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生きている

唐突に『私は誰?』『なんでここにいるの?』と考えてしまうことがある。

こうなると厄介だ、あらゆることが気にかかる。

デカルトが言った『コギトエルゴスム(我思う故に我あり)』解釈は色々あって解決にはなっていない。

釈迦が悟りを開いて言った『人生は苦である』『苦行をしてはいけない』『僧職にあるものは葬儀に関わってはいけない』

どれも明快な答えだが人に伝わっていない。

釈迦が『苦行をしてはいけない』と言われたがどの程度正しいのか、人々は苦行をして実験をしている。

『僧職にあるものは葬儀に関わってはいけない』と釈迦が言われてたが、現代の僧侶は積極的に関わってどのくらいいけないことなのか実験をしている。

あらゆる宗教者、哲学者、学者がいろいろ意見を残しているが決定打がないので、どれも『仮説の一部』と捉えるしかない。

人の意見ばかり聞いていても進歩がないので自分の生き方を考えてみよう。

気楽な生き方が『自分の意見を持たないで人のいいなりになる』ことだ。『占いを信じたり』、『強制的な命令を出す政治団体に属したり』、『宗教団体に属したり』自由な意見を言えない環境に身をおくことだ。人生を浪費する極めて贅沢な生き方だ。

これと真逆な生き方が、『哲学的に生きる』ことだ。他人の言うことを鵜呑みにしない。全てを徹底的に疑ってかかり、自分で『解答』を見つけていくやりかただ。相当な精神力と体力を要す。

どちらも楽しくなさそうなので、楽しい生き方はないか探してみると、ある。

好きな芸術に関わることだ。音楽、絵画、文芸、演劇等を楽しんで『感動することが生きていること』だと思う。




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