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不換通貨論 ~忘れられた日本銀行券の正体~ #006(1章-06) 不換通貨の「源泉」


不換通貨の「源泉」

経済学者コーリン・クラークによる古典的な産業分類によれば、人間社会は、経済・産業の発展につれて、農業など自然界から収穫を得る仕事から、加工業、サービス業へと広がっていく。

以下に、コーリン・クラークの古典的な産業分類を紹介する。

《第一次産業》

近代まで、人は価値ある資源が採取できる場所を中心に生活していた。海産物が採れる水辺に、水田が作れる平地に、木材が採れる森に、人が集まるのは当然だった。

【自然界に働きかけて直接に富を取得する産業】を第一次産業という。

《第二次産業》

採取する人の周辺にはその採取した素材を使って加工品を生み出す産業が発達する。食品は保存食に加工され、木からは木工品を作り出す。またそこから一次産業を補佐するための道具を作る専門家も生まれる。船大工や網職人、斧を作る鍛冶職人などだ。

【第一次産業が採取・生産した原材料を加工して富を作り出す産業】を第二次産業という。

《第三次産業》

次にはそれらを交換するための交易路が開発され、そこに宿場町ができ、サービス、娯楽業、が広がっていく。交易には店があった方が便利だし、トラブル解消のための警察も必要になる。

【第一次産業にも第二次産業にも分類されない産業】は第三次産業に分類される。運輸、販売、サービス、軍や警察なども第三次産業とされる。

以上がコーリン・クラークの古典的な産業分類である。


日本では、人口の首都圏への一極集中化が止まらず、地方の過疎化が進んでいる。都市には多くの人が住み、大きな経済市場があるのでますます人が集まるのは当然だが、日本の衰退速度を考えると、近年の人口集中と過疎化は、国防、福祉、経済などの様々な観点から早急に対策が必要である。

先述した「価値ある資源が採取できる場所に、まず人が集まる」という事から考えると、地方で枯渇した何らかの資源が東京で採れるために、その資源に人が集中していることになる。その資源とは、「不換通貨」である。

つまり「不換通貨が多く発行される場所」だから、人はそこに集まっているのだ。

不換通貨を政府支出する必要性

物々交換で利用できる資源「物品貨幣」(金や米や魚)とは異なり、「不換通貨」となった「円」は個人の努力で生産できるものではない。(市場で通貨を手に入れることはできるが、その通貨はやはり誰かが発行元から運んできた物であって、市場で生み出したものではない)

そしてこの「円」はどこから生み出されているのかといえば、現在の日本では100%、政府と中央銀行によって発行されている。それ以外の者が発行すれば、それは偽造通貨だ。

だから通貨発行のために政府は支出をするべきなのだが、もしかするとそれをバラマキだなどと呼んで批判が巻き起こるかもしれない。緊縮財政で苦しい暮らしを強いられている日本の国民感情を考えればやむを得ないが、そこには政府が政府自身のための不公平な支出をするのではないかという疑念があるからだろう。

実際に、政府を運営している政治家が自分の知人友人や支持基盤に対して不公平な支出をする可能性は存在している。これを阻止するのは国民の政治参加と監視であって、別のテーマになってしまう。ここで重要なのは、仮に政府が関連企業を優先した支出をするとしても、それでも不換通貨社会では支出しないよりはマシだということだ。


政府は肉体を持たない「法人」なので、自然人(肉体を持った人間)のように食べたり楽しんだりという、自分自身のための消費はできない。政府の支出には商品やサービスの購入や、政治家や公務員の給与など様々な種類があるが、いずれも最終的には自然人(人間)に渡されて消費されることになる。

不換通貨は物品貨幣とは異なり、民間の努力では生み出すことはできない

不換通貨の利用を前提とした社会制度となった現代、国民がどれほど努力して金を掘っても米を作っても魚を釣っても、現代の市場で物々交換を受け入れてくれる相手を見つけることは困難である。それらをまずは通貨にして初めて市場において他の商品と交換できる通用力(交換可能性)を手にすることができる。

そして、その通用力を持つ「通貨」は、政府や中央銀行の発行によってのみ、市場に供給されている。

不換通貨社会では、支出の正当性・公平性以上に、支出されること自体が重要なのだ。公平性を100%保ちたければ、国民全員に一律で通貨を配給すればよい。労賃として労働した者だけに配布する方法もある。

まずは可能な限り国民が認める形で通貨を発行しなければ、通貨そのものが出回らないのだ。

地方にも潤沢に公共投資がされていれば、その地方に住む公務員や受注企業に対して政府からの通貨が流れ込むが、現代の日本の様に「緊縮財政」を行って投資を行わない状況では、最低限度の支出しかおこなわれず、それらは人口・公務員の多い地域に集中することになる。

そして「現代の【金鉱脈】である政府」から「政府支出を掘り出す【金鉱夫】である公務員」を相手に商売しようとして商人、民間企業が集まってしまう。

このように不換通貨制度のもとで、地方への投資……つまり通貨供給を減らす緊縮財政を行っていると、当然の結果として地方に流通する貨幣は減少し、人口は減少し、過疎化が進み、伝統や文化も消失していくことになる。不換通貨制度のもとで、過疎化を食い止め、人口を適正に保ち、国家・文化を継承するためには、政府は常に地方に通貨を発行するために適正な支出を行わなければならない。

とはいえ、いくら不換通貨が無限に発行できるとしても、労働力や材料など、限られた資源の割り振りは考えなければならない。何を優先して実行すべきかを論じ、実現させていくのが不換通貨社会で求められる政治の姿である。

財源は無限だが、資源は有限なのだ。

不換通貨の産業分類

不換通貨社会で暮らす我々は、新たに不換通貨の産業分類を考えなければならない。

先述したコーリン・クラークによる古典的な産業分類では、「自然界に働きかけて直接に富を取得する産業」を一次産業と分類した。

 

これを不換通貨社会にあてはめれば、「政府支出を直接取得する産業および受給者」と言い換えられるだろう。主に公務員、公共事業受注者、生活保護受給者などがこれにあたる。

医師など、収入に公的負担が含まれるケースも公金を直接取得している、として良いだろう。

その次は「一次産業者が受け取った政府支出を間接的に取得する産業」となるだろう。つまり「そのほかすべて」といってよい。

そこで極めて単純ではあるが、不換通貨の産業分類は、次の2つである。

《不換通貨の一次産業》

 【政府支出を直接受け取る公務員・事業者など】

《不換通貨の二次産業》

 【そのほかすべて】


いまや通貨を生み出すものは金・銀・米・塩などの自然資源ではなく、政府が発行する不換通貨のみなのであるから、このような分類で把握しなおすべきだ。そう考えると、公金という不換通貨資源が都市部に集中していることによって、通貨資源が枯渇した地方が過疎化していく問題への解決策も見えてくるだろう。

民間賃金の原資も政府支出である

国民の賃金を上げようといって、政府が民間に賃上げを要請している姿を見かけることがある。

賃金の原資が「金」であった兌換通貨の時代、民間は鉱山で金を採掘したり、貿易でドルを稼いだりすることで、国内の金の総量を増やすことができていた。増えた金はまた国内の経済で流通し、隅々まで行きわたっていって国民を豊かにしていった。

兌換通貨時代の政府は、民間と同様に「金」の使用者に過ぎず、自ら稼ぎ出すか、国民から徴収するほかなかった。

だから民間の賃金を上げたいと考えたときは企業に対して賃上げを要請するほかなく、公務員給与もあくまで自己資金、政府資産の中から捻出するほかなかった。

ところが現代は不換通貨社会である。全ての通貨(日本円)は日本政府が政府支出を行うことで発生している。当然、民間企業の賃金もその発生源は過去の政府支出である。

ちょうど、川上のダムが水門を開けば川下の水が増え、水門を閉じれば川下の水が減るように、通貨もまた政府支出が少なければ民間市場に流通する通貨も少なくなる。

その少ない通貨を奪い合って民間はビジネスを行い、わずかな利益をくみ上げている。そこに政府は、自ら支出も増やさぬくせに賃金を上げろと言ってくるのである。川上の水門を閉めておきながら、水を配れと声をあげているのである。

いまや通貨(不換通貨)を増やして民間の賃金を上げるためには、まず政府支出を行わなければならないことを、政府が理解していないため、わが国の賃金は長年上昇しなかったのである。

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