トム・デマルコ/ティモシー・リスター『ピープルウエア』の読書メモ③+α
ワインを飲みながら読み進められるはずもなく、昨夜は早々に眠りにつきました🍷🛌🏽今日もすでに眠たいのですが(休日にもかかわらず早起きしたのです)、昨日メモ書きしなかった内容が頭のなかをぐるぐるするので、忘れないうちに書いておこうと思いパソコンを立ち上げました。お気づきかと思いますが「つぶやき」でもよい内容ではあるのですが、若干引用が長くなりそうだということで、一応体裁を整えるためにこうしてタイプしているわけです。決して酔っているわけではありません🥳
さて、その内容というのは「第18章 幼年期の終わり」で書かれていることです。
ディズニーのフェローだったアラン・ケイは、テクノロジーとは、成長期にはなかったが今はあるものと定義している。ケイは、続けて成長期にすでにあったものにも名前があると言う。それは環境だ。ある世代のテクノロジーは、次の世代の環境となる。(P. 127;太字は筆者による)
この定義すごいと思いませんか。わたしはこれを読んだとき気持ちが高ぶりました。そういうことだったのか!
最も若い社員たちにとって、コンピューター、スマホ、ウェブ、プログラミング、ハッキング、SNS、ブログは環境であって、テクノロジーではない。(P. 127)
はー! 腹に落ちてきた!
われわれが酸素のことを気にかけないように(酸素は環境そのもの!)、生まれたときからそこにあるものはテクノロジーではなく、環境そのものであるということです。このことをわたしは理解する必要があったということに気づかされました。この文章と出会えてよかったです。