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災害から1年を迎えて

2022年7月3日、一昨日になってしまいましたが災害から1年を迎えました。
まだまだ復興には程遠く、責任の所在も複雑化しています。
私自身、まだ1年、もう1年の両方が混在しています。1年は通過点としか思っていませんでしたが、当日の人の多さには1年前を思い起こさせるものがありました。
当時のことを色々と書きましたが、「起きたこと」について書いていることが多く、どう思ったか、どう感じたかをあまり触れていないと思ったので蘇ってきた感覚を書いていこうと思います。

・市役所

報道などの映像や写真で家が全くない事が分かっていたので、罹災証明が取得できるだろうと思い7月5日の午前中に市役所へ向かいました。
あまり覚えていないですが、庁舎前は普段の落ち着いた感じはなかったと思います。
危機管理室?災害対策本部?が4階にあることは分かっていたのでエレベーターで4階へ向かいました。
4階に着くと、この表現は使っていいか悩みますが「戦場」という感じでした。
エレベータを降りてすぐ右側に見える打ち合わせスペースのようなところには取材陣がすし詰め状態でいて、廊下のいたるところに捜索の資材が入ったダンボールが置かれ、消防、自衛隊、そして市の職員も行き交っていました。
市の職員もスーツなどではなく、作業着だったので特に非日常を感じたのかも知れません。
非日常、有事。そういった緊迫感がありました。

・避難所

避難所になったホテルもまた非日常でした。
普段ホテルを利用するのは旅行や出張の時なので非日常なのですが、ロビーの人の多さ、そしてそこに知り合いが大勢いるという点が普通ではないと感じる要因でした。
ホテルの外も報道陣が大勢いて、それも普通ではない状況でした。

・被災現場

7月5日、6日と足を運びました。
土砂は背丈ほどの高さがあり、道路は寸断され、自衛隊、警察、消防の方々が作業をされていました。
当初私が思っていた「1週間ぐらいで帰れるだろう(家ないけど)」「ドロかき大変だな」という考えは一気に吹き飛ぶ光景でした。

・まとめ

いつも何とか上手く伝えよう、気持ちを残そうと思っていますが、あの数日間の感情、空気感、雰囲気は筆舌に尽くし難いです。
市街地にいれば観光客が災害のことなんか我関せずと楽しそうにしている。家族4人で暮らしても、元の生活じゃない。そういった温度差が本当に辛かったです。
洒落た言い方をすればその温度差で出来た結露が、その後カビになって段々と心を蝕んでいったんだろうと思います。

最後に亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、行方不明になられている方の早期発見を切に願います。

※写真は7月3日、熱海今宮神社にて犠牲者への追悼の為に執り行われた夕べの祈りです。

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