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葦舟
メソポタミアの歴史を調べていると、葦の話が出てきた。葦が出て来れば理解が一気に広がる。
現在、湿地に住んでいる人々は「マーシュ・アラブ(湿地のアラブ人)」と呼ばれ、7世紀のアラブ人の征服活動とともにはいってきたアラブ人の末裔だが、その暮らしぶりにはシュメル人の時代からの名残が、たとえば(葦小屋)などに見られるという。
シュメル人は葦小屋に住んでいたということだ。
チチカカ湖では現在でもウル族が、葦で島を作り居住している。葦は浮力が大きいのでこのようなことが実現できるのだろう。
またティグリスでは葦船が使われていたそうだ。
ヘイエルダールの書いたコンチキ号漂流記を子供の頃に読んでいた。すぐに理解できたのだが、シュメールは日本の縄文時代とよく似通ったところが多々見受けられる。上記ヘイエルダールのHPをクリックすると膨大な情報が出てくるが、この葦船の帆に描かれている日章旗が話題を楽しい方へ導いてくれる。
衝撃的だったのが静岡県沼津市の井出丸山遺跡において、黒曜石でできた石器が多数見つかったことです。分析すると3万8000年前のものであることが、わかりました。
しかも、そのうちのいくつかは、神津島の黒曜石だと判明します。(略)静岡県と神津島は陸続きではありません。海上で57キロメートルもの距離がある中、一体どうやって石器を運んだのでしょうか。
塩の強い流れがあるため、丸木舟では運ぶことができませんからね。(略)そうなると考えられる方法は一つ葦舟です。
ここで日本とシュメルに大変な時差があることが発生していることに気づいた。
人類最古の文明とされている「謎の」シュメルが紀元前4000年頃に文化を伝え、紀元前3000年頃には消滅したとされている(最近は8000年前という説もある)が、日本の葦船文化とシュメルの葦船文化には3万年近くの時差が生じている。
どちらが古いかなどはどうでも良い議論だが、事実だけが知りたいものだ。
世界史と日本史の学会がもっと緊密に連絡を取り合ってほしいと思うのは私だけではないと思う。
篳篥という楽器は葦がなくては成り立たない楽器だ。
雅楽がアッシリアの音を伝えているという説を聞いたこともある。
言葉が似ている、文化が似ているシュメルと日本の関係がもう少し明らかになると楽しい。
平和主義のシュメルを武力を持って絶滅させ、古代メソポタミア文明を途絶させたイラク、アラブは、今、混迷の真っ只中である。