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「骨の消滅」 第一章 出会い
ぼくは中山圭吾。この春、二浪の末、鳥取のTK大学に入学した。
TK大学は故郷の新潟からずいぶん離れている。しかし、どこでもいいからそろそろ受かってほしいという両親の無言のプレッシャーもあり(そのうえに滑り止めでぎりぎり合格できたのだから)、行かないという選択はぼくにはなかった。ただ、滑り止めだったものだから、部屋探しに少々手間取った(遠距離の学生は試験時に住む部屋を仮押さえするものらしい)。
3月の末にようやく決まったそのアパートは、災害指定地域の小高い山下に建てられていた(どおりで残っていたわけだ)。大学まではかなり距離があるが、近くのバス停からバスが大学まで出ているので、交通の手段に困らないのは救いだった。
部屋探しの時にお世話になった駅前の不動産屋の手引きにあった「横隣の住人に挨拶を忘れないように」とのマニュアル通り、新潟の名物「笹団子」をもって、お隣(といっても、ぼくの部屋は角部屋なので、お隣さんは1名だけれど)にさっそく挨拶にいった。
ドア右横にあるベルを鳴らすと、しばらくして中からいくぶん甲高い声が聞こえてきた。ドアが開くと、中から中年のような人物が顔を出した。いかにもめんどくさそうな様子だったが、「お隣に引っ越してきた中山といいます。今後、よろしくお願いします」といって「笹団子」を渡すと、急に態度が変わって愛想よく手土産を受け取ってくれた。
驚いたことに、彼はぼくと同い年だった。T大学の地域学部で今年から3回生になるという。本人の口から説明を受けないと、きっと誰もそうは思わないだろう。なぜなら、彼の容姿は(失礼ながら)あまりにも20歳に見えなかったからだ。
けして、老けて見えるというわけではない。ただ、彼の頭には髪がほとんどなかった。前頭葉の部分に一部の髪を残して、ほとんどが失われていた。頭の形はみごとなたまご型をしているので、よけいにその残りの髪が目立ってしまう。ギャグマンガに出て来そうな髪型といってもいいだろう(失礼な話だけれど)。
近眼なのかメガネを掛けていて、見えているのかわからないくらいの細い目が目立っている。顔のパーツ自体は中心に寄っているので、よく見たら年相応の若さにも見える。
身長はぼくより10センチくらい低いので、160前後というところか。体形は小太りで頭の大きさに比べて手足は短いようだ。やっぱり漫画のキャラクターにも見える。
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あまりにじろじろ見るわけにもいかないので、早々に立ち去ろうとすると、手土産の「笹団子」に目を止めていた彼が「きみ、もしかして新潟の出身?」と聞いてきた。
彼の名は出雲 太。出雲神話に深入りすることになる人物との出会いだった。
*
「まぁ、上がってよ」
そういわれて、一瞬戸惑った。
引っ越しの挨拶にいって、部屋に案内されるなんてことがあるのだろうか。それともこの地域ではそれが普通の風習なのだろうか。というのも出雲さんは地元の方で、鳥取市と隣接している八頭町の生まれだという。
「郷に入りては郷に従え」ということばもあるので、ここは素直に従ったほうがいいと思い、そのまねきに応じた。ぼくは基本的に従順なのだ(そして、この性格のせいで思わぬ出来事に遭遇することになるのだが、まぁそれはもう少し先の話だ)。
「お茶を入れるから、そこらへんに座っててよ」といって、招き入れられた部屋は、当たり前ながらぼくの部屋と間取りも一緒だった。9畳一間の1DK。しかし、この部屋がぼくの部屋とはっきり異なるのはその独特の匂いだった。どうやら部屋でお香を焚いているらしい。さらにいうなら、部屋で流れているこの独特な音楽は何なのだろう。
「これはなんの音楽ですか?」と聞くと、出雲さんは喜多郎の「古事記」というCDだと教えてくれた。
なんだか、NHKの自然をテーマにしたドキュメンタリーで流れているようなサウンドトラックだなと思った(とはいってもぼくの家にはテレビがないので、NHKをみることはないのだが)。
「喜多郎は「シルクロード」が有名だけど、このアルバムもいい味出しているよ」と、キッチンのほうから出雲さんの声がする。ぼくは「はぁ」とあいまいに返事をせざるをえない。あとでググってみると、喜多郎はグラミー賞も受賞したことがある偉大なキーボーディストであることを知った。
どうやら、出雲さんは雰囲気を大切にする人らしい。ぼくはお香を焚き、このような音楽を流す人に今まで出会ったことがなかったから、少しだけ彼に対して興味がわいた。
しばらくして、出雲さんがお茶を出してくれた。
「つまらないものだけど」といって出してくれたお菓子が、ぼくが持ってきた笹団子だったのには少々驚いたが、そういう風習がこの地域ではあるのかもしれないと思い、素直に頂戴した(後で、そんな風習はあるはずもなく、出雲さんだけのいい間違いだと気づいたのはずいぶん経ってからだった)。
「ところでさ、圭吾くんは出雲崎って知ってる?」
「もちろんですよ、隣町です」
そういうと、出雲さんは目を輝かせ、嬉しそうに話したのが出雲神話の話だった。出雲さんは名前のせいもあって、昔から出雲神話に関心があったという。さらにこの地・鳥取は昔、因幡国と呼ばれていて、出雲神話の「因幡の白兎」の話もあり、妙な縁を感じていたという。
因幡の白兎
出雲の神様達が因幡の矢上比売に求婚しに出かけたときのことである。
神様達が因幡の気多の岬を通りかかったときに、身体の皮を剥がれて泣いているウサギがいた。神様達は「海に浸かって風に当たるとよい」といったのでそうすると、ウサギは余計に傷が痛んでしまった。
そこに神様達の従者であった大国主命が通りかかり、「どうして泣いているのだ?」と問うと、ウサギはこう答えた。
「わたしは隠岐の島に住んでいたのですが、一度この国に渡ってみたいと 思ってわたる方法を考えていました。するとそこにワニがきたので、彼らを利用しようしました。わたしはワニに自分の仲間とどっちが多いかくらべっこしようと話をもちかけました。
ワニたちは私の言うとおりに背中を並べはじめて、私は数を数えるふりをしながら、向こうの岸まで渡っていきました。しかし、もう少しというところで私はうまくだませたことが嬉しくなって、つい、だましたことをいってしまいワニを怒らせてしまいました。 そのしかえしに私はワニに皮を剥かれてしまったのです。
私が痛くて泣いていると先ほどここを通られた神様達が、私に海に浸かって風で乾かすとよいとおっしゃったのでそうしたら、前よりもっと痛くなったのです」
それを聞いた大国主命は「真水で体を洗い、蒲の花を摘んできて、そこに寝転ぶとよいでしょう」と助言した。ウサギはそのようにすると、元の体に戻ったので、それを喜んだウサギは「矢上比売はあなたのお后になるでしょう」と予言し、そのようになった。
この神話を「因幡の白兎」という。
いわれてみれば、出雲さんの本棚には出雲神話に関する本が多かった。「君もそうだろう」という視線を感じたが、出雲崎の隣町に住んでいるからといって、出雲神話に関心を持つようになるなんてことはほとんどないだろう(少しくらいは、いるのだろうか?)。
ぼくが、残念ながら出雲神話についてはあまり詳しくないと正直にいうと、出雲さんは見るからにがっかりして、急に態度が変わり「いったい、君は何を学んできたのだね」と苦言を呈する始末。
戦中ならともかく、今の時代、学校で神話を教わることもないし、普通に生活していて出雲神話に触れる機会なんてないよと思ったが、いきなり引っ越しの挨拶で気まずい雰囲気になるのもどうかと思い(そういうところがぼくの悪いところだ)、出雲神話について知りたいですとうっかりいってしまった。
そこから2時間、出雲神話についての無駄に長い講釈が始まるとは、思いもしなかった。
*
その後、みっちり出雲神話について聞かされたぼくは、ほうほうの体で部屋に逃げ帰った。
出雲さんの出雲神話に対する熱量は凄かった。ぼくが咀嚼できる話ではないものの、要点だけまとめるなら(まとめることがぼくにできるならということだが)、出雲さんは現代のシュリーマンを目指しているということらしい。
ハイリンヒ・シュリーマン
ギリシャ神話の伝説の都市・トロイアを発掘し、神話が歴史上の出来事であったことを証明した考古学者のひとり。
この日本にも、神話というものがある。
日本の神話として挙げられる代表的なものは「古事記」、「日本書紀」の神代の箇所だろう。特に「古事記」は出雲神話についてより詳しく書かれており、出雲さんはこちらを参考にしているそうだ。
神々の代
イザナギ・イザナミが国生みによってこの日本列島を生み出す。その後、イザナギ・イザナミの子神・スサノオが高天原から出雲に天下り、ヤマタノオロチを退治する。スサノオの活躍ののち、大国主命が登場し、「国造り」をはじめる。国は栄えたが、スサノオの姉弟神・アマテラスが日本列島はもともと高天原の国であるとして、大国主命に返還を要求する。そして、大国主命は色々あったが最後にその要求に応じ、「国譲り」をする。
ここまでを神代とする。
出雲さんによれば、このような神話の中にも、歴史上の事実が含まれている可能性があり、その真実に迫りたいのだそうだ。ぼくはまさかヤマタノオロチが実際にいたとは到底思えなかったが、部屋に帰してもらえそうにないので黙って聞いているしかなかった。
まぁ、それはともかく、引っ越しの挨拶は無事済ませたので、これでよしとしよう。ぼくにはぼくの学生生活があるし、出雲さんには出雲さんの学生生活があるのだ。今後、我々が交わることはもうないであろう。いや、そう願いたいものだ。
あたらしい学生生活を前に、ぼくは期待に胸を膨らませていた。夜風はまだ肌寒く、吐く息は白かった。部屋には引っ越しの荷物の入った段ボール箱が散らかったていたが、心地よい疲れとともに、ぼくはすぐに眠りに落ちた。まるで出雲さんとの出会いがなかったかのように。
しかし、この出雲さんとの出会いが、始まりですらなかったことを知るのはもう少し後のことであった。