閉店ガラガラ。次はありません。永久出禁です

1度「あ、この人のこと無理だ」と思ったら一瞬で心のシャッターが降りて、二度と開きません。そんな厄介な生き方を今までしてきたし、これからも治ることはないと思います。
(シャッターってカメラじゃないです、お店の入口とかにあるやつです)
もしかしたら私の命の危機を助けてくれたとか、感謝してもしきれないほどのことをしてくれたとか、それくらい大きな何かがあればこの厄介な生き方が覆るのかもしれません。しかし運良くこれまで命の危機を感じたことはないですし、1度シャッターを降ろした人間がどれだけ感謝してもし足りないようなことをしてくれたこともないので、その可能性は省いた結果、今の今まで1度たりとも降りた心のシャッターが開くことはなかった。今後もないだろう、という結論にたどり着いたわけです。

自分の気持ちを整理するためにも、この心境ってどういうことなのか記しておこうと思いました。

例えば、人間をとても簡単に捉えたとして、人を構成するものが10個の要素だとします。
その10個のうちの1個の要素に対して「あ、駄目だ、この要素は受け入れられない」と感じると「受け入れられない要素を持つその人が無理」の感情になります。
仮に、受け入れられない1個の要素、以外の9個の要素のことは悪く思っていないorむしろ好意的であったとしても、絶対的に受け入れられない1個の要素があるだけでその人の全てを受け入れられなくなり、心のシャッターが閉じ、話したくないし関わりたくない不快な存在になります。なるほど…。
悪性要素がなくなればまたシャッターは開くのだろうか?と自分のことながら疑問に思いましたが、私が悪性要素だと感じるのは「服がダサい」や「食べ方が汚い」など、ともすれば改善する可能性を秘めていることではなく、その人をその人たらしめる部分というか、「テンション高く誰にでも話しかける」とか「人の悪口に共感し合って仲を深める」など、簡単には揺らぐことのないその人らしさを受け持っている部分が殆どを占めています。なので変わりようがなく、改善する見込みはなく、だから永久に受け入れることが不可能なのだと思いました。

学生時代はこんな厄介な生き方をしていても、受け入れられないと感じた子をインスタでミュートして、繋がってはいても自分の投稿を見られないようにして、その子が話している輪に近づかないようにして、数年も経てば進路によっては二度と会わない、卒業以降一切の連絡もとらないということもできたので、特別苦労せず過ごしてこられました。しかし毎年、歳はとってしまうもので、社会人になるとこの生き方は最悪でした。私が就職した会社の部署は席替えはほぼないので「席が近い」ということは「逃げ道がない」ということだと気付かされたのです。視界に入れたくなくても席が近いから必然的に目に入る。関わりたくないのに仕事によっては会議したり教わったり質問しなければならない。話したくないのに席が近いから世間話を振られる。地獄かここは。自分から回避できる手段がない。おしまいです。戦う前から負けてます。そっけない態度を取ったりそれとなくあしらったりすることが私にとっては本当に難しく、話したくないのに話しかけられたらヘラヘラして会話するために己の身を切って中身を見せて血まみれになって、後からなんであんなに身を切ってしまったんだろう〜〜〜もうこれ以上は絶対に見せないと誓って、また話しかけられると会話をするために身を切って、の繰り返しです。全部の会話に後悔を感じて、寝る前に思い出して反省して頭の中がもやもやぐちゃぐちゃになって心も削れていく。どうなってんだこの世界。
なら会社を辞めるか、と簡単には思えません。だって転職活動めんどくさすぎる〜〜〜〜。

受け入れ拒否をしてしまうとどんな話をされようが「知らね〜よ」「前にも聞かされたわ」「誰も聞いてね〜」「返事ダル」で脳内がいっぱいになります。私の大好きなラーメンの話をされたとしても、お前とラーメンの話したくねえよって思います。受け入れられないってこういうことなんですよね。

1度シャッターが降りてる時点でえげつないデバフがかかっているので、新たに発覚した11個目の要素が私がめちゃくちゃ興味があるものだったとしても、むしろその人のせいでそれについての興味を失うこともあります。

生きづらい。
だけど私のこういうところも私を構成している一部なので、治すとかが不可能なんですよね。
それこそ私という人間じゃなくならない限り治らないんだろうなと思います。

こんな人間もいるんだな、と思って貰えたら充分です。
ネットの広い海ですれ違ってくれてありがとうございました。

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