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口伝鈔 第15章 「無上大利の名願」 ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。

おはようございます。 今日も一緒にお参りをいたしましょう!
Bom dia a todos! Vamos juntos rito matinal.

『大無量寿経』(巻上)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%8F%E8%AA%AC_%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C_(%E5%B7%BB%E4%B8%8A)
『大無量寿経』(巻下)
http://labo.wikidharma.org/index.php/仏説_無量寿経_(巻下)


O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (1)
https://www.dropbox.com/s/4jizvk1admnv3rm/sutra%20Buddha%20vida%20infinita%20-%20parte%20um.doc?dl=0
O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (2)
https://www.dropbox.com/s/o1uj62burt5yizf/sutra_Buddha_vida_infinita_-_parte_dois.doc?dl=0

BU" SE' MU RYÔ JU KYÔ (Pronúncia japonesa)
https://www.dropbox.com/s/jb3zfnv4qhzoya0/BU%22%20SE%27%20MU%20RY%C3%94%20JU%20KY%C3%94%20KAN%20J%C3%94.pages?dl=0



No Sutra da Vida Imensurável, um dos chamados Três Sutras, o Buda explicou a realidade do Dharma como tal e a assembleia de pessoas endereçadas eram os seres iluminados. No Sutra da Contemplação, ele explicou a realidade como tal para uma pessoa pronta para a passagem à Terra Pura. Esta é realmente a pessoa a quem ele se dirige. A Rainha Vaidehī, chamada mulher dos cinco obstáculos a quem o Buda endereça o ensinamento, simboliza uma pessoa má em um distante mundo posterior. O Sutra de Amida expressa a realidade de uma pessoa e do Dharma como tal, tecendo juntos explicações dos dois últimos sutras, oferecendo uma exclusiva sobre por que "é impossível atingir o Ir-nascer naquela Terra fazendo esforços para coletar o bom karma como causa e condição de felicidade e mérito “.
Mantendo o Nome em mente de um a sete dias permite que as pessoas se conectem e vivam nos grandes e soberbos beneficios do Nome e do Voto, como as palavras de todos os Budas atestam.

DeeoL翻訳
いわゆる三経の一つである『無量寿経』では、仏陀は法の実在を説き、宛がわれた人の集まりが悟りの境地であることを説明している。
観音経』では、浄土に行く準備ができた人に、そのような現実を説明しています。これは実際に彼が演説する相手である。
釈迦が教えを説く五障の女と呼ばれるヴァイデヒー王妃は、遠い後の世の悪人を象徴しています。
阿弥陀経は、人と仏の実在を表現したもので、最後の2つの経典の説明を織り交ぜながら、"幸福と功徳の因果関係である善業を積む努力をしても、この地上では往生することができない “理由を独占的に説明しています。1日から7日の間、名前を心に留めておくことで、すべての仏陀の言葉が証明しているように、名前と誓いの偉大で優れた恩恵につながり、生きることができるのです。


原文


 いはゆる三経の説時をいふに、『大無量寿経』は、法の真実なるところを説きあらはして対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらはせり、これすなはち実機なり。いはゆる五障の女人韋提をもつて対機として、とほく末世の女人・悪人にひとしむるなり。
『小阿弥陀経』は、さきの機法の真実をあらはす二経を合説して、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と等説ける。無上大利の名願を、一日七日の執持名号に結びとどめて、ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり。

対機
[たいき]   説法の相手。(口伝鈔 P.900)

権機
ごんき
 仏が仮に菩薩・声聞しょうもん等の姿を表したもの。特に『大経』の会衆えしゅがすべて浄土から来現された還相げんそうの菩薩であることをいう。(口伝鈔 P.900, 改邪鈔 P.938)

機の真実
きのしんじつ
 衆生の本来のすがた。(口伝鈔 P.900, 改邪鈔 P.938)

五障
ごしょう
 →補註14 (口伝鈔 P.900, 改邪鈔 P.938)

不可以少…
ふかいしょう
 少善根福徳の因縁をもってかの国に生ずることを得べからず。 (口伝鈔 P.900)

無上大利
むじょうだいり
 このうえもない大きな利益。(口伝鈔 P.901)

名願
みょうがん
Ⅰ 名号願力。名号にこめられた本願の救済力。(化巻 P.411, 持名鈔 P.1016, 講私記 P.1066) 
Ⅱ 「名号を口にとなふれば」とする異本がある。(後世物語 P.1363)

証誠
しょうじょう
 真実であることを証明すること。  (行巻 P.168,信巻 P.220,化巻 P.402、一多 P.686,改邪鈔 P.923, 消息 P.776, 持名鈔 P.1001、選択集 P.1230、散善義 P.463、安楽集 P.284、定善義 P.437、往生礼讃 P.712)

現代文
いわゆる浄土三部経が説かれた時について言うと、 『大無量寿経』は、教えとしては真実究極のところを説きあらわしたもので、その対象は仏が仮りに姿をあらわしたものである。 『観無量寿経』は、教えを聞く対象そのものを説きあらわしたもので、教えを受けるものはみな、直接の目当としての正しい相手である。いわゆる五障をそなえた婦人である韋提希をもって説法の相手として、遠く末の世の婦人や悪人を代表させたのである。 『阿弥陀経』はさきに示された、教えの真実とそれを聞く直接目あての相手とをあらわした、さきの二経の意を合わせて、「少しばかりの善のたねや福徳をてだてとしてかの国に生れることはできない」(などと説いている。そしてこの上ない大きな喜びをもたらす阿弥陀仏のみ名と誓いを一日ないしは七日の間の称名念仏に凝結して、この念仏によって浄土に生れることを証明した諸仏の言葉を、はっきりと示したのである。

十三
韋提希 Vaidehiの音写。頻婆裟羅Bimbisāra王の妃。 『観無量寿経』は韋提希の願いによって説かれたことを主題とする。後出注一八参照。

十四
少しばかりの善根や福徳…… 『阿弥陀経』に説くところである(同一。六九)。

十五
一日ないしは七日…… 『阿弥陀経』にしめすところで、「阿弥陀仏のことを説くのを聞いて、[その〕名号を執持して、もしは一日、……もしは七日、一心にして乱れなければ、その人の命終る時に臨んで、阿弥陀仏は多くのおつきの菩薩とともにその前にすがたを現わすだろう」(同一・六九)と説かれている。

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Shu Izuhara 泉原 秀
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