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OH!へんろ。親子の88か所巡り(82番札所): 青峰山 千手院 根香寺(香川県)
わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。
今日の煩悩:
団塊ジュニアの私がまだ学生の頃、「日本は豊かな国だから、食べられなくて飢えることはない。好きなことをやりなさい」と多くの大人が言いました。まあ、言わんとすることはよくわかりました。30年前のその時代と初任給やら30歳賃金が変わらない現在の世界では、相変わらずではありますが、ややリスクが高まった気がします。
京都大学の藤原辰史さん※が著書で書いていたと思うのですが、「食べ物がある」と「食べ物が売られている」という言葉の間には大きな違いがあって、前者は食べ物との距離や時間が近く、後者はそれらが遠いと述べていました。つまり、後者の場合は「食べ物を買う」ためのお金をどれ位持っているか否かで距離感は変わってきます。
私が5年ほど住んでいたパラオでは食べ物に困ったという話をあまり聞きません。もちろんお金で食べ物を買う文化は共通していますが、お腹をすかしていれば「おいで、一緒に食べよう」と言ってくれますし、お年寄りも親族から魚や野菜を分けてもらえます。(値段や程度によりますけど)お店で売られているものを(たまたま店で会った同じ建物で働いている知り合いに)買ってもらったこともあります。目に映る人たちがひもじい思いをしているのは嫌なんですね。
その他のことにも当てはまりますね。日本は豊かな国として自他ともに認められているわけですが、見た目はかなり豊かに見えそうですが、実のところどうでしょうかね。先進国と自称するのがきつく感じられるようになってきました。
先端医療や先進の福祉器具など道具は揃っていそうですが、ウェルビーイングを高める日常の些細なことでは必ずしもそういえないところもありそうです。神の手を持つ外科医の紹介とかテレビで見ても、果たして自分はそのような治療にアクセスできるのかなと思ってしまいます。
お金と言う単一の尺度で測られる世界では「ここにある」「売っている」の間には格差社会の影響が大きくでますね。
高松空港ではうどん出汁が蛇口から出てきました。無料です。
※ 思い出しました! 藤原辰史『縁食論 孤食と共食のあいだ』ミシマ社
御詠歌:
宵の間の妙降る霜の消えぬれば 後こそ鉦の勤行の声
本尊:
千手観世音菩薩
創建:
弘仁年間(810〜824)
真言:
おん ばざらたらま きりく そわか
歴史:
弘法大師は青峰山に「花蔵院」を建立しました。後に大師の甥である智証大師が花蔵院を訪ねた際に山の神に出会い、「この地に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」とお告げを受けました。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたそうです。
所在地:
香川県高松市中山町1506
駐車場:
あり(無料)