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OH!へんろ。親子の88か所巡り(60番札所):石鈇山 横峰寺(愛媛県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩:

義母は戦前のパラオで生まれ、コロール島の現在はトップサイドと呼ばれる地区の沖縄からの移住者が多く住む地域で育ったそうです。沖縄の人はパラオの人と近い場所で日常生活を送っていたので、沖縄の生活習慣や食べ物はパラオの人たちの生活にも溶け込みました。

私はパラオで結婚し、現地に住んでいたので、義母に頼まれて彼女が育った家を探したことがあります。限られた情報と「シンタロウサン」というパラオ人の名前を手掛かりに探しました。聞き取りをしていくと、意外とすぐに見つかりました。「シンタロウサン」は既に亡くなっていましたが、その親族が同じ家に住んでいました。そして、義母が住んでいたであろう家もコンクリートの基礎はそのままに他の人が住んでいました。

私が結婚するときに沖縄に行くと、パラオに移住していた義母の親族たちがいろいろとお世話してくれました。私がパラオに住んでいるというだけで、親族の輪に馴染めました。そののちも、パラオに遊びに来てくれました。義父・義母も南洋沖縄帰還者会の慰霊団として毎回パラオを訊ねてくれましたし、私も大使館員として式典に参列しました。

義父は沖縄戦の時には子どもでしたが、北部から米軍が上陸するとの情報によって皆と一緒に南部に逃げました。しかし、その情報は間違っていたわけです。砲撃によって一緒に逃げていた母親も兄弟もすべて亡くしてしまいました。普段は義父の子どもたちにもあまり話さなかったようですが、娘の夫になる内地の人だからこそ話してくれたのでしょう。

話してくれて有難いことでした。そして、ほんの偶然が義父の命を繋ぎ、そして、親族の後見を経て歴史ある家を繋いできたことで、私と妻の出会いも繋いでくれたのでしょう。儚いつながりだからこそ、大切なものなのだと思います。

そして、面白いものですね。結婚前に妻が千葉にあった私の実家を初めて訪ねた時に、この景色見覚えがあると言いました。そして、義理の姉も同じように言いました。東武野田線というローカル線のとある駅を降りて、住宅街に入る何にも特徴のない路地です。見覚えがあるはずもありません。

しかし、なんと、義兄の住んでいるアパートが3軒となりで、妻は大学生の時に兄を訪ねてこの路地を通っていたわけです。そして、私の母は「あのアパートの住人にはゴミの出し方がなっていない人がいる」とゴミ捨て場当番の時にいつも嘆いて掃除をしていました(笑)。

まあ、偶然ですね。私の経験からのみの意見(n=1)ですが、偶然を舐めたらいけないですね。自分の頭の中の計画や理屈によって偶然の出来事を歪めたり、無視したりすると、かなりの確率で失敗しました。

偶然を受け止めつつ、下手に逆らわずに「上手」に流されてみるかと思ってみると、何故かとんとん拍子に進むことがあります。「えにし」ですね。不思議ですね。不思議としか言えません。まあ、離岸流に逆らって泳ぐと体力消耗するからかもしれませんが(離岸流から横にはみ出すという方法もある)。

竹内まりや「人生の扉」を聴きながら。


御詠歌:

たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救ふものかな

本尊:

大日如来

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創建:

白雉2年(651)

真言:

おん あびらうんけん ばざらだどばん

歴史:

縁起によると、白雉2年、役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると蔵王権現が現れ、その姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建とされています。弘法大師がこの寺で厄除けと開運祈願の星供養の修法をしたのは大同年間(806〜10)とされ、その時に蔵王権現を感得、堂宇を整備して霊場としたとされます。

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所在地:

愛媛県西条市小松町石鎚甲2253

駐車場:

あり


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