世界市場における日本のドラマ制作の可能性について
日本のドラマ制作の可能性は世界市場に向けてかつてないほど開かれている。しかしながらその土台となるストーリーを紡ぐ脚本家の地位と報酬相場はかつてないほど低調で、改善される兆しはない。
日本のドラマの現状について「韓国に20年くらい差をあけられた」という鈴木亮平氏の発言が波紋を広げたのはつい先日のこと。
「何様だよ」と非難を受ける可能性、切り抜かれて誤解を受ける可能性もあった中で、問題提起として意識的に発言されたこと、とても勇気がいることだったと思います。
構造的な問題、作り手たちのミッションの違い、すでにあちこちで様々な角度から考察がなされているが「日本発、オリジナル・ドラマシリーズのショーランナーを目指す」という壮大な目標をブチ上げている人間として、いくつかの提案を含め考えていることを大海に投げてみたい。
まずは「海外でも通用するドラマ・シリーズ制作」というテーマについて、シナリオコンクールの主催者、シナリオスクールの関係者はどう捉えているのか、現時点でどういう総括をしているのか、純粋に聞いてみたいという思いがある。
自分が知る限りでは上記の立場でこのテーマに真正面から向き合って発言しているのはNHKのWDRプロジェクトと、シナリオアカデミアくらいしか思い当たらなかったのだが、もし他にご存知のものがありましたら教えて頂けると嬉しいです。
第3回 海外で通用する連続ドラマを。|ほぼ日刊イトイ新聞 https://1101.com/n/s/keita_hosaka/2022-07-06.html…
シナリオアカデミア|2024後期講座 募集開始
※ちなみに自分自身は上記の個人及び団体とは一切関係はありませんが、その内容とステートメントには強く共感しています。
また、こうしたテーマについて「日本のドラマには日本のドラマの良さがあるんだから無理に海外ドラマの真似をすることはない」と言う意見もあるが、「◯◯には◯◯の良さがー」となると、単なる情緒的な議論で終わってしまうので、ここでは「プロダクト(商品)として国際競争力があるドラマ」という視点で話を進めさせてください。
いきなりですが脚本料の話。
「ションダ・ライムズ 脚本 ギャラ」「キム・ウンスク 脚本 ギャラ」で検索してみると、そこには桁違いの数字が並んでいる。脚本家として成功した場合のケースとしてめちゃくちゃ夢がある。
日本の漫画業界は原稿料の低さが問題になっているものの、まだ「単行本化された際の印税収入」という夢がある。
映画・ドラマの脚本業界はどうだろうか。
日本のドラマ脚本家の収入について、トップランナーの一人である野木亜紀子先生がXで実情をご紹介されていたが、実際に「(プロとしてデビューしたものの)年収100〜200万円が何年も続いた」「時給換算にしたらXXX円に満たず、経済的に行き詰まり断念した」という話はあちこちで耳にする。
脚本家のギャラ事情については「百円の恋」「ブギウギ」の足立紳先生がご自身の経験を交えながら、これ以上ないくらい赤裸々に綴られているのでリンクを貼らせていただきます。
第11回 脚本家のギャラ事情|足立紳
新人が夢を描けない、育たない業界が、その後に大きな発展を遂げたという例はない。
映画やドラマが好きな人は多い。その中で脚本家という職業を知り「自分もその職業に就いてみたい!」という人が多くなるほど層も厚くなり、ストーリーコンテンツ開発の土壌も豊かになる。
だが、その職業の収入面を調べていく過程で、前述のような厳しい情報に触れて 「こりゃ(生活していくには)厳しそうだ...」と思った人も少なくないのではなかろうか。
では自分自身はどう考えていたのか、どういう展望を持ってシナリオコンクールに挑戦していたのかというと、かなり恥ずかしい話ではあるが 「...もしかしたら自分だけは気前のいいプロデューサーに出会って...」 「...もしかしたら自分だけは予算が潤沢なプロジェクトに呼んでもらえて...」 「...もしかしたら二次使用料のパーセンテージもその頃には改訂されて...」 と非常に楽観的に夢想していた(書いてて恥ずかしい)。
「もしかしたら自分だけは死なないんじゃないか?!」というのと何ら変わらない、現実を直視していない、あまり良くない類の妄想だ。
もちろん人によってゴールの設定は違うので「脚本家としてクレジットされること」が自己実現のゴールという人も中にはいるだろうが(そういう人にとって収入はさして重要ではない)、ほとんどの人にとってはそうではないだろう。
叶うことならば己の筆の力で、経済的な成功を手に入れ、豊かになりたいと思っている人が大多数なはずだ。
収入について、あまりに真剣に考えるとテンションが下がるので「この道で本当に食っていけるのか?」という思考に蓋をしている自分のような人間も少なからずいると思う。
足立紳先生は先ほど引用したnoteの文末で「若い人からの搾取をなくし企画開発の待遇を改善するためには、やはりある程度のキャリアのある脚本家たちが団結しなければならないのだろうと思います」と呼びかけてくれているが、正直なところ難しいと思う。
誤解を恐れずに言えば「日本人は団結して、待遇の改善を獲得する」ということが民族としてあまり得意ではない。
1960年代から70年代にかけて労働組合などがストライキなどを行い、一定の成果を上げることが出来たのは、まだ終身雇用制が崩れておらず、参加者のほとんどが正社員で社宅に住む人も多く「運命共同体」という意識が根底にあったからで、現在の非正規、フリーランスにそうした団結を望むのは非常に難しいのではないか、というのが自分の見解だ。
ただ、さすがにそんな夢のない業界はいずれ衰退する。
.......衰退する???? いまかつてないほど、世界市場が目の前に開けているのに????
脚本家の登竜門といえばやはりシナリオコンクールだ。 そして自分はもうシナリオコンクールという挑戦から降りた人間だが、受賞を目指して執筆を続けるシナリオクラスタの方々には勝手に親近感を覚えているし、勝手に同志だと思っている。
大きなコンクールの締切前に「応募完了!」というポストを読むと、「おおおおお俺も(もう出さないけど)がんばらないと!」と励まされるし、背中を押された気分になる。目についたポストに祈るような気持ちで「いいね」を押す。
そして同時に「いま日本中から立ち昇っているこの情熱とエネルギーが果たしてどこに向かって、どこに導かれ、どこに着地するんだろう?」と想像して複雑な思いに駆られる。
漫画「バガボンド」で宮本武蔵が圧倒的な強さを見せる吉岡清十郎との立ち合いを前に、武者震いで体を震わせながら「俺の全てをぶつけさせてくれる器量はあるか?」と荒く息を吐きながら問いかけるシーンがあるのだけど、シナリオコンクールにその器量はあるだろうか。
すべてのシナリオコンクールの傾向を把握しているわけではないが、一部のものについては映像化した際に浮かび上がるであろうコンプライアンスの問題や予算の問題など、それらの"問題の芽"をあらかじめ排除した傾向への収斂、極言すれば「身近な題材 × なんとなくイイ話」というテンプレートに導こうとする意思を感じているのは自分だけだろうか。
「身近な題材 × なんとなくイイ話」にどれだけの国内需要があるのか分からないが、そうした傾向の作品を世界市場で競争力を持たせるまでに仕上げるのは逆に難しいのではないかと思う。
また、脚本家の友人は「日本人はホラーやスリラーを作るのが得意なのに、その受け皿となるコンクールがない。もったいない」と言っていたが、自分もその意見に同意する。
とあるシナリオコンクールの審査員を務められた方が以前に「入賞は完全に運の要素が強い。だから賞取れなくても全然がっかりしないで欲しい」とポストされていて、慰められたような気分になったと同時に「そもそも"コンクール"って別の業界でもそんなに運の要素が強いものなのだろうか?」と不思議に思ったことがある。
また有名な逸話として「Aというコンクールに応募したら一次落ちだったが、同じものをBというコンクールに出したら大賞を獲った」という話があるが、これをどう解釈すればいいのか。
コンクール用の一本を書き上げるにはかなりの労力を要する。それを"運"に委ねるのは正直辛いものがある。
主催者側は何を求めているのか、正確に知りたい。
「脚本開発チームの即戦力人材」を真に求めているのであれば、面談を組み込んだ審査形態も考えられるはずだし、プロットやプロットライターを求めているのであれば、秋田書店が開催しているような「ヤングチャンピオンマンガ原作プロットコンテスト」のような形態も考えられる。
賞金を含めて予算と人員を用意して新人発掘の場を作ってくれるのは非常に素晴らしいことだが、その後のフォローを含め、テーマ、コンクールの選考基準、求めているものをもっと明確にしてほしいとも思うのは自分だけではないはずだが、どうなのだろうか。
自分は昨年の元旦にUSD - Underground Scriptwriter DAOというインディペンデントの脚本開発チームを立ち上げてメンバーを募集し、約三ヶ月かけて企画書と第一話のパイロット脚本をWebのShowcaseにアップし、ご興味を持っていただいた何人かの方と交渉を進めてきたが、契約成立までは至らず、結果を出すことは叶わなかった。
第一期のセールスについてはもちろんまだ諦めてはいないものの、交渉の過程で制作元の抱えるリスクや心情について新たな理解を得ることが出来た。
それは当たり前ではあるが「勝利実績のない、無名の馬に賭ける人間はいない」ということだった。
しかしながら、USDの試みはうまくいかなかったかもしれないが、他にもネットに自作を発表している書き手の中には煌めくような才能とスキルの持ち主が日の目を見ずに埋れており、「その発掘と表に引き上げるシステムを立ち上げることが出来れば、業界全体の利益にもなるのではないか」という思いはずっとあった。
では、どういうシステムであれば売り手と買い手がお互いに満足し、双方の利益を最大化した利益構造を実現できるのか?
こちらが考案した新たな企画の売り込み/企画調達のシステムの提案になります。
売り手と買い手の両サイドにとってWin-Winになることを念頭に考えましたが、制作元の方々、脚本家の方々、双方にお読みいただければ幸いです。
要約すると
・企画開発費を制作元がゼロベースから負担する必要がなく
・買い手はスコッパー(発掘者)の選別を経て、推薦を受けた作品のみを閲覧でき
・書き手はシナリオコンクールの枠に囚われず、時間をかけて考え抜いた作品で勝負を賭け
・低調のまま固定化しつつある脚本料の見直しの契機になり
・制作元は多くの候補の中からオリジナル企画を立ち上げることができ
・世界市場に向けて確信的な作品をセールスし外貨を稼げる
...というものなのですが、このシステムについて自分で作ることも考えましたが、システムの構築費用からしてもはや個人が出来る範疇を超えていました
またこのシステムを作るにあたっては(自分も含めて)誰かがしゃしゃって仕切ろうとしたり、不透明な仕組みの中でマージンをとって誰かが欲をかこうとすると一瞬で双方の信用を失い、瓦解することは目に見えているので、ガイドラインの策定も含めた相互監視システムの設置も必要だと思っております。
また、メリット・デメリットについてもさらなる考察が必要なので、近いうちにこのシステムを実現化するための協議の場としてDiscordサーバーを開設する予定です。 ご興味をお持ちいただいた方はぜひご参加いただければ幸いです。