口伝鈔 第十章 「器世間を建立するときこの字をもちゐる条、分明なり」ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。
阿弥陀経 sutra de Amida BOM DIA a todos! !!!
http://jodoshinshu.com.br/budismo-terra-pura/sutra-de-amida-curto/
おはようございます。
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SUTRA AMIDA
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É provavelmente porque não faria muito sentido se Tathagata Amida na Budeidade na Terra Pura for expressa como "(Amida) agora neste mundo." Entretanto, como a Terra Pura é muitas vezes interpretada como o mundo da suprema alegria, algumas pessoas podem perguntar-me como é que o ideograma "mundo" contradiz o significado do corpo da recompensa e da Terra da Recompensa. Na verdade, é uma das teorias que nossa escola usa para explicar a Terra Pura em palavras simples. Outras escolas também parecem aplicar o ideograma "mundo" para explicá-lo em termos mundanos. O Abhidharma-kośa, capítulo de Loka diz, "o mundo receptáculo é suportado pelo disco do vento." Isto mostra quando o mundo material é discutido, o ideograma ("mundo") é usado. É, sem dúvida, bem fundamentado porque o Bodhisattva Vasubandhu escreveu isso.
Google翻訳
浄土の仏教の如来アミダを「(アミダ)今この世に」と表現しても意味がないからだろう。 しかし、浄土は究極の喜びの世界と解釈されることが多いので、表意文字の「世界」が恵みの体と報酬の土地の意味とどのように矛盾するのかと私に尋ねる人もいるかもしれません。 実際、それは私たちの学校が浄土を簡単な言葉で説明するために使用する理論の1つです。 他の学校も「世界」の表意文字を適用して、それを平凡な言葉で説明しているようです。 Lokaの章であるAbhidharma-kośaは、「レセプタクルの世界はウィンドディスクによってサポートされています」と述べています。 これは、物質的な世界が議論されるときに、表意文字(「世界」)が使用されることを示しています。 菩薩世親がこれを書いた理由は、間違いなく十分な根拠があります。
原文
そのゆゑは浄土中成仏の弥陀如来につきて、「いま世にましまして」とこの文を訓ぜば、いますこし義理言はれざるか。極楽世界とも釈せらるるうへは、「世」の字いかでか報身報土の義にのくべきとおぼゆる篇(へん)もあれども、さればそれも自宗におきて浅近(せんごん)のかたを釈せらるるときの一往の義なり。
おほよそ諸宗におきて、おほくはこの字を浅近(せんごん)のときもちゐつけたり。まづ『倶舎論』の性相[「世間品」]に、「安立器世間風輪最居下(こげ)」と等判ぜり。器世間を建立するときこの字をもちゐる条、分明なり。世親菩薩(天親)の所造もつともゆゑあるべきをや勿論(もちろん)なり。
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
一往の義
いちおうのぎ
ひととおりみた意味。(真要鈔 P.982)
器世間
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
きせけん
→ 器(き) (証巻 P.323、口伝鈔 P.891)
器
うつわ
Ⅰ 器量。機根。人それぞれの性質。(大経 P.73)
き
Ⅱ 仏の教えをうけとる人間のこと。機。
Ⅲ 器世間の略。衆生が住んでいる山河・大地などの自然界。
風輪
ふうりん
須弥山(しゆみせん)世界の大地の下にあって全世界を支えているという空気の層。(口伝鈔 P.891)
現代文
その理由は、「浄土の中にあって仏と成」っておられる阿弥陀如来について「いま世においでになって」と、この文を読むならば、いま少し意味や筋道が成りたたないからではないか。「極楽世界」とも解釈しておられる以上は、(注7)「世」の字がどうして報身・報土の義にそむくようなことになろうか、と考えられるふしもあるけれども、しかしこうした考え方もわが宗ではわかりやすく常識的解釈をされるときに立てる一往の説である。
おおよそ諸宗においては、多くはこの「世」の字を常識的な説明のときに用いる習慣になっている。まず 『倶舎論』(注8)へ世間品には「器世間をささえて、風輪はもっとも下に居る」と判じているように、器世間をたてる場合にこの字を用いていることが明白である。世親菩薩の著書〔にしめすところ〕であるから、もっとも理由があることはいうまでもない。もちろんのことである。
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