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後悔と苦悩

少し前回の投稿から時間が空いてしまいました。
災害も転機の一つとなっているのですがスキルを身につけるべく勉強をしていて、そちらに注力していました。
まだまだですが、久々に没頭することが出来て前向きな気持ちになりました。
でもこれからのことを考えるとやっぱり不安が大きいです。
再三「被災者の声を聞く」と発言がある割に聞いて貰っていない中で復興検討委員会が発足しました。
行政と喧嘩をしたいわけじゃない、文句をただ言いたいわけじゃない。「聞く」と言っているのに何故聞いてくれないのか?数人の意見で全てを聞いたつもりになっていないか?不満とともに不安です。
前置きが長くなりました。本題に入りたいと思います。

・声掛け
私の近所(約10m範囲内)で4名の方が亡くなりました。
前に書いたKさん宅にいた方(Kさんは無事)も亡くなられました。
遠縁ですが近所で魚屋さんを営んでいた親戚や、後輩のお母さんも亡くなられました。
もし、朝にKさんと会話をした時に「避難しましょう」と言っていれば、もしかしたら助かったかもしれない。
いや、助かったかもしれないではなく、助かったはずなんです。
伊豆山に引っ越してきてそんなに地域と関わってはいなかったですが,
たまたま組長をやっていたので近所の家族構成はなんとなく分かっていました。
あのとき避難しようと言って近所の方々に避難を呼びかけていれば助かった生命があったし、もっと安全に避難できた。
大事なものや思い出を少しでも持ち出すことも出来たかもしれない。
そう思えてならないです。

・妻と下の子
私にとって一番の後悔は妻と下の子どもを自宅に残して外出したことです。
「助かったからいいじゃない」
仰るとおりです。
助かったのか、助からなかったのか、それだけで残りの人生は全く違うものになったでしょう。
だから助かったから良かった。そうなんですけどね、でもいくつもの兆候がありながら全てを見逃してしまい、危険な目に遭わせたのは他ならぬ私のせいだと思っています。
近いうちに書くことがあると思いますが、すぐに駆けつけてくれたボランティアの仲間が「この状況で助かったのは奇跡だ」と言いました。
逆に言えば死んでいてもおかしくない状況だった。死がすぐそこまで迫っていた。
災害発生から約8ヶ月になりますが、未だにこの事を思うと苦しくなります。一時期は抗不安剤を服用しなければ寝れない状態でした。
結果は「助かったから良かった」であっても、プロセスとしては完全に失敗なんです。
妻はあまり災害で受けたストレスを外に出しません。でも間違いなくダメージを負っているし、下の子は被災後しばらくは一人になることを怖がったり扉の閉まる音を怖がりました(カウンセラーによれば正常な反応、既に改善しています)。

・苦悩
ここまで読んでいただければ分かると思いますが、私は「助けられたはず」という事に苦しんでいます。
「仕方ないよ」「助かったからいいじゃない」「専門家じゃないんだから」
でも気付いていたのに見逃したんです。
確かに市の方から避難レベル4が発令されなかった、という要因はあります。しかし、私の肌感覚では危険と感じていた。
それに従っていれば、助かる人はいたはずだし家族も危険な目に遭わせずに済んだ。
ご近所で亡くなられた方の親友が私の親戚でした。
後から聞いた話ですが土砂に飲み込まれていくのを電話で聞いていたそうです。
何も手を差し伸べることも出来ず、大事な友だちが電話越しに苦しんでいく。その苦しみも私が声を掛けていればなかったはずなのに。

きっと私はこれから先、苦悩が薄らいだとしても忘れることはきっとないでしょう。

私と同じ想いをする人を一人でも減らしたい。

当時の事を記録する為にブログを書いていますが、この事を一人でも多く知ってほしい。そう思って書いています。
どうか、読んで頂けた皆さんの心のどこかに引っかかっていてほしい。そう願っています。

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