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日本語の起源

日本語の起源について書かれた、面白い本を見つけてしまって、机の前から離れられなくなっている。

我々は「日本語は独特の言葉で、世界で共通する言葉が見当たらない」と教えられてきた。

外国語を習っても、なかなか習得するのは難しい。
街にはたくさんの英語教室を見かけるし、教材が溢れている。

最近、マルクス・ガブリエルの本を読んで、ヨーロッパ・アメリカ人の考え方が理解できた。

彼らは、他人のことを決して思いやらない。他人の考えを斟酌することは罪悪だと考えていたのだ、

日本語は相手の立場を考える言葉だ。
相対している相手の立場や自分の立場を考えて、使う単語を選択している。

全く思考の原点が違うので上手くなるはずがない。

英語を上達する唯一の手段は
相手のことを考えない。
これに尽きる。

自分の言いたいことだけを、言いつのる。
これで会話が成立する。

今回はこの「日本語の起源」を読むことによって、もっと重要なことに気づいた。

日本語と、インド・ドラビダ族の用いるタミル語との類似性を研究しているのだ。
単純に単語の類似性だけではなく文法構造まで大部分が共通していることを指摘している。

また、韻の踏み方が日本の和歌の形式五七五七七までインドの「サンガム」の韻律と一致している。

農作物に関して、アハ(粟)、イネ(稲)、コメ(米)、モチ(餅)、ハタケ(畠)、タンボ(田んぼ)が日本語とタミル語の間で地王している。

イネ、コメ、アハ、アゼ、タンボなど農耕に関する日本語について、学者の熱心な探索にも関わらず、中国語からも朝鮮語からも共通語を見つけることはできなかった。

こうなってくると先日来読み込んでいる「出雲と蘇我王国」の記述に

クナトという人は古代インドのドラビダ族の王であったが、大勢の部下を引き連れて、日本へ民族移動を始めた。(中略)クナト王の子孫はイズモに住み着いた。

出雲と蘇我王国

昔は、古事記、日本書紀はシュメール語との関連があると言われていたが、この本でははっきりと否定している。

言語学と歴史学と、全く別の研究ルートから、インド・ドラビダ族と日本の関連が濃厚であることが示唆されている。

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