喪山
阿遅志貴高日子根とは
大国主神の子。友人である天若日子の喪を弔いに出向いた際、阿遅志貴高日子根の容貌が天若日子と酷似しており、天若日子の親族から天若日子と間違われたため怒って喪屋を破壊し、飛び去った。(國學院大學 古事記学センター)
天照大御神の使いで大国主命に『国譲り』を求めにいった天若日子は大国主の娘と結婚し8年間戻らなかった。
天若日子は、様子を伺いにいった雉鳴女を射殺してしまった。その矢が天照大御神に届き、送り返された矢に当たり死んでしまった。
大国主の子であり、天若日子の友人の阿遅志貴高日子根が弔いにいった時に遺族たちが、死んだ天若日子が生き返ったと喜んだ。
『死人と間違われたことを怒った阿遅志貴高日子根が蹴飛ばした『喪屋』が飛んでいって『喪山』になった。』との言い伝えが岐阜県美濃市にある。
出雲と美濃がこんなにダイレクトに関わっていたなんて全く知らなかった。重大な情報だ。