
下関条約
下関の春帆楼で食事をした時、案内板に『ここが下関条約を締結した場所』との説明があった。
食事のフグに気を取られて、あまり深く考えなかったのだが、調べてみると非常に面白い。
下関条約【しものせきじょうやく】
日清戦争の講和条約。馬関(ばかん)条約とも。1895年日本全権伊藤博文,陸奥(むつ)宗光,清国全権李鴻章,李経芳が下関の春帆(しゅんぱん)楼で調印。おもな内容は,1.清国は朝鮮の独立を認める。2.清国は遼東半島・台湾・澎湖諸島を割譲する。3.清国は日本に庫平銀2億テール(約3億円)の賠償金を支払う。4.新通商条約の締結と最恵国待遇条款その他沙市,重慶等の開市・開港など。5.条約履行の担保として威海衛の一時占領。条約調印直後の三国干渉で日本は遼東半島を放棄し,その代償として3000万テールを得た。償金は軍備と工業化の資金となり,また金本位制度に移行する資金ともなった。
1895年3月20日に、日清戦争の講和条約として、日本全権伊藤博文,陸奥(むつ)宗光,清国全権李鴻章,李経芳の間で下関条約が締結され、朝鮮の独立が認められているではないか。
隣国は漢字の使用を取りやめたので、漢字が読めない。この、『既に独立している事実』を知らずに1948年8月15日を独立記念日としている様子だ。