口伝鈔 第16章 「信のうえの称名」 ポルトガル語、日本語原文・現代文 朗読動画あり。
Capítulo 16
Sobre recitar o Nome baseado na Fé
Kakushin de Takada76 era um discípulo de Mestre Shinran. Quando Kakushin foi acometido de uma doença grave e enfrentou seu fim, Shinran foi para sua residência e o encontrou em sua condição crítica. Embora sua respiração estivesse difícil e começasse a falhar, ele não parou de recitar o Nome. O Mestre disse: "É maravilhoso colocar esforço em recitar o Nembutsu enquanto sofre, mas você tem alguma pergunta sobre recitar o Nome no momento final? Diga-me o que você pensa.'
Kakushin respondeu:"Um momento de alegria se aproxima, um momento se aproxima. Dizem que tudo acontece num instante, mas enquanto houver uma respiração, devo expressar minha gratidão à benevolência do Buda por me permitir receber o grande benefício do“Ir-nascer“.
Mestre Shinran respondeu: "Esta é uma expressão de seu constante serviço ao longo dos anos". Tão emocionado ficou que torrentes de lágrimas lhe brotaram dos olhos.
76
Também conhecido como Taro
原文
信のうえの称名
(16)
一 信のうへの称名の事。
聖人[親鸞]の御弟子に、高田の覚信房[太郎入道と号す]といふひとありき。重病をうけて御坊中にして獲麟(かくりん)にのぞむとき、聖人[親鸞]入御ありて危急の体を御覧ぜらるるところに、呼吸の息あらくしてすでに絶えなんとするに、称名おこたらず、ひまなし。そのとき聖人たづねおほせられてのたまはく、「そのくるしげさに念仏強盛の条、まづ神妙たり。ただし所存不審、いかん」と。覚信房答へまうされていはく、「よろこびすでに近づけり、存ぜんこと一瞬に迫る。刹那のあひだたりといふとも、息のかよはんほどは往生の大益を得たる仏恩を報謝せずんばあるべからずと存ずるについて、かくのごとく報謝のために称名つかまつるものなり」と[云々]。このとき上人(親鸞)、「年来常随給仕のあひだの提撕(ていぜい)、そのしるしありけり」と、御感(ぎょかん)のあまり随喜の御落涙千行万行なり。
覚信房
かくしんぼう
『交名牒きょうみょうちょう』によると、下野国しもつけのくに高田(現在の栃木県芳賀郡)の住。慶信の父。『口伝鈔』に註して「太郎入道」とある。『御消息』の蓮位添状によると、病をおして上洛し親鸞聖人のもとで往生したという。(消息 P.750,消息 P.766)
獲麟
かくりん
麒麟を得ること。孔子の『春秋』が麒麟の記事で終わっているところから、絶筆·擱筆·臨終などの意に用いられる。(口伝鈔 P.901)
すでに
現生ですでに。今まさに。もはや。もう。(歎異抄 P.846, 口伝鈔 P.902, 一代記 P.1326)
まづ神妙たり
まずしんびょうたり
何はともあれ殊勝なことだ。(口伝鈔 P.902)
所存不審
しょぞんふしん
どういう思いで念仏しているのか。(口伝鈔 P.902)
提撕
ていぜい
教えみちびくこと。(口伝鈔 P.902)
御感
ぎょかん
感激。感動。(口伝鈔 P.902)
東本願寺聖典 ふりがな付き
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=668
現代文
16
信のうえの称名念仏のこと。
聖人<親鸞>のお弟子に高田の覚信房<太郎入道と名のった>というひとがあった。重病にかかって、聖人のお住居でなくなろうとしたとき、聖人<親鷺>がお部屋におはいりになって、危篤の様子を見守っておられたところ、息もあらくすでに絶えようとしているのに、称名念仏を一時も怠ることがなかった。そのとき聖人がお尋ねになって、「その苦しそうな中にも念仏を称えつづけていることは、なによりも殊勝なことである。だが、思うところになにか不審はないか」といわれた。すると覚信房は答えて、「よろこびもすでに近づきました。わたしの生命もわずか一瞬に迫っています。一瞬のあいだであっても、息の通うあいだは、浄土に生れる大きな喜びを与えられる仏のご恩にこたえ、お礼を申さないではおられないと思われますので、このように報謝のための念仏を称えているのであります」と申しあげた。この時、聖人は「年来、わたしにいつもつき随って仕えてくれた間に、わたしが導いたそのかいがあった」と感激のあまり、心から喜びの涙をとめどもなくながされた。
注
一
高田の覚信房俗名田島太郎、常陸国、真壁の城主椎尾弥三郎春時の家臣であったという。
歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版