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OH!へんろ。親子の88か所巡り(45番札所):海岸山 岩屋寺(愛媛県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

ペンネーム(という呼称も今や聞かないけど)を付けてみました。おのまとぺです。まとぺと呼んでください。いえ、呼ばなくても大丈夫です。おのののか、みたいで可愛い呼称でしょう。わんわん、にゃんにゃん、ぴーちくぱーちく、書き記していきたいです。

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今日の煩悩:

「個人」を単位とする考え方が広がってくると、当然かもしれませんが、社会における「個人の見せ方」「損得の考え方」も変わってきます。

「個人の見せ方」には、アイデンティティ(自己同一性、自分は何者)が関係してきます。だから、社会のなかで自分の状態や置かれた環境や興味関心などを、自身で確認し発信することになります。まさにこうやって発信しているのもそのなせる業でしょう。

私はけっこう「〇〇ちゃんのお父さん」とか「〇〇さんの旦那さん」とかいうポジションが好きでした。私の職場の敷地内は近所の小学生の通学路になってもいるので、いまだに「〇〇ちゃんのお父さん」と声をかけられます。私のお気に入りのアイデンティティです。○○課長!とかはあまり食指が動きません。

私は、ある外国の親族コミュニティを対象に「条件付きの受容」「条件なしの受容」について調査しています。条件付きの愛情とか聞きますね。そのバリエーションです。例の感染症の影響で、すっかり中断しちゃいましたが。

その国の親族集団は、母方の集団を主に、父方の集団を従に複数の集団にそ族しています。「有名な学校に合格しなかった」、「失業してしてしまった」、「離婚した」など、いろいろとアイデンティティに負の影響を齎しそうな出来事があっても、(もちろん本人は凹んだり、悲しんだりもする人もいますよ)親族集団のメンバーという位置は変わりません。「いるだけ」で価値ある存在です。

最近強化されつつある「個の人生」。「個の人生」という感覚は大事だと思いますが、これが過剰なまでに強烈になると「自分物語」が膨らんでしまいかねません。

「自分物語」の主人公は「こうでなければいけない」、その設定に届いていない自分は受け入れられないというように考えてしまうかもしれません。

ひょっとしたら、子どもの時から「有名な学校に合格しなさい」「有名な会社に入りなさい」・・・「しなさい」という要求に答え続けないと「受容」してもらえなかったりすると、自分に対しても、人に対しても「条件付」でしか受け入れられなくなるのかもしれません

経済学の用語に「地位財」と「非地位財」という言葉があります。「地位財」は名前の通り社会的な関係の財です。社会でのポジションにかかわるものです。代表的なものは年収や高級車や華麗な職業などです。他人との比較で威力を発揮します。

他方の「非地位財」は、社会的なポジションとは異なる財です。代表的なものは、親友との関係や家族の愛情や健康や学びなどがあげられます。あまり他者との比較にはそぐわないものです。

当然ですけれど、どちらかに関係の強いものでも、場合によっては双方を跨ぐ存在でもあります。

例えば、だれかの「自分物語」の設定で、有名私立中高から有名大学に進学し、有名大学院で博士号を取得し、研究者として採用され(ここは、有力企業や起業に置き替えも可能)諸々の条件に適合した配偶者と結婚して子どもを持ち、子どもたちは親の期待に応える良い子で・・・・という条件を付けた場合を考えます。

そうなると、「非地位財」として捉えられる内発的「学び」も、有名校に合格するための材料と見做されれば、コミュニティの他者との間の比較優位性を確認するための「地位財」の様相を呈してくるわけです。

また、結婚も本来「非地位財」の性質がありますが、場合によっては「地位財」の性質に変わる場合もあります。

「自分物語」に登場する配偶者像に適うかどうかという点に重点が置かれれば、結婚も「地位財」になりますね。あまり好きな言葉ではありませんが、トロフィー・ワイフやアクセサリーのような自分を際立たせるための結婚は該当するかもしれません。

子どもとの関係も「非地位財」だと思いますが、「地位財」になる可能性を秘めています。その人の「自分物語」に子どもの条件設定が色々つけられれば、地位財になるかもしれません。

社会的地位の上で子供を持っていることが自分のポジションになり、かつ、子ども自身が社会的ポジション(有名校、有名企業など)を持つように成長すればWin-Winなので、子どもが欲しいという人がいることも聞いたことがあります。

「自分物語」の設定は、他者への視点にも影響を及ぼすことがあります。

他者が、ふつう「非地位財」とも考えませんが、目の前の日常として子育てをしたり、大変なことも多いけれど時々訪れるささやかな喜びを励みに育児をしていたりするものです。

この様子に対してさえ、「自分物語」のなかで子どもを地位財として設定しているものは、子どもとの関係を「非地位財」として過ごしている人に攻撃的になることがあります(その逆もあるかもしれませんが)。

「自分物語」がきっちりと作りこまれすぎている場合の難点は、当初の自分が行った設定どおりにならなかった時の対応です。アイデンティティの危機を、持ち直すためなのでしょうが、自分がその設定どおりの条件を得られなかったことに対する理由(あるいは言い訳)を「わかりなさい」と、とうとうと述べることになります。

実は、周りの人はそうした理由や言い訳?にあまり関心はないのですが、「自分物語」の著者にとっては重大な関心ごとであるのでしょうからやめられないのです。

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御詠歌:

大聖のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある

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本尊:

不動明王

創建:

弘仁6年(815)

真言:

のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん

歴史:

弘仁6年に弘法大師がこの霊地を訪ねた時にすでに土佐の女性が空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と名乗っていたそうです。仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上しました。大師は動明王像を彫刻士、木像のそれを本尊として本堂に安置し、石像のそれを奥の院の秘仏として岩窟に祀りました。

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所在地:

愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468

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駐車場:

あり。有料

公式HP:


http://shikoku88-iwayaji.com/


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