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私が韓国に固執する理由 vo.2

さて、vo.1を書いてからというもの、だいぶ時間が開きすぎて何から続きを書けば良いのか分からなくなった。韓国に固執する理由を探し求めていたような気がするが、終着地点はまだ定めていない。今日も思いつくままにだらだら書いていこうと思う。

前回は、私が韓国ワーホリへ旅立つまでを書いた。今日は、その続きで韓国ワーホリでどんな人と出会い、どんな出来事を経験し、何に心震わせたか、心震わすというと、まるで自分が真っ裸になるようで少し恥ずかしいが、ありのままに書いていこう。

私が韓国ワーホリを始めたのは2018年4月だった。コロナという単語が生まれる前の時代で、今となっては海外になんの弊害もなく行けたということがまるで幻かのようだが、ワーホリビザも申請すればすんなり取得できた。

韓国語は勉強していたものの、韓国現地で仕事を獲得できる自信がなかった私は、日本にいるうちにオンライン面接で、仕事を決めてから飛んだ。幸いにも、社宅まで用意してくれる会社を見つけたのは、20数年間生きてきた中でも、3番目には入る幸運だっただろう。

韓国に到着し、社宅で一夜を過ごした翌日、早速会社の新入社員説明会があった。同期は私を含め、7人。韓国人が2人と、日本人5人。(在日韓国人が1人いた。)

韓国語をスラスラと話す在日韓国人の同期を見て、羨ましさと悔しさに似た感情が湧いたのを覚えている。「私もこんなふうに韓国語で会話になりたい」そう静かに自分に誓った。

その会社に入社して数日も経たない、まだ右も左も分からなかったある日。早速私は、韓国社会を目の当たりにすることになった。

「誰々がクビになったって。」

少なくとも5年ほどは、日本の会社での経験をしていた私は、「クビ」というものは、単に会社が社員に規制や秩序を守らせるためにある、ただの単語だと思っていた。それが実際に効力をもつことがあるとは想像してもいなかった。

私は、この会社に在籍中にその単語が効力をもつ場面を数回、目の当たりにした。これがまさに、韓国社会なのか、と思った。日本では始末書を書かせるか、一定期間の出勤停止か、もしくは別の部署に飛ばされるか、そんな対応で済んでいたかもしれないことが、一人の生活に関わる収入源をいとも簡単に閉ざしてしまうのだ。

日本から出て生活する、とはこういうことなんだな、と痛感した。日本での当たり前が海外に出ると当たり前でなくなる。ただ、それに関しては、覚悟して来ていたし、自分の価値観を壊したかった私は、これが日本に帰る「理由」にはならなかった。

さて、今日は一旦ここまでにしようと思う。あまり進んでいないようにも感じるが、また次回(いつになるか分からないが)にする。


続く。

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