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創作と現実、日常の質感

オタクを自称する同世代の多くがそうであるように、私が人生で最初にハマったものは二次元の世界だった。
90年代のバトルアニメ。

たまたま私が見ていたものがそうだったのか、世紀末のどことなく退廃的な雰囲気のせいだったのか、どこか暗さのあるものをよく見ていた気がする。

そこでキャラクターたちはときに物騒な、ときに剣吞とした会話を繰り広げていた。
戦いや事件によって物語が動いた。

日常パートって言葉がある。
キャラクターたちの日常を描いた場面。
大抵は物語の本筋にはあまり関係がない。あってもなくても、ストーリーの理解には影響しない。


大学生のとき、演劇サークルに入っていた。
あまり熱心な部員ではなかったけど、学生時代の結構な比重を占める時間だった。

卒業後も一部の先輩後輩たちは社会人劇団を立ち上げて活動を続けていた。
で、ある先輩の公演を見に行って、気が付いたことがあった。

どんな物語だったのかほとんど覚えていないけど、近代日本の新聞社だか出版社の話だったと思う。

内部にスパイだか犯罪者が紛れ込んでいたことが明らかになって、一旦は緊迫した雰囲気になったけれど、コメディタッチの場面が挿入される。
スパイだか犯罪者の女性とそのほかのキャラクターたちが、軽口をたたき合う。
その欺きが明らかになる前のような、親しげな口調で。

たぶん、演出上の効果を狙った息抜きみたいな場面だったのだと思う。
でもそこで私が感じたのは、「日常」の力の強さだった。
日常は物語の筋には影響しない。けれどその力は、時に大事件が持つ強制力すら突き破ることを許される。


さて、私は何年か前から、YouTuberの「おるたなchannel」にハマっている。

YouTuberの面白い(「面白かった」と言った方が正確かもしれない)ところは、リアルさだったと思う。

一芸ではなく人間性そのものをコンテンツとしているかのようなエンタメ。
動画の中は生活の延長線上にあるかのようで、嘘偽りがないように見えた。
まるでそれは、日常みたいだった。

「見せる」という操作が入っている以上、100%日常そのままであるわけがないのに。

あのYouTubeが一番盛り上がっていたころからさらに年月が下って、日常を切り取って見せることはさらに当たり前になった。
むしろ「見せる」ことが日常の一部のようにすら見えることもある。
(私はいい歳のおばさんなのでその感覚はわからないけど、少なくとも若い人のカルチャーを見ているとそういうふうに感じることがある)


日常には質感がある。
道路の隅の吹き溜まりにたまった砂埃、街路樹のツツジの枯れかけた花弁、白茶けたり端がほつれたりした店先の幟。
棚の隅の埃、履き古した靴のかかとの形、いつ買ったか覚えのない辣油の瓶。
誰に注目されるわけでもなく、ましてや写真を撮られて共有されるわけでもなく、でも私が確かに視界に入れているそれ。
そういうところにこそ日常の質感があると、私は思っている。
(こういう感覚はもう古いのかもしれないけど)

日常の質感は、画面の中には多分ない。
本当はあるけれど、それはこちらには届かないし、届いたとしてもそれは演出されたものであったり、こちらがそうであるかのように受け取っているだけ。
(見せることそのものが日常になっている場合にそれが質感を持つことがあるのか、それはわからない。たぶんあるのだと思うけど、やっぱり私にはよくわからない)


推しに特異性を感じるのは、ファンならだれも同じだと思う。
「ほかの誰とも違って特別だから好きなのだ」と、そういう理由付けをしばしばする。私もする。

そんなファンの戯言だと自覚した上であえて言うけれど、「おるたな」は特別だ。少なくとも私はそう思っている。

「おるたな」は大した炎上もないのに、その割にはあまり好かれないクリエイターだったと思う。
それにはいくつか理由があるけれど、多分その一つは「にじみ出る さかしさ」だったんじゃないかと思う。

若者や素人の夢の場所、ブルーオーシャンだった時代において、大人の賢しさは嫌われたはずだ。

賢しくないわけがないのだけど。


少なくともあの時代、賢しさを見せることは隙だったはずだ。

けれど隙というのは、隙間を生む。
隙間の向こうには何かがある。
たとえそこに何も見えなかったとしても、何かあると思わせてくれる。

日常を演出したコンテンツの中で、隙がその向こう側の存在をほのめかす。
見えないそこにきっと日常の質感がある。
多分夢中になったのはそこだ。

隙間の向こうを見たいわけじゃない。
そんなのは無粋だし、面白みもない。

質感のないコンテンツの向こうに質感を示唆する、そこに特別を感じて気付いたら6年も推している。

その6年の間に「おるたな」にはいろいろな変化があったけれど、容易には理解できない変化だった。
(しかも万人が納得のいくようなわかりやすい説明があったわけでもない)

変化の意味なんて、だいぶあとになってからじゃないとわからなかったりする。
そこもなんだかとてもリアルだ。

だからこそなんやかんや推し続けているのだと思う。

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