OH!へんろ。親子の88か所巡り(70番札所):七宝山 本山寺(香川県)
わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。
今日の煩悩:
誰の著書に書いてあったことかも忘れてしまいましたが、歴史に残るような科学者の出身地には、何故か歴史的な建造物や神秘的な場所があるそうです。
その方は数学者だったと記憶していますが、説明によれば、実は科学的なものの見方をするためには、自分の思う合理性による思考や選択には限界があって、時間的あるいは空間的に自分を離れたところからものを見る習慣が必要なのだと言います。そのような習慣を子ども時代に自然と身に付ける機会が、歴史的建造物や神秘的な場所にはあるそうです。
確かに、自分よりも優れた何者かの視点、形而上学であれば「超自然」の視点ですし、宗教的にはサムシング・グレートなものの視点がなければ、自分を含めた世界を捉えることはできません。
学びをするうえで、そうしたサムシング・グレートや大師匠が存在していることは実はとても良いことです。大師匠や師匠はご存命でなくても良いのです。時間と空間を自分の外に置くことが大事です。
自分が学租であったりすると「わからない」「知らない」が許されなくなるので、間違うことを極度に恐れるがために形式ばったり、意固地に変な守りに入ります。「政府は正しい」という前提に立つと、間違えることやそれを認めることが出来なくなるので、役人の言動が硬直化してしまうのも分からないではないです。
ものごとを目先の合理性で判断していくことは、かっこよくも見えるんですけど、長い目や広い視野で見るとぜんぜん合理的ではなくて「損得勘定」だったりすることも多いように思います。
学びは、師匠から「学び方」を教わるもの。自分がピンときた人を「師匠」に任命すればよい。空海さんでも良いし、先祖でも良いし、過去の学者でも良いし、会ったことはないけど尊敬する人の著書でも良いのだと思います。
実はこうした時間や空間を超えた認識や思考はドーパミンが関係しているようで、人間が人間たる理由ともいえる、根源的な機能なのだそうです。
子どもたちよ、肩の力を抜き、時間と空間に身をゆだね、大いに学び、問いかけ、失敗を笑い飛ばし、自分に拘らない「自由」を謳歌しましょう。
御詠歌:
もとやまに誰か植江ける花なれや 春こそたをれたむけにぞなる
本尊:
馬頭観音
創建:
大同2年(807)
真言:
おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか
歴史:
縁起によれば、大同2年(807)に平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基しました。五重塔が目印です。本山寺のほか、四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺のみに五重塔があります。
所在地:
香川県三豊市豊中町本山甲1445
駐車場:
あり
公式HP:
http://www.shikoku88-6869.com/