オタク趣味に「ハマれなくなる」不安を抱える人に知ってほしいこと ──ゲームゼミ週報
最近、たまたまXでこの漫画を読んだ。(Unsplash)
この漫画に限らず、ここのところしょっちゅう「オタクが中年に差し掛かり、急にアニメや漫画にハマれなくなって困惑する」という新手の「中年の危機」エピソードを見かける。既にオタク趣味が普遍的なものになり、また彼ら彼女らが高齢化していく中で、自然と浮かび上がる問題なのかもしれない。
しかし、筆者なりの主観を述べると、実はこうした不安はすべて杞憂だと思う。
人間は飽きる生き物
まず、この手のエピソードで筆者が違和感を覚えるのは「ハマれなくなった」という言葉遣いである。「ハマれなくなった」というのは日本語的にも不適切で、本来ここは「飽きた」と書くべきではなかろうか?
実は人間は「飽きる」ことができる貴重な生き物である。そして飽きることは何の問題でもない。むしろ人間のすばらしさだと言っていい。飽きるからこそ新しい出会いを求めて冒険ができるし、挑戦や努力ができる。人間が仮に「飽きない動物」だった場合、今でもどんぐりを拾って狩猟をする社会だったのは間違いない。
初めて遊んだゲーム、初めて行った映画館、初めての一人旅、何でも初めては面白い。そして徐々に飽きていく。実はゲームは予算の限界が結構あるんだなとか、映画は同じような脚本で成立してるんだなとか、日本って山ばっかりなんだなと感じる。これは何も趣味ばかりでなく人間でさえそうだ。恋人でさえ同棲して1年も経たずに、色々な欠点が見えてくる。
つまり、良くも悪くも人間には学習能力がある。色々なことを学び、酸いも甘いも知った結果、これ以上「知る」ことができなさそうだと悟ると「飽きる」。そして新しい趣味、環境、人間関係を模索していく。
だから「ハマれなくなった」のではなく「飽きた」なら、実のところ不幸でも何でもない。誰でも大好きなラーメンでも1週間毎日食べれば確実にゲンナリするだろうし、子どもの頃に好きだったチューイングガムは今や名前も思い出せないだろう。オタクでもオタクじゃなくても、人間であるからには当然飽きる。今これを読むあなたも、今まで無数のことに「飽きて」きたし、今後「飽きる」こともわかっているはずだ。
人間は飽きる生き物なので、別段、「ハマれなくなった」ことを嘆く必要はない。むしろ進歩や成長のタイミングでさえあると言える。
「ハマりたい」なら極めるしかない
いや、んなこた~わかってるよと怒られそうなので真面目に追記する。たぶん「飽きた」のでなく「ハマれなくなった」と言うのは、逆説的に「飽きたくない」「ハマりたい」という気持ちがありながら、実情の心理と乖離してしまったことが問題なのだと思う。
では「飽きずに、ハマる」にはどうすればよいだろうか。
結論から言えば、これは「飽きた先に、極める」ということが大切なのだと思う。
まず、多くの趣味は、実は「理解した=飽きた」先にこそ深みがある。梅原大吾の「ゲームに飽きた人は成長しないことに飽きただけ」という名言と同じく、大抵の趣味はその人が考えるより奥深い。例えば山登りを趣味にして、富士山を登頂できたとしよう。富士山は日本最高峰の山なのだから、それで「飽きる」という人もいるだろう。しかし、実際にはもっと厳しく、難しい剣岳がある。世界にはマッターホルンやエベレストがあり、しかもこうした山々を無酸素や単独登頂だのの「縛りプレイ」を介してまで登る人もいる。
恐らく人間にとって「飽きた」と感じるのは、実際には何らかの大きな「壁」にぶち当たっただけであり、その「壁」の高さ故に諦めているだけの可能性が高い。
登山における「富士山」はまさにこれで、実際、夏の富士山なら、若い男性が多少の訓練するだけで登れてしまう。しかし剱岳レベルとなればそうもいかない。厳しい岩々と激しい高低差が牙を剥き、生半な登山者なら当然のように死ぬ。だから多くの人は富士山と剱岳の間で「飽きた」と言ってしまうし、逆に剱岳すら登れるような人は数年で登山に飽きるということはまずない。
実はこれ、漫画やアニメ、ゲームであっても全く同じことが言える。これらは登山のようなハッキリした目標こそないが、作品を鑑賞し、そして理解するという点においては、人間が一生を懸けても到底極められない趣味である。単純な話、死ぬまでに世界中で発売されたゲームのうち、一体何%をプレイできるだろうか?そこで描かれたストーリーの意図や、グラフィックスが彩る芸術について、何%理解できているだろうか?まるで想像もできない話だ。「飽きた」と言って逃げるのも無理はない。
つまり「飽きた」と思った事柄について、もっと知ろうとすること。実は自分が「飽きた」と思っていることは、自分が気づかないだけで他の魅力がある。まして、漫画やアニメを楽しむにしても、多くの人は表面的な情報とソーシャルメディアの共感で「理解したつもりになっている」だけでは、10年もたたずに「飽き」の壁にぶつかるのは確実だ。問題はその壁をいかにして乗り越え、生涯の趣味にするか。
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