【連載小説】ある青年の手記 第Ⅲ章 (2)事件について僕がとても個人的に調べたこと





(このパートは事件のことを知る人にとっては蛇足以外の何ものでも無いのかもしれない。しかし僕はとても個人的にものごとを考える人間なので、飽くまでも自分の頭の中を整理するために文章を書いているし、それはこのパートも例外では無い。)

 僕は近くの図書館に行き、その当時のことについて書かれた新聞を何社かレファレンスしてもらって、改めて事件について調べ始めた。
 被害者(という表現が正しいのかは分からない)の名は「ワタナベ・シンジ」。彼は明治大学の理工学部建築学科を卒業後、「連(むらじ)設計事務所」に入所。そこがまあいわゆる「ブラック企業」(いったい誰がこんな物騒なネーミングをしたのだろう?)だったわけだが、もちろん彼はそれを知った上でそこに入所したということでは無いだろう。入所時はきっと清々しい気持ちでいたに違いない。
 ワタナベ・シンジ氏の同僚が(当たり前だが「マス・メディア向けに」という注釈は入れさせてもらう)彼について語ることによると、
「彼はとても愛想が良く、裏表のない、誰に対しても態度を変えること無く接する人で、みんなから好かれていた。彼が急に亡くなってしまって、とても悲しい」
とのことだった。彼らの言っていることを僕なりに「翻訳」してみると
「彼の頭の中にはいつも満開のお花が数多く咲いていて、面倒なことも嫌な顔の一つせず引き受けてくれるので、こちらとしてはとても都合の良い駒だった。あるいは白痴だったのかもしれない。だからみんな少しでも頭を悩ますものが起こったら、決まって彼に押し付けていた。彼の体調のことなど全く気にしていなかった。急に死ぬなんて全く自分勝手なやつだ。代わりの駒を探さないといけなくなったでは無いか。余計な手間をかかせやがって。そしてもしかしたら会社は潰れてしまうのかもしれない。もし俺が無職の身になったら全部彼のせいだ。死んで当然だろう」
になるだろうか。
 のちに、ワタナベ・シンジ氏の母親から彼の書いた日記(「手記」という表現の方が適切なのかもしれない)を十何冊か貸していただいたのだが、その中で彼が社会人になってからの部分を見てみると、
『あなたは隣人を自分自身のように愛さなければならない。』
(マタイ:22:34)
という一節が、まるで呪文か何かのように、キャンパス・ノートの一行一行に、繰り返し繰り返し書かれていた。僕はとても個人的にものごとを考える人間なので、まったくの赤の他人に自分の心を寄せることなど滅多に無いのだが、そのキャンパス・ノート十冊分くらいにびっしりと真っ黒に書かれてあった彼の(おそらくは)座右の銘を見て、これには僕も同情するしかなかった。
 僕は社会に出たことがなく、社会人になった友達もいなかったので(そもそもの僕には友達と呼べる人間がいない)、日本の会社(特に「ブラック企業」)がどういう理念を持ち、そしてどういうシステムで動いているのか、全くの無知であるわけだが(だが確固たるとても個人的な見解はある)、「過労死」が多発しているという現実、そして彼の自分に言い聞かせるように何度も何度も書いたであろう座右の銘を見る限り(他にも判断要素はごまんとあるわけだが、それを挙げるとキリが無いのでここでは割愛させていただく)、そこがあまり人間的な環境でないということは、容易に想像がつく。 
 僕は何社かの新聞を比較しながら目を通し、キャンパス・ノートに事件について分かったことを書き出してみた。しかし(やはりというべきか)、何社の新聞を行ったり来たりしたところで、事件について分かったことは僕が先程書いたくらいのものしか無かった。僕はシャープ・ペンシルの頭頂部を机にとんとんと当てながら、こういう疑問が自分の頭の中に湧き上がって来るのに気がついた。
「あの事件で『ほんとうに』起こったこととは、一体何だろう?」
 僕は家に帰り、出版社の彼に電話をかけ(僕には珍しいことだ)、被害者の関係者に連絡が取れるかどうかを尋ねてみた。すると彼は、被害者の母親がだいぶ精神的にまいってしまっているらしく、今は一切の取材を断っている、と言った。他の関係者は身元がよくわからない(所長は雲隠れしている)とも口にしていた。

 うーん。どうしよう。

 僕はその頃には既に、この事件のことについて何か自分の中で明確なビジョンが見えて来ない限り、おそらくは先へ進むことが出来ないだろう、ということを直感していた。小説もかくことが出来ないだろう。そうなれば死活問題である。僕はなんとかしてその事件の「ほんとうのこと」が知りたかった。
 そのことを彼に伝えたところ、彼は何か悩んでいるらしかったが、しばらくの沈黙のあと、「他言無用で」という条件付きで、被害者の母親の住所を、僕にだけ囁くようにして教えてくれた。僕は素早く近くにあったボール・ペンでメモ用紙にメモをとり、それが合っていることを彼に確かめてから、電話を切った。
 僕は彼の母親に取材を申し込もうかと考えた。しかし僕はとても個人的にものごとを考える人間であり、生粋の人間嫌いでもあるので、彼女に直接会って話を聞き、それをその場で自分の頭の中でじっくりと咀嚼をするのは、おそらくは厳しそうだった。ICレコーダーで録音したところで、そのときのリアルを文章にすることは難しかろうとも思った。そのため彼女とは手紙でやり取りをすることにした。
 僕は彼女に手紙を送った。その内容はこの本の冒頭に彼女が挙げていた通りである。
 割と長い時間が経過した後、彼女からの返信が茶色い封筒とともに僕たちの家のポストに投函された。それが彼女のワード・プロセッサーで打ったとみられる、「はじめに」と、彼の日記の一部であった。
 僕はその二つの「手記」を一字一句丁寧に辿り、ときには声に出して読み上げ、
「確かに自分とは無関係では無いのかもしれない」
と思った。僕はその二つの手記を何度も何度も繰り返し繰り返し読み、頭の中でよく噛んで味わい、そしてしばらく時間をおいて、それらが自分の中で消化されるのを待った。そして「そろそろかな」と思い、今この文章を書いている。以下は僕がこの事件を通して考えた「とても個人的なものごと」である。色んなところに話が飛んでいきそうだが、なるべく事件という一本の柱を通して書いていくつもりだ。