小説「海辺のカフカ」感想
海辺のカフカおもしろかったー。
ああ、面白かった。
15歳の頃は、皆んなあんなにも破壊的な脳内になるものなのだろうか。
世の中の人たち、皆んなどうなんだろう。
カフカは男だけれど、私はあの人の感覚に共感する。
一番好きな場面は、目が覚めるとカフカが神社の木の下に倒れていて、シャツに知らない人の血痕がついている。そこから始まる場面。
色んな話が展開されていく中での、
あの唐突さ。
あの唐突さは、色んなものに類似していると思う。
人が生きていて起こり得る日常で起こる唐突さ、それを文章で表現するとしたら、あの場面になり得るんじゃないかと思う。
例えば、地震とかの唐突さ。
あとは親しい人の思いがけない一言とか。
そういう一瞬にして熱風にあてられるような時。
私はああいう〈瞬間〉とか、その一瞬を文章にしてみたいと思っている。
〈瞬間〉を描いていくとしたら私はこの場面に匹敵するものを書けるようになりたい。
この場面好きだなー、
唐突ではあるけれど、それまでに至る文脈はしっかりとあるから、読んでいる人が解釈する事の可能なスレスレな感じが良い。
文脈はあるけれど、決定的な事が書かれていない。それがこの本の特徴なのかなと思う。
あの場面でカフカがTシャツに血を付けているという事は、カフカがあいつを刺したんだろうなと思うけれど、その仮定をしたら他が崩れてしまう。
そんな安易な答えじゃないと思う。
でも...、"その安易さ"みたいなものが、カフカに今足りてない部分として描かれているのではないかと思う。
深く複雑に考えればいい訳でもなく、ゆったりと余裕を持って考えるのでもなく、ただ"安易に決めてみる事"。
そういう気軽さみたいなものがこの物語のどこにも描かれていないような気がする。
気軽さという意味では、登場人物の中に飄々とした人物は何人か出てくる。
けれども、カフカの視点で描かれていない場面も、なぜかカフカの視点がまとわりつく感覚がある。
故に、他の登場人物の視点で物語を考える事が難しい。そう作為的に書いているのではないかと思ってしまう。
それか、私が複数の視点で物事を見ようとするのが下手なだけかもしれないが。
一層に難しいと思うのが、母親らしき人とカフカの関係を考えるだけでなく、父親と姉との関係など、カフカから見て家族が"完全な未知"として描かれているところ。
ここまで未知というのは、孤独なんだろうなと考える。
私がこういう風に考えるのは、私の生活が恵まれていたと思うから持つ価値観なのかなと思う。
私は孤独を感じると、それに対して反応をするし、孤独への改善策をとろうとする。
私は孤独を解消する術を持っていて、それに手を伸ばす事が出来る。人によって、手の伸ばし方は違うと思うけれど、私の場合は勇気が必要。
つまり、カフカはそういう術がなく暗闇を彷徨っているような感覚なのでは無いだろうか。
何かしらの術を持つ事が、その人の人生をより豊かにするものではないかと思う。
カフカの旅にメリットがあったとすれば、図書館の青年と出会えた事だと思う。
青年と出会えた事は紛れもなく事実だと思う。他の事が全部嘘と言われても納得するけれど、あの青年とカフカの出会いはきっと本当なんじゃないかなと、信じたい。
舞台の『海辺のカフカ』を考えるために読んだけれど、読むの遅すぎた。5年前くらいに観たから。
ここまで離れてしまうと、本も舞台も別物として捉える事しか出来ない。
勿体無い事をしたと思う。
でも、本を読むきっかけになって良かった。
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