OH!へんろ。親子の88か所巡り(35番札所):醫王山 清瀧寺(高知県)
わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。
今日の煩悩:
私には一般教養の授業で、必ず最初の時間に伝えていることがあります。それは、目の前の「現象」を完全に捉えることは出来ないということです。それでも、その現象が全く分からないものであっては私たちは不安で仕方ありません。
だから、この枠組みや視点から「現象」を見ると、このように捉えることができるよという「取り敢えずの解釈」をしてみるということです。
そして、この枠組みや視点は、ここでは「流儀」と呼んでみましょうと言います。流儀とは「学問」と言い換えても良いです。
経済学の流儀、心理学の流儀、数学の流儀、社会学の流儀、物理学の流儀などどの分野でも良いです。さらに、経済学でも細かい流儀に分かれるかもしれません。
学生に伝えていることは、ひとつは、まずは自分の流儀をしっかり学ぶこと、つまり自分が所属している学問の流儀をしっかり身に着けること。
もう一つは、流儀で捉えられる現象の特徴は限られていること、流儀の条件や限界を踏まえた理解が必要だということ。あくまで、この枠組みとこの視点から捉えた現象の解釈ということをちゃんと理解しておくこと。
「おとな」の中にも、自分が学んだ(これが一番と考える)流儀で、世界の現象をすべて説明しようとする者がいます。
「根拠は?」と聞いても、自分の流儀の先人(歴史上の偉人や研究者)の名をあげて、その人の本にありますと答えたりします。根拠になっていない場合が時々あります。
その枠組みや視点は、その流儀の世界では意味があるかもしれませんが、その他の流儀における意味合いは違ってくる場合もあります(もちろん、間接的に関係してくる場合もありますよ)
成熟した大人は、「この流儀から見ると現象はこのように見える」ということをしっかり示しつつも、「あの流儀から見ると現象はああ見える」こともあるというように、視点を増やす。視点取得をしていくことが求められると思います。
一般教養の授業には色々な学部の学生が参加しています。それぞれ、大学で学ぶ流儀(専門)があるわけです。そう考えてみると、大学と言う場所は、自分が関心ある流儀をまず修め、そのほかいろいろな流儀、つまり枠組みや視点に触れる機会が多いという意味でも本来は刺激的な場所ですね。
御詠歌:
澄む水を汲むは心の清瀧寺 波の花散る岩の羽衣
本尊:
厄除薬師如来
創建:
養老7年(723)
真言:
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
歴史:
縁起によれば、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で薬師如来像を彫造し、これを本尊として堂舎を建てました。弘仁年間(810〜24)に弘法大師がこの地を訪ね、岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願しました。
所在地:
高知県土佐市高岡町丁568-1
駐車場:
なし