朝倉は「古事記」にも書かれているように、歴史的に興味のあるところだ。
第37代斉明天皇は百済救済のため朝倉橘広庭宮に皇居と大本営を遷された。
これが正式に遷宮したのか、行宮だったのか明確でない。
美奈宜神社の由緒には
「仲哀天皇が「羽白熊鷲」を討つために軍を進めていたが途中病気で亡くなったので、神功皇后が喪を秘して竹内宿禰を従えて賊を討たれた」とある。
この時代は躍動感に溢れて面白いのだが、何せ資料がない。伏せられていることも感じる。いつの日か、事実のわかる日が来ることを期待する。神功皇后と斉明天皇の関係も知りたい。