俳句の時代
昭和60年発行、平成4年文庫本発行の本を発見しました。
『俳句の時代』中上健次、角川春樹の対談集です。
部屋の整理をしていたところ、釣りのタックルボックスの下からこの本が出てきました。
購入当時を思い出しています。
『枯木灘」を読み、中上健次の圧倒的筆力に驚き、ストーリーを重苦しく受け止めました。
その後、この中上賢治の名前に目が止まり『俳句の時代』購入したのでした。
当時全く俳句に縁のなかった私にとって、理解の難しい本だったのだと改めて感じています。
約30年経過した今、再びこの本を手に取ってみると、内容の新鮮さに驚いています。
最近、句会に参加させて頂いて、俳句らしきものに手を出していますが、俳句を捕まえきれずに、なんだか分かったような句をこしらえていますが、さっぱり納得していません。
『俳句の時代』で紹介されていたこの句を読んで、「これだ」と感じました。
荒削り、円空の仏像のようにゴツいけど本質を掴んでいる。
これが俳句なのだと実感しています。
つまり俳句には、会話言葉ではなく、無駄を削り落とした原言語を使うべしということだったのです。
30年間、この大切な事実に気が付かずにいたのが残念ですが、読書後、スッキリ心が納得しているのが実感できています。