたアレンジメントが必要な仕事を、「閉めて歩いてくれる方の人」に頼みました。すると、「開けて歩くほうの人」から「自分の方が適任である」との旨のメールが届き、温泉が掘れるほどの深さまでパソコン画面をスクロールしなければいけないほど、自分の業績、学歴、資格を書き連ねてありました。もちろん業績の中には「閉める人」の働きが大きかったものも含まれています。

人間いろんな角度から振り返ることが大切だな。私も気を付けようとコーヒーをすすったことを思い出しました。般若心経。


画像4

御詠歌:

露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし

画像3

本尊:

大日如来

創建:

天平年間(729〜749)

真言:

おん ばざら だどばん

画像5

歴史:

縁起によれば、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられています。その後、荒廃しますが、弘仁6年(815)に弘法大師が巡教された時、末世の人々の安泰を祈り、薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されました。

画像2

所在地:

高知県香南市野市町母代寺476

駐車場:

普通車 無料

公式HP:




いいなと思ったら応援しよう!