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幣立神宮
数ある神社の中で気になるのは、熊本県にある『弊立神宮』だ。
日本文化発祥の地を名乗っている。
『邇邇芸の命、ここより天降り高千穂に天孫降臨の偉業あり』との表示もある。
最近のDNA検査の技術が向上して、神武天皇が存在したことが有力視されている。
九州での会議に参加した際、ここを訪ねてみた。レンタカーで一時間少し、交通量が少ないのでスムーズに走行できた。
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途中の山都(ヤマト)という地名が気にかかった。弊立神宮に到着して大和の本宮と表示されていることに気づいた。
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神社を訪ねるようになって気づいたことがある。非常に落ち着くのだ。
なぜそうなるか気になってはいた。
縄文の歴史を調べていると、縄文人は争わなかったという記録を見ることがある。人と争うことはしなかった。
自己と他人の区別もしなかった。全てを自分と同格とみていたのだ。樹木、小石、全ての存在に神性を認め大切にした。
『騙す』とか『悪いことをする』という意識がなかったのだ。全てが自分と同格なのだ。
縄文の血を引いた日本人が神社に行くのは、『お祓い』をして自分の穢れを取り除き、自らの存在を感謝をするためだった。
縄文人には全ての対象が同格で自分と同じなのだから、騙すことも悪事をはたらくこともあり得ない。
日本に宗教が育たなかったのは、『悪』という概念が無かったからだった。