![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/45012295/rectangle_large_type_2_4999c43878d3e73921708091fef03830.jpg?width=1200)
家康へと続く
信長、秀吉と続けば次は家康となる。
天下分け目の戦いといえば関ヶ原、ここで徳川方に権力が移るわけだ。
西軍にキリシタン大名の小西行長らが記名されているところを見ると、キリシタン大名と秀吉とはうまくいっていた様子だ。
イエズス会は機会があれば、日本を分断させ、植民地化することに力を注いでいたので、この陣形は理解できる。イエズス会は反徳川にいたわけだ。
そこで実際に関ヶ原へ訪ねてみた。
実感したことは、寒風が吹き抜ける関ヶ原は、丁度山脈の切れ目でここだけが平地なのだ。
この時代、山岳伝いに通信連絡網が張り巡らされていたわけだが、ここを抑えられると通信が途絶えてしまう。
つまりここを押さえると日本中の連絡網を独占できるのだ。
もう一つ重要なことに、ここ不破郡垂井町に南宮大社が存在する。鉄の神様として金山彦の命が祀られている。これも何かの関連があるかもしれない。
新年のご挨拶に参拝してきた。
急に雨がぱらつき、虹が出た。神様に歓迎されていると勝手に解釈して参拝することにした。
本殿を拝観すると、千木、鰹木がない。
鉄の神様を祀り、千木、鰹木がないということは、やはり韓国の神様か。
30年ほど前の読書記憶によると、扶余豊璋が関連していると書かれていた。
もう一度書棚をかき回す楽しみが増えた。