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不換通貨論 ~忘れられた日本銀行券の正体~ #003(1章-03) 裏付けのない不換通貨がなぜ通用するか

このシリーズはAmazonで販売中の不換通貨論を紹介していきます。
KDP専売電子ブックとは一部内容・編集等に差異があります。


裏付けのない不換通貨がなぜ通用するか

現在私たちが使っている「日本銀行券」は不換通貨である。

なぜ私たちは金貨との交換を約束されてもいない、価値のない紙きれである「日本銀行券」を受け取って、そしてまた支払いに利用できているのだろうか。またそれぞれの通貨はどのような価値が信用されて通用しているのだろうか。

通貨の最終目的は物品・サービスとの交換

通貨の最大の、そして最終的な目的は、通貨との交換によって必要な物品やサービスを手に入れることである。腐敗することなく貯めることができるとか、持ち運びしやすいことは、通貨の便利な機能ではあるが、「貯める」ことも「運ぶ」こともわれわれが通貨に期待する最終目的ではない。

貯められて運ばれた通貨は最終的に「欲しいものを入手する(交換する)」ための道具なのだ。

したがって人々が効率的に互いの提供する「商品やサービス」を交換しあうことができさえすれば、その仲介物となる「通貨」は何であってもよい。

「物品貨幣(商品貨幣)」(金など実際に価値ある品)に求められる信用は

①《市場》この商品が通用する市場の供給力……市場に欲しいものが売っているか

②《価値》物品貨幣の市場価値……この物品貨幣と引き換えに何が手に入るか

の組み合わせである。

「兌換通貨(日本銀行兌換銀券・日本銀行兌換券)」に求められる信用は

①《市場》この兌換通貨が通用する市場の供給力……市場に欲しいものが売っているか

②《価値》金・銀の市場価値……この金・銀と引き換えに何が手に入るか

③《兌換信用》発行者の兌換能力……本当に兌換券を金・銀と交換できるか

 の組み合わせである。

  兌換券には、発行者の財政状態によって裏付けられる「兌換能力の信用」が必要である。

「不換通貨(日本銀行券)」に求められる信用は

 ①《市場》この不換通貨が通用する市場の供給力……市場に欲しいものが売っているか

 ②《価値》通貨の市場価値……この金額で何が手に入るか

 ③《通用信用》通用力……市場はこの券を受けとってくれるか

の組み合わせである。

金銀との兌換を約束していない不換通貨制度では、兌換通貨のように政府の準備金量、すなわち「発行者の兌換能力」を心配する必要はないが、代わりにこの価値のない紙切れが市場で通用するのか、という「通用力」の心配が生じる。

商品価値のない不換通貨を通貨として成立させるには「社会的な合意」が必要となる。

ここでいう社会的合意は必ずしも明文化された法律という意味ではない。合意にはさまざまな規模や段階があるが、最も小さい規模では二人の間での合意によっても成立するものであり、これが国家規模になると「法」という合意によって明文化されて定められることになる。

貨幣は合意(約束・法・ルールなど)によって生み出される

4世紀の東ローマで流通していた金貨は「ノミスマ」と呼ばれていた。これはギリシャで「法」を意味する「ノモス」を語源とする言葉で「法によって作られたもの」という意味を持っている。

そして貨幣はノミスマ(nomisma)という名前を持つようになる。
なぜならば貨幣は自然にではなく法律(nomos)によって存在するようになるからである。

哲学者 アリストテレス

自然界に存在せず、純粋に人間によってつくられたものがこの世にあるとすれば、それはお金なのです。

作家 ミヒャエル・エンデ

貨幣は、人々の合意(約束や法)によって貨幣(法定貨幣)となるのである。天然自然に「貨幣」という物質が存在するわけではない。金貨であってもその価値は合意や法律によって定められるものである。

まして「紙切れ一枚」の価値しか持たない不換通貨は、お互いにそれを貨幣だと認める合意(約束や共通認識)があって初めてそれが貨幣となる。

社会の規模が大きくなると、その土地を支配する統治者が「法律」によって、価値を定め、受けとることを強要することで、互いに安心して受けとれるようにサポートすることも重要だ。

ただし、万が一他国に侵略されて自国の市場を失った場合など、法を守らせることができなくなるほどに統治力を失った場合には、貨幣の合意が失われる可能性がある。

 

通貨の信用は「通用力」

さて、社会的合意(法)によって通用力を与えられた不換通貨は、その社会の中で通貨として通用するようになる。

米や布など、それ自体に価値のある「商品」は、目の前の取引相手と交換した時点で自分が欲しい「商品(またはサービス)」が手に入るので、次に使える「通用力」という概念は必要ない。

だが、使用価値がなく、その価値のほとんどが交換価値である「通貨」は、兌換通貨でも不換通貨でも、今回受けとる自分が、次に誰かの「商品(またはサービス)」を欲したときに、その相手も同様に受け取って交換してくれるだろう、という信用がなければ受けとってもらえない。

金貨でさえ、これから無人島で暮らす人、渡す相手のいない人には何の価値もない。

「通貨」は自分がなにかを欲した際に、その持ち主が交換してくれるものでなければならない。

だから「通貨」には通用力がなければ価値がない。

そこで、価値を持たない紙を「通貨」にするために、法律で通貨としての通用力を担保し、あるいは強要することになる。

日本銀行券の強制通用力

不換通貨を市場に通用させるための根拠は『日本銀行法』という法律の中にある。

《日本銀行法》
(日本銀行券の発行)
第四十六条 日本銀行は、銀行券を発行する。
2 前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。

このように日本銀行法の第46条に「日本銀行券は法貨として無制限に通用する」と決められている。(この無制限とは枚数のことで、硬貨は1種類につき20枚以上の受け取りを拒否できるが紙幣は大量の枚数を持ち込まれた場合にも受け取りの拒否はできない)

そのため売買契約を結んだ売り主は、紙幣以外の何かで支払ってもらう約束を特別に定めていない限り、買い主が日本銀行券で支払おうとすることを拒否できない。またこの強制力で受け取らされた側も、次回は支払う側として日本銀行券を強制的に受け取らせることができる。

そして日本銀行券さえ支払ってしまえば、法律上の保護を受けられる。

たとえば債権者に対して日本銀行券を渡せば「支払った」と認められる。もしも相手が受け取りを拒否しようとしても、債務不履行責任、支払いが遅れたペナルティは課されない。

むしろ債権者側の受領遅滞、受け取るべきものを受け取らずに商品を渡し遅れたことのペナルティが発生する状態になる、というのが法律上の保護の効果である。

 強制通用力について、日本銀行のホームページには次のように解説されている。


「いつでもどこでも必ず受け取ってもらえる」という共通の信念を補強するために、「おかねを払う債務については、おさつ以外の道具で決済すると約束していない限り、おさつを相手に渡すことで解消できる」というふうに法律に書き、国家の力で信念をサポートする方法です。こういう法律があれば、たとえおさつについての信頼が揺らいだとしても、買い物した店におさつを受け取らせることができる。だから自分は安心しておさつを受け取る――共通の信念は形の上で崩れない、ということになるわけです。例えば日本では、日本銀行法という法律の中に、日本銀行が発行するおさつは無制限に通用する、ということ(「強制通用力」と呼ばれます)が書かれています。

日本銀行ホームページより引用

このように、不換通貨である日本銀行券は法律によって強制力を与えられている。

ちなみに本物の金を使った金貨であっても、不純物を混ぜて価値を下げて作られることが多い。溶かした原料の方が高価だったら全部溶かされて売られてしまうためだ。

純粋な金よりも増えている価値部分は、やはり法律によって保証されていることになる。

強制通用力への信頼

たとえば法律に従って日本銀行券で支払ったAさんと、受取拒否をしたBさんの争いで、もしも政府と裁判所がAさんの支払いを認めなかった場合、国が通貨の通用力を認めなかったことになり通貨は公的な信頼を失うことになるだろう。

通貨は次の受取人に受け取らせることが出来るから、価値がある。

この法律が外国政府、外国人投資家、外国人などに対しても通貨の信頼を担保できるのかと気になる人もいるかもしれないが、それは日本市場に対する強制通用力の存在が担保している。

そもそも投資や取引で日本円を購入する外国人投資家や事業主も、自国のマーケットで円を使えるわけではない。円は日本市場に対して使用するものだ。

日本市場が、日本の法律によって日本銀行券の受け取りを強制されているのだから、外国人であっても、これを使えば日本市場から商品を購入することができる保証がされている。

よく財政を議論する場で「政府・通貨の信頼」という言葉が聞かれるが、もしも不換通貨の価値の裏付けに「政府・通貨の信頼」があるとすれば、それは兌換通貨時代のように財務的な裏付けではなく、統治者の統治力と、市場がもつ供給力への信頼である。

金本位制を裏付けとした兌換紙幣の場合には、政府や中央銀行の信頼とは「本当に交換する金貨を持っているのか」という準備金量、財政状況についての信頼となるが、不換通貨の場合には日本市場が受け取ることは法律で強制されているので、価値の裏付けになるのは「日本市場から買いたい商品があるか」という供給力と、「日本市場はこれを受け取るのか」という統治力への信頼なのだ。

つまり不換通貨である日本円の信頼が本当の意味で失われるのは、経済衰退によって世界から欲される品を生み出せなくなったり、または他国による侵略を受けて統治権を失ったり、革命などで統治機構が一新され、日本銀行法による強制通用力がなくなるなどして、日本市場そのものがなくなった場合である。

1973年以降の世界は「金(きん)(兌換ドル)」と言う国際共通(グローバル)貨幣による経済を終了させ、各国独自の通貨による疑似ブロック経済と、それを変動為替相場で調整しあう社会となっている。兌換通貨準備金のようにして通貨発行において外国のことを考える必要はもはや無いのである。

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