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ジャミリーを名乗ってもいいのかもしれない
Who? が来たぞ!
Miiakiisの新アルバム「Who?」が出ましたね。
「ter in die」「ERROR」と、直近のアルバムでは聴き手に寄り添う姿勢を明確に出してきたMiiakiis。
このタイトルだけ初めて目にしたときは、そこからそろそろ方向転換しようとしているのかと思いました。
「404」みたいな楽曲もあったことですし。
結論から言うと、方向転換というより発展だったなあ、という印象を持ちました。
観察対象、Miiakiis
私個人のことを言いますと、Miiakiisを聴くようになったのはおるたなChannelを推しているからにほかなりません。
TK兄弟と渋谷ジャパンさんの出会い、YouTubeチャンネル「ノージャンク」の開設、TK兄弟のおるたなChannel加入からのMiiakiis結成。
この流れがなければ存在しなかったかも知れないし、少なくとも私自身は知ることがなかったはずのMiiakiisの物語をリアルタイムで追えるのが良くて、ずっと見ているといっても過言ではありません。
どちらかと言えば私は精神状態に影響を受けるがゆえに日常的に音楽を聴くのが苦手で、しかも緊張が強い方なので、作業時には環境音とかヘアブラッシング系のASMRを延々と流しているようなタイプの人間です。
それがなぜMiiakiisは聴けていたかというと、観察の対象だったからです。音楽というより、物語の一断片としてとらえていたからでした。
(初めてライブに参戦して以降は、ライブの雰囲気を思い出すための触媒として聴いていた面もあります。)
「観察対象」と聞くと、冷めた目で見ているという印象があるかもしれませんがそういうわけではありません。
世代のせいか年齢のせいか、あるいは単に私の個人的な特性のせいかもしれませんが、ある時から「ハマる」コンテンツにはそういう態度をとるようになったというだけのことです。
好きになったらその「好き」の理由を、(無駄だと知りながら)探ることが何より楽しいと思うようになりました。理由を知るには観察が必要だというわけです。
クリエイターとファンの関係性も観察対象だった
やがてMiiakiis、特にタイガくんがファンと構築していった濃密な関係性も、観察の対象になりました。それが作品に反映されていたからというのが一番の理由かもしれません。
「Just A Little Bit」「Neverland」「Trauma」「ter in die」「trippin」「ERROR」、Miiakiisは早い段階からファンに直接的に宛てた作品をちょくちょく出していました。
そこで生まれるクリエイターとファンの交感もとても良くて、そういう作品を重ねるごとに構築されるアイデンティティも素敵で。
ちょくちょくライブに参戦して、(こんな超陰の者と)仲良くしてくれるファン仲間もいてくれて、それでもなんとなく私は、自分を「ジャミリー(Miiakiisのファンネーム)」だとあまり思っていませんでした。
これらの作品が、自分へのメッセージだとは思えなかったから。
(再解釈して自分に引き付けて聴く、みたいなことはしていましたが)
自分に対して諦めていること
あんまり自分の内的な話をするのもどうかと思ったんですが、Miiakiisの包容力みたいなものを説明するためにちょっと話させてください。
私は多くの人がふつうにできるようなことがちょっと難しいところがあって、だからと言って突出した何かがあるわけでもなく、自分のことを「人よりちょっとだけできることを頑張ってかき集め、さらに意識的に人間らしく振舞うことで一応ここにいることを許されている人間」だと思っています。
(念のため付け加えておくと、「どんな人間でも存在することを許されている」みたいな話とは別の問題です。)
自身で自身を取り扱うのはそこそこ面倒くさい性質をしているくせに、生きにくさみたいなものをほどほどに世界のせいにできる程度には図々しいです。
そして何より、たぶん「ふつう」を生きることはできないけれど、ちょっと頑張ればそれでもそこそこ快適に生きていける環境にいます。(これはとてもとてもとても幸運なことです。)
たとえば、「ERROR」が自分にあるのはとっくにわかっているし、何ならそれとの付き合い方も少しは知ってるし、外部に肯定されなくても暫定的な処理は済んでいます(いつかまたそれに苦しめられる日が来るかも知れないけどそれは知らん)。だから「ERROR」は私のための曲だとは思っていませんでした。
いま、苦しみの中にいる人のためにこそ作られた曲だと。
それよりは「BASIC」や「404」みたいにビッグマウスな曲を聴いて「推しが頑張ってるし俺もがんばろ」と励まされるほうが、今のメンタリティーには合っている気がします。
(だけどこういう聴き手を煽るタイプの曲の聴き方ってこれで合ってるんでしょうか。HIPHOPを知らなさすぎてよくわかりません。まあいっか)
要は、自分の欠点に苦しめられることが今はあまりないので、そこを包んでもらう必要がなかったというわけです。
「あなたがどんな人でも関係ない」
「Who?」はこれまでのアルバムで一番中に入っている楽曲の幅が広いような気がします。それはMiiakiisの多面性をよく反映しているのかも知れません。人間だれしも、いろいろな面がある。
それをタイトルチューン的な位置づけであろう「Who U Are」が大きく包み込んでいる構成に思えます。「Who U Are」はいろいろな聴き方ができそうだけど、一貫しない人間性だってきっと肯定してくれていることでしょう。
ちなみに私は「Level Up」の個人的でビッグマウスな歌詞に、「俺もがんばろ」という気分を引き出してもらう可能性が高いです。そして「Who U Are」に対して、「肯定する相手の射程をめっちゃ広げた感じがするなあ」などと、ちょっと分析ぶったことを思っています。
いずれも想定されていない聴き方かも知れないけれど、たとえそうでもMiiakiisの作品を楽しむためにそこに集う人を、「I Don't Care Who You Are」と歓迎してくれているようにも見えるのです。
そうであるならば、いろいろズレてそうな私でも、ジャミリーを名乗ることを許されるのかもしれない。
(と言っても、ファンネームを名乗る習慣があんまりないのですが……)
※追記
ちょっと誤解を招きそうだったので補足。
こういうタイトルをつけていますが、その推しが好きで自分が名乗りたければ誰でも名乗れるのが、ファンネームだと思います。
ファンネームを名乗るのを躊躇する気持ちもよくわかるのですが、これも推し活カルチャーの一つだし、楽しんだもの勝ちだと思っています。
この記事の主旨は「ミアキスがファンのために作った曲の射程に初めて入れたっぽいぞ!嬉しい!」「Who U Areにはそれくらい包容力があるよね」であり、ファンネームのことはその象徴として用いたに過ぎません。
軽率に名乗っていきましょ。