enju

enju(エンジュ)ミュージシャン/僧侶/公認心理師/宗教文化士。心理学・仏教・宗教・音楽・映像。

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最近の記事

人生ゲーム

お正月。チビッコ達とボードゲームの「人生ゲーム」に興じました。 このゲーム、何年ぶりだろう?子どもの頃よく遊んだけど、大人になってやってみると、なるほどなるほど、人生ゲームですね。 子どもと遊んでいて面白かったのは、彼(彼女)らはゲームに没頭して、勝った負けたと感情をむき出しにして競っていたことです。 そう、これは単なる「ゲーム」なんです。 かく言う僕も、ゲームに勝つと嬉しいし、負けると「けっ!所詮はゲームじゃん!」と自分に言い聞かせ、慰めていました(笑) ゲームに

    • 黒猫とミキ

      黒猫をみると思い出す子がいる。 昔、僕がまだ小さかったころ、近所に変な女の子がいた。 名前は確か、「ミキ」だったと思う。 ミキの家は僕の家のすぐ近くにあった。 でも近所の子どもは気味悪がって近づかなかった。 その屋敷自体が異様な雰囲気を放っていたからなんだ。 ミキのお父さんは画家だったらしい。 その風貌はまるで仙人のようで浮世離れしていた。 ミキも絵がうまくて、いつも絵を描いたり歌ったりしていた。 そんなミキのまわりにはいつも猫が集まった。 それも、不思議な

      • 親父の早食い

        親父は早食いだった。僕はそれがとても嫌だった。いつもゆっくり話もできない。とにかくすぐに食べてすぐに動いていた。 ごくたまに家族でレストランに行った。フレンチのフルコースとかそういうの。 親父は料理が運ばれてくるや否や食べてしまう。次の料理まで手持ち無沙汰で待っている。そんな親父が貧乏臭く思えて、僕は恥ずかしくてたまらなかった。 言い忘れたが、親父はお寺の住職だ。僧侶なのだ。なら、もっと落ち着いて、もっと味わって、もって優雅に食事をして欲しいと思っていた。 なんでも早

        • 触れた感覚

          今日は不思議な感覚を覚えた。人(の何かに)に触れている感覚だ。 もちろん、物理的身体に触れている訳ではない。多分、言葉?を通してだった。 逆はこれまであった。他者に触れられた経験。こういう感覚は時々ある。「刺さる」感覚であったり、「掴まれる」感覚であったり、「撫でられる」感覚であったり。 ところが今日は、自分が話しながら〈ある感覚〉を感じていた。 まるでその方に実際に触れいてるような感覚だったので、その方の(物質的身体でない)形(かたち)を、直(じか)に感じられた。な

          「徳」ってなんだろう?

          先日、ある公的な組織の重責にある方が来談されました。その方は「徳が欲しい」と仰られました。 私は、「あなたが欲する徳ってどんなものですか?」と尋ねました。 その方は、「人に信頼されるような何か。安心して他者が何でも話してくれるような人物が備えている何か」だと仰いました。 辞書的に言うなら、「身についた品性。社会的に価値のある性質。善や正義にしたがう人格的能力。」「広く他に影響を及ぼす望ましい態度。」などと出てきますが、その方の意に沿って「徳」というものを考えた時、私の仏

          「徳」ってなんだろう?

          〜先ずは分けよう〜 「私」と「あなた」

          1.「私メッセージ」と「あなたメッセージ」日常のコミュニケーションで、いつも他者とぶつかってしまったり、喧嘩になったり、うまくお互いの気持ちのやりとりができない時、自分の伝え方、聞き方について振り返ってみるいい機会かもしれません。 相手に自分の気持や思いを伝える時、「主語」はどうなっているでしょうか。 例えば、仕事の段取りが悪く、時間がかかりすぎる人に対して、「〈あなた〉はどうしていつもそんなに段取りが悪いんですか!」と言った場合、主語は「あなた」になっています。これを「

          〜先ずは分けよう〜 「私」と「あなた」

          自分に語りかける

          イライラしたり、心配したり、不安になったり、時にパニックになったり。日常生活の中ではいろんなことが起きるし、問題は次々に降りかかってくる。 その度に、何とかしようとがんばったり、あるいは人のせいにしたり、抑圧したり。忙しい忙しいと、状況に振り回されて疲れ果てたり。またはそんなストレスすら意識できてなくて、どこかで一気に爆発したり。 こんな話を思い出した。 あるお父さんが、小さな子どもをベビーカーに乗せて公園を散歩していた。すると、子どもの機嫌が悪くなり、とうとう大声で泣

          自分に語りかける

          解決は、問題に対する答えが与えられることでなく、問題自体の消失という仕方で起こる。

          「話す」ことは「離す」こと 日々、いろんな相談を受ける。他愛のない話から、生きか死ぬかといった深刻な話まで。 人はなぜ、困った時に話を聴いてもらいたいのか。 単に吐き出したい人もいる。(発散型) 誰かの答えが欲しい人もいる。(教えて型) 共感してもらいたい人もいる。(わかって型) 自己を整理し、自己を理解したい人もいる。(胸貸りる型) それは時々に違うかもしれないが、自分の中にあるものを「話す」ということは、それを客観視する一つの方法(文字にしたり、絵を描いたり、踊った

          解決は、問題に対する答えが与えられることでなく、問題自体の消失という仕方で起こる。

          ぼーっと空の雲を眺めてて書き始めた「物語」

          【島】自分の輪郭を「島」に喩えてみる。 その輪郭は学んだ知識や経験で大きくなっていく。 その「島」を取り囲む「海」は「未知の世界」。 年齢と共に「島」は大きくなり「既知の世界」が増えていく。 ただ、その「島」と「海」が接岸する輪郭が広がるにつれて、「島」はさらに「未知の海」に接することになる。 そうして「島」は「島」には分からないこと、未知なるもの(海)が圧倒的であることを知る。(もちろん「海」を見ないで、自分の「島」しか見ない人もいる) ある日、輪郭の果て、つまり海

          ぼーっと空の雲を眺めてて書き始めた「物語」

          なぜ〈あるタイプ〉の人と話していると疲れるのか?

          A「大丈夫?」 B「全然大丈夫」(大丈夫でなく助けてほしいという表情で) 会うたびに、どうしても疲れてしまう人がいる。悪い人ではない。いい人だと思う。自分の気持ちをストレートに言わず、相手に気を遣ってくれているからなのかもしれない。あるいは自分でも分かってないままに、いだずらに相手を混乱させているのかもしれない。 そんな人とずっと居ると叫びたくなる。 「あなたは本当はどうしたいんだ!」 「わたしに何をしてほしいんだ!」 人は一つのメッセージに、 もう一つの隠れたメッセ

          なぜ〈あるタイプ〉の人と話していると疲れるのか?

          「なぞる」

          さて、初めてnoteに何か書いてみるとする。 墓道夕方に散歩をした。 住宅地から町外れの墓地へ続く道を。 この道は昔、葬儀時の「野辺送り」に使われていた道だ。葬儀の後、火葬場まで棺と共に皆でこの道を歩いた記憶がある。火葬場までの辻辻には、近所の方々の見送る姿があった。今はもうそうした風習はなくなり、町も近代化し、その道はどこにでもある舗装された道路になっている。 僕が小さい頃、その道を毎夕、今は亡き祖母に背負われて墓参りにしていた。辻辻にはお地蔵様が祀られており、祖母

          「なぞる」