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【連載小説】オトメシ! 9.焼肉ライジング

【連載小説】オトメシ!

こちらの小説はエブリスタでも連載しています。

エブリスタでは2024.1.9完結。





 

 ♦ ♦ ♦
――2002年4月25日
 男子数名と共にカラオケに行くことになった。
 その中の五十嵐レンダという男子にバンドやるからボーカルをやってほしいとお願いされた。
 ♦ ♦ ♦

 
 あの時高瀬川邸のスタジオで、俺がソレラと会う以前ギターを弾けず左手を震わせていた時に姫原が言っていた『私もその経験があるからわかりますよ。きっとそれは背負いすぎなんです』という言葉が蘇る。
 
 確かにあの時は自分のことで頭がいっぱいだったが、姫原のその言葉だけは今でも引っかかっていて仕事中自分のデスクで考えていた。

 俺のように強いトラウマがあってギターを弾けなくなったことでもあったのだろうか。そして姫原はそれをどのように乗り越えたのか。
 
 仕事終わりに姫原を捕まえて、あの時の言葉の意味を教えろと言うとメシ代金と引き換えに語ってやるよと言っていた。
 
 よんどころなくその足で姫原希望の焼肉に行くことになったのだが、無論行先は高級店ではなく全国チェーンの比較的安価な焼肉店だ。
 
 店員に席を案内され着席すると姫原は、「お肉は部長が頼んだやつ適当に食べますから、私は裏メニューを頼みます」と私だけが知っている特別な何かである。そう表情や声色が察しやすく主張しているが、その裏メニューとやらはおそらくコチュジャンだろうと見越す。
 
 注文用のタブレット端末で俺が好みの肉を注文し、店員がドリンクを運んで来たときに姫原は案の定、通の客であるかのようにコチュジャンお願いします。と注文していた。

 それに対して姫原が無言で俺にグルメとして羨望のまなざしのひとつでも向けてみろ、裏メニューを知ってる私をたまには賞賛せよ。そう視線を送ってきては身体をこれ見よがしに仰け反らせ俺が何か言うのを待っているように振舞っていた。

 本当わかりやすい態度だよなと一切触れずにいるとしびれを切らした姫原は「部長知ってました?」と言うので、

「知ってるけど」

 そう軽く返すと、「ホントかなぁ」といつものいやらしい笑みを浮かべて前のめりに排煙フードと焼き網の隙間から俺をなめくさっている。

 今日は珍しく俺から誘ったもんだから姫原はいつにも増して調子にのっているようだ。

「あれえぇー、悔しいですか部長」

 かまわず追撃の手を緩めない姫原。

「うっせえよ」

 つい情に任して挑発にのってしまったが最後。姫原は勝ち誇った顔で深く背もたれまでずっぷりと腰かけて、その顔は排煙フードに隠れて確認できなかったが、想像に容易い表情をしているのだろう。
 
 まったくこれだからお子様の相手をするのは嫌なんだ。と言い返しても負け惜しみですか部長。なんて言われそうだから黙って肉が来るのを待った。

 まず、一品目は牛タン塩。
 
 最近は厚切りの牛タンがどこの焼き肉店でも展開されているが、元々牛タンは薄切りがスタンダード。昔は厚切り牛タンなんてメニューほとんどなかった。
 
 それはなぜか。牛タンは薄切りで食べるのが美味とされていたからである。つまり牛タンの厚切りなんてものは邪道……とまでけなすつもりはないが、牛タンは薄切りのものが至高だと俺は結論付けている。
 
 まず、塩がかかっている面を下にして焼き網の上に載せると香ばしい匂いが溢れ出る肉汁と共に食欲をそそる。
 
 タン塩に網目の×ばってん印の焼色がこんがりつく頃、ひっくり返して軽く焼く。
 
 両面焼き上がると、これに生レモンを絞りかけ、食らう。
 
 心地よいサクサクとした食感。
 
 牛タン独特のややしつこい風味をレモンの爽やかさが見事に中和する。
 
 姫原はというと、焼きあがったタン塩表面にべったりとコチュジャンを塗りたくり、その上からレモンを絞ってパクっと口に運んでコメをかき込む。
 
 うーん、言いたいことはあるが、もはや見慣れた光景にあえて何も言うまい。
 
 本人は美味しそうに食べているし、ファインダー越しに見たならばこれはこれで幸せのワンシーンなのだろう。
 
 合間あいまに俺はポテトサラダで口直ししながら、次にカルビ、ロース、ホルモン等を次々に焼いて食らう。
 
 姫原も『ぬ』の歌を口ずさみながら目の前の肉を愛おしそうに焼いていた。
 
 なあ、結構どうでもいい話しなんだけど、と前置きしつつ俺は姫原に、「『ぬ』はダンゴムシが這っているみたいで可愛いと言ってただろ? 『め』はどうなんだ?」と訊く。
 
「えー、部長がそんなこと話すなんて珍事です! タン塩食べてじょう舌になりましたね」
 
 と、姫原は焼き網と排煙フードの隙間から覗いて俺へニヤリ表情を向けて小馬鹿にした。
 
「上手いこと言ったみたいな顔してるけど、そんな上手くないからなお前」
 
「そうですか? 我ながらタンだけに舌を巻くくらいの言い回しだと思いますけどね」
 
「いや、だからもういいって」
 
「で、『め』はですね、どちらかといえばチョコレートのお菓子、あるいはクッキーですねあれは。少し鼻歌にするには糖分が高すぎますよね、わかります? あと連呼するとヤギみたいだし鼻歌向きの文字ではないですね、はい」
 
「そうか」
 
 我ながらなんの生産性もない話しをしてしまった。
 
 しかしながら姫原の感性は何度聞いても面白い。思わず俺も姫原が笑わせようとコミカルに言ってくるのにつられて笑ってしまう。
 
 無駄話しはこのくらいにして、本来俺が姫原に聞きたかったことを話す。
 
「本題、それであの時の言葉の意味を教えてくれ」
 
 『私もその経験があるからわかりますよ。きっとそれは背負いすぎなんです』と言っていたことについて姫原に訊くと、「部長知らないんですね」と言った。
 
「なんのことだ?」
 
「てっきり社長とかお偉方には入社するときの面接で話していたから部長の耳にも入っているものだと思っていましたよ」
 
「大学中退した理由とかそんな話しか」
 
「んー、半分は正解。私実は昔一度小説家デビューしているんです」
 
「は? 嘘だろ!?」
 
 歌詞に抜群の文学的センスを感じていたが、まさか小説家デビューするほどの文才まで持ちあわせているとはこいついったい何者なんだ。
 
「で、小説家で一度大きく挫折というか、書くのは完全にやめて音楽やることにしたの」
 
「よくわからん、順を追って説明してくれ」
 
 姫原の過去――父親は大手出版社の編集者で母親は小説・脚本家。まさに文学のサラブレッドとして生まれてきた姫原は幼少期から本を読み漁り、両親の勧めで物語を書いてきたという。大学在学中に初めて出したそれなりに名の知れた文学賞でいきなり大賞受賞、新進気鋭の二十歳の現役女子大生作家として売り出されたらしい。その時から緊張しいでメディアへの露出こそ少なかったが、受賞した本は書店に平積みされて結構売れたらしい。
 
 それから早く新作の書き下ろしを出せと出版社から催促され、両親からも今書いてヒット作を作れたら今後小説家として食べていけるから頑張りなさいと背中を押され期待されていた。

 でも当の本人は少しずつ本を書き続けることが苦しく、担当編集にはダメだしされながら新作を書き上げる。そんな環境下で本来自分が表現したいことを我慢してまで商業的にヒットするためだけに作られた物語を描くことへの違和感、不満が募っていったという。
 
 そしてなんとか第二作を発表したがあまり売れなかったということだった。
 
 姫原自身それについてはどうでもいいと語っており、小説を書くのが自分の中で当たり前でそれしか自分にはないと勝手に思い込んでいたと言う。それを気づかせてくれたのがメイルだったということだった。
 
 昔から音楽が好きで、執筆中にもメイルの音楽をかけながら執筆していた。そんな大好きだったメイルが突然の活動休止。その時初めてやめてもいい。ということに気づいたらしい。
 
 やめる。という選択肢の存在。
 
 俺にはまったく理解できなかったが、当時姫原の頭の中には小説を書くことをやめるという選択肢があるだなんて思ってもみなかったと言う。そんな単純なことを気づかせてくれたメイルは偉大だと崇拝し、姫原はその日から筆をピックに持ち替えて音楽の世界にハマッていったようだった。
 
 共感はおろか、理解できない思考だし、なにも世の中に何かをやめるやつなんて山のようにいるのに何故メイルなのかと訊くと、それだけメイルは尊敬する対象であり憧れであったからじゃないかな、と姫原は語る。
 
 そこから音楽にのめり込むあまり、寝食忘れて二〇時間くらいずっと作曲したりギターの練習、歌い方の研究する日々が続き、気づけば大学を中退していたらしい。
 
 小説家をやめたことに両親は怒らなかったが、大学を勝手に中退したことについてはひどく叱られたという。それから弾き語りでライブにも出始めたけれど、当然音楽一本で食べていけるほど現実は甘くなかった。でも小説を書くよりずっと好きだったからなんとか続けたいと、サガラ商事に入社して活動資金を稼ぎなら今に至るらしいが音楽機材や奨学金、それとよくわからん無駄遣いで借金が400万円ほどあると、衝撃の事実をあっけらかんとして語り終えた。
 
「小説家はなんでやめてしまったんだ? その才能もあったんだろ」
 
「いや、確かに文学賞は受賞できたけど、そこから先ヒット作を作り続ける力量がないと小説家として食べていけない。結局音楽と同じで一発屋ではダメってこと。それに私、小説ってなんとなく自己表現として書いていただけだし、商業作家になりたいだなんて一度も考えてなかった。ただ成り行きで作家デビューしちゃっただけだしさ、あんまり思い入れもないし」
 
「でも今の話しだと、俺みたいに背負うものや具体的な経験エピソードはなかっただろ? それでなんで『私もその経験があるからわかりますよ。きっとそれは背負いすぎなんです』という言葉に繋がるんだ?」
 
「いやだからその二作目書いていた時だよ。その時に両親や出版社からの期待。部長が背負っていたマイナスのベクトルの重さではなくて、どちらかといえば期待というプラス的なベクトルのものを私はそのとき背負っていた。で、失敗してやめた。後悔はないよ、それで今もう一度小説を書けって言われたらもう書けないかもしれない。部長がギターを構えていた時のように私も手が震えて書けないかもしれないな、ってそう思ったの」
 
「なるほどな」
 
 と言いつつ凡人の俺が理解できる天才のそれは、おそらく半分程度といったところか。
 
「ま、多分書こうと思えば書けるけどね♪」
 
 本当に書けてしまいそうなところが恐ろしい。姫原は才能もあるけれどその努力量も桁違いだ。本人は努力していると自覚がなさそうなところ、好きでやっているだけというところこそが俺も然り、世間は才能とか天才というふうに形容するのだろう。
 

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