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歌舞伎町のホストは クリアソン新宿の夢を見るか?

一人のサッカープレイヤーとして、ビジネスパーソンとして、新宿で Criacao Shinjuku(以下、クリアソン新宿)というサッカークラブをつくっています。

note、久しく書いていませんでしたが、今回 筆をとったのは、クリアソン新宿の "特別さ" について 考えてみたくなったからです。2005年からスタートしたクリアソン新宿が、"クリアソン新宿である" とはどういうことなのか、書き記しておきたくなったので、いくつかのキーワードで、ありのままの分析をしました。

自分たちが優れているとか、誰かが劣っているとか、そんなサッカー界でパイを奪い合うような批評をするつもりはありません。多少、感情的になって、関西弁になっている部分があるかもしれませんが、ご容赦いただければ幸いやで。

0/ 現在地とインパクト

クリアソン新宿は、昨年11月、新宿区と包括連携協定を締結し、新宿区にとっても公式の存在となっています。昨日は、公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)から「百年構想クラブ」の認定を受けました。百年構想クラブとは、Jリーグ入会のための必須の資格で、準加盟にあたります。東京都23区の中では、南葛SC(葛飾区)に次いで2番目、例えば都心5区(千代田区、中央区、港区、渋谷区、新宿区)という単位を持ち出せば、初めてということになります。

サッカー先進国のイギリス・ロンドンには、中心部から5km 圏内に、チェルシー、アーセナルというビッグクラブがあります。日本の場合、仮に東京駅を中心部と定義した場合、例えば 味の素スタジアムは、そこから約25kmの距離にあります。5km 圏内であれば、新宿区にある国立競技場、そこから渋谷区にまたがる神宮外苑、文京区にある東京ドームなどが該当します。

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©︎Soushi Kawaguchi

僕は、都心あるいは副都心と呼ばれる地域に 素敵なサッカークラブがあって、数多くの人々の生活の一部となる未来を想像しています。「都会はすごい」とか「地方はすごくない」とか、そういうことではなく、僕はただ単に、これまでの日本サッカー界に欠けていた最後のピースを、この手で埋められるかもしれない −– そんな可能性に触れて、プレイヤーとしてのピークを、このクラブにベットしようと決めただけです。

今年、Jリーグから 5人が加入しました。J1通算365試合出場の小林祐三や、昨シーズン J2で 40試合に出場した瀬川和樹など、その多くが、まだ Jリーグで活躍できた選手たちです。彼らもきっと、僕と同じような感覚を覚えたのだろうと、勝手ながら思っています。


1/ 理念

クリアソン新宿には、"Enrich the world." というタグラインがあります。クリアソン新宿は、サッカーという方法を使って、世界を豊かにすることを目的として活動しています。

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世界は「アメリカ」のことも「僕自身」のことも含む言葉です。近くも遠くも、"世界" を豊かにしたいと思っています。

そのために、目標として「世界No.1のサッカークラブ」を掲げています。この定義は日々アップデートされていますが、サッカーというものをやる以上、競技での定量的な世界No.1、つまり「リヴァプールと試合をして勝つ」ということも、当然に意味しています。

夢物語、あるいはプロモーションの一環だと思われるのは、仕方のないことです。しかし、クリアソン新宿はリアルガチです。言うは易し、行うは難しですが、実は「言うも難し」です。言葉にするということには、それなりの制約や責任が付きまといます。しかし、そうした制約や責任を引き受けても、逃げも隠れもせず信念を語ること、嘘偽りのない場所に未来を置くことを優先しています。

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クリアソン新宿を応援する人から、「クリアソン新宿は、理念が歩いているようだ」と言われたことがあります。意思決定をする際、クリアソン新宿は常に理念から考えます。

大人になるにつれ「〇〇すれば、〇〇になる」という因果が見えるようになってきます。AIはその精度を高め、テクノロジーは往々にして その実行を簡単にしてくれます。現代は「どうするか」が優先され、重要とされる時代です。

あなたの周りにも「どうすれば上手くいくか?」ばかりを考えている人・組織がいると思います。そうした思考を続けていると、自らを、アウトプットやアウトカム(成果)でしか定義できなくなります。それが、方向性のズレ、内部分裂を引き起こし、結果的に "高くつく" ことがあります。ロックバンドの解散も、国際紛争も そうかもしれません。

しかし、クリアソン新宿は「どうするか」よりも、理念に照らし合わせた「どうあるか」を大事にしています。クラブの経営でも、試合後のMTGでも、飛び交う言葉は「どうありたいのか?」です。

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結果と呼ばれるもの、クラブであれば勝利、会社であれば利益を求めることは当然です。しかし、それが理念と対の関係になることはありません。僕たちは いつでも「どうあるか」を先に置いて、その姿のまま、結果を出すために「どうするか」を考える。それだけのことです。

クリアソン新宿は、かねてより非常に難しいチャレンジをしています。サッカーとビジネスを両立させること、それを新宿という場所ですること。僕はまだ 3年目ですが、クリアソン新宿はずっと以前から、理念を語り続け、「無理だろう」と言われ続けてきました。きっと、自分たち自身でも「無理かもしれない」と反芻してきたはずです。それでも「どうありたいのか?」自問し、クラブをつくってきた。だからこそ、ここまで来ることができた。

クリアソン新宿に こうした文化が根付いているのは、結果至上主義のスポーツ界に対して、アンチテーゼを持ってきたからです。結果だけに夢中になって、結果以外の大事な物を見失わないように、議論を重ね、思想を、時には憤りを、組織構造に落とし込んできました。

2/ 事業

普通のサッカークラブは、運営会社と、サッカークラブという関係性です。しかし、クリアソンの場合は、株式会社Criacaoという組織がありますが、これは運営会社ではなく、一つのベンチャー企業です。クラブ事業の他に二つの事業を持っています。

まず「人材」です。スポーツと共に生きてきた大学生に対して、キャリアアドバイザーが就活のサポートを行っています。アスリートが企業で活躍する、企業がアスリートを活躍させるために、知見を活用し、コンサルティングをしています。

もう一つは「教育」です、日本ブラインドサッカー協会とアライアンスパートナーとして活動したり、競技を問わないアスリートのコミュニティをつくり、スポーツで体験した学びを、クライアントの人材開発・組織開発に合わせてプログラム化したりしています。


株式会社Criacaoにとって、サッカークラブ クリアソン新宿は、事業の一つと言えます。サスティナビリティーの観点から考えると、コロナ禍でサッカークラブが経営難になったことは、サッカーというコンテンツをエンタメとしてしか売れないリスクが顕在化したということかもしれません。クリアソン新宿の場合は、上に書いた通り、サッカーやスポーツのエンタメ以外の側面も、ビジネスとして運用しています。

クラブを支援してくれる企業・団体とも、広告露出やCSRなど "点" で関わる「スポンサー」ではなく、事業や地域活動など "面" で関わる「パートナー」と呼び、双方のアセットを活用し合いながら、共に歩む存在として 連携しています。

サッカークラブを「株式会社Criacaoの 事業の 一つ」というと、少しドライな感じもします。しかし、株式会社Criacaoにとってのサッカークラブは、いつまでも シンボリックな存在です。

ストーリーをたどれば、サッカーに価値があるからこそ、それを人材、教育の領域へ展開してきました。2005年のクラブのスタートから、遅れて 2013年に法人化(株式会社Criacao 創業)、事業がはじまっています。事業会社がサッカーをはじめたわけでも、クラブを買収したわけでもなく、サッカークラブが その価値を使って事業をはじめたのです。そうして、今の形があります。

3/ 人間

最後に、クリアソンをつくる人たちについて。事業の説明の流れのまま、株式会社Criacao には、社員が約30人います。履歴書的なすごいどころだと、例えば 東大×2、京大×2、一橋、慶應×2、早稲田×2 出身者がいて、そこで大学スポーツを経験し、それぞれ 伊藤忠商事、JR、ソニー、総務省などを経て、クリアソンにジョインしています。

学歴社歴はどうでもいいのですが、面白いのは「そこでは実現できないけど、サッカークラブでは実現できるかもしれないこと」があったから、彼ら彼女らが、給料や地位や安定を捨てて(捨てたもの多すぎだろと思う)、クリアソンに参画したという点です。みんなが、この共通のテーマを成すために集まっているという事実は、僕たちを強く結束させています。

そして、クリアソン新宿の選手には、サークル出身、体育会出身、Jリーグ出身、そして現役大学生がいます。J1で350試合以上のキャップ数を持つ人もいれば、高校卒業して8年間サッカーから離れていた人、サークルの大会で髪の毛を緑色にしていた人(?)もいます。

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その選手の中に、前述の株式会社Criacaoで働いている人が半分、そうではない人が半分います。そうではない人は、例えば、マイクロソフト、アビームコンサルティング、リクルート、サントリーなどで、ビジネスパーソンをしています。特に彼らは、サッカー界とは違うモノサシで、サッカーをしています。生活のために、サッカーをやっているわけではないのです。

これは、ウィークネスになる瞬間もあります。試合に出られなくてもクビにはならないし、「サッカーでないといけない」という渇望感は足りないかもしれません。

それでも、僕たちが誇りに思っているのは「誰に頼まれたわけでもないけれど、サッカーをやっていること」です。あるとき、1人の選手が「サッカーとビジネスを両立することは偉いことじゃない」と言いました。確かに、その通り。偉くもないし、ましてや褒めてもらいたいわけでもない。僕たちは、僕たち自身で、サッカーをすることによって何が得られるのかを考え、サッカーをすることを決めているのです。

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クリアソン新宿のすべての選手は、サッカーという行為で お金をもらっていません。お金とは−− 今更 語ることでもありませんが「豊かさを得るためのツール」です。それ自体は豊かさではない。もっと言えば お金とは「自分にとっての豊かさが何かまだ分かっていない人のためのツール」です。いつか 分かったときに、その豊かさと交換するために、とりあえず持っておくものです。

プレーすることに限らず、サッカーを通して体験されることが、自分を豊かにすることに気づいているのであれば、会社としては都合がいい主張かもしれませんが、金銭の授受の必要性は絶対ではないわけです。この業界においては とても信じられないかもしれませんが、事実、僕たちはそうやって、チームをつくっています。

僕たちが豊かにしたい「世界」が「近くも遠くも」を意味すると言った通り、こうして、まずクラブの内側の人間たちが豊かであることが、最も重要です。

「クリアソン新宿は誰に何を与えるのか?」とかややこしい議論になったときに、選手で 取締役の剣持はいつも「自分は、サッカーと関わって豊かになった。だから、みんなにも関わってほしいだけ」と言います。僕たちが豊かだからこそ、僕たち以外の人にもそれを配りたいと思う。ミッション・ビジョンを語るとき、風呂敷を広げる瞬間もありますが、僕たちの外向きのエネルギーの源泉は変わらずここにあります。

最後に、その他、2005年からクラブ・会社をつくってきた人たち。今も 様々な関わり方で、クリアソン新宿をつくってくれている人たち。僕は、たまたま この瞬間、クラブの中にいただけの人間ですが、深く感謝申し上げます。

4/ そして、新宿のサッカークラブは

ずっと私見ですが、ここからはさらに私見です。

これまでのサッカー界では、勝利を追求し続けること、その中で 可能な限りスペクタルなサッカーをすることが、おおよそ考えられてきたすべての価値で、それが受取り手にとっての "価値" かどうかには、さらに関心を払ってこなかったように思います。

時に「勝負の世界はそういうもの」とか「プロスポーツだから」とか、そうした、プロフェッショナリズムとも言えない ニヒリズムを逃げ道にして、サッカーファミリー以外の人たちにとっての価値を想像しないできたことに、僕はずっと疑問を持ってきました。

日本において、サッカーファミリーが意外と少ないのは、Jリーグの市場規模を見ても、街を歩いていてももう明らかです。これから先は、もし日本のサッカー界の未来を明るいものにしたいのであれば、サッカークラブに課されているのは、この価値を考え続けることです。

人口の10.5%の3万6000人が外国籍で、単身世帯が都内で最も多い67%、そして1日350万人の乗降客を抱える新宿駅を有する、世界トップレベルの「人々が行き交う街」で、サッカークラブに何ができるのか。僕が "価値価値" 言ってきたことが試されています。

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価値を、仮に課題解決であるとしたとき、その人・街の課題が、100%、サッカーで解決されることはありません。サッカーにそんな力はありません。しかし、サッカーであれば解決できる領域、サッカーでないと解決できない領域も、きっとあるはずです。

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僕は20数年間を、手ではなく足でボールを使うことに賭けてきました。サッカーをしてると、ふと「ボールを奪われたくないなら、手で持っておけばいいじゃないか」と思って、アホらしくなるときがあります。20代も後半になったというのに、身体をボロボロにしながら、味方と罵声を浴びせ合いながら、鉄枠にネットのかかった物体に ボールが入ったとか入ってないとか、もう、盛大なコントなんじゃないかと思うことがあります。

(スポーツ、というと怒られるかもしれませんので)サッカーは、冷静に考えれば、本当に "しょうもない" んです。そもそも なんで足でやるねんと。しかし、だからこそ、観る人にとっては、ほとんど何の利害関係も生まれず、等しく、サッカーを観ることができる。これは、ビジネスだったり他のものだったりすると、そうはいかない場合があります。

新宿でホストクラブを運営する Smappa!Group会長で、歌舞伎町のスポークスパーソンである手塚マキさんと対談をしたとき、彼はこう言っていました。「クリアソン新宿が、街の人たちにとって "生きる糧(かて)" ではなく、"世間話のネタ" になればいい」と。

いつの間にか、社会的な線引きによって「あなたたちはA」「あなたたちはB」と、グルーピングされてしまう人間社会、特に新宿。(仮に多様性という言葉を使うとすれば)どれだけ多様な人たちが新宿にいたとしても、クリアソン新宿のサッカーを観て感じることは、きっと大きくは変わらないはずです。

少しでもクリアソン新宿が好きなら、勝てばちょっと嬉しい、負ければちょっと悲しい。シーズンチケット持ってなくても、選手の名前を覚えていなくても、全然OK。そんなことより、ルールがわからなくても、言葉が通じなくても、スタジアムに来れなくても、同じものを観て、近しいことを感じて、ちょっとした世間話のネタになって。試合が終わると、もしかすると違うところに戻っていくかもしれないけれど–– そんな存在になれるとすれば、サッカークラブが新宿にあってもええんちゃうかなと思うわけですわ。

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井筒 陸也
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。