大人になっても「遊び」が幸せを運んでくれる。
大人になるといつしか”遊ぶ”ということが日常の中になくなっていく。
そして遊ぶことに罪悪感を感じたりもする。
仕事中に遊んではいけない。
家庭があるのに自分ばかり好きな事をして遊んではいけない。
みたいなことを考えてしまう人は少なくない。
なぜだろうか。
▽遊び中心から勉強中心、そして仕事中心へ
子どもの頃は”遊びが中心”だったはずだ。
けれど、中学あたりから”勉強が中心”になっていき、「いつまでも遊んでいないで勉強しなさい」ということを親から言われたりする。
この「いつまでも」というのは、”こんな時間まで”という意味もあれば”中学生になってまで”という意味もある気がする。
この頃から遊びが日常から少しずつなくなっていく気がする。
そして、大人になると”仕事中心”になる。
仕事と遊びは交わらないと思う人が大半で、「仕事は仕事、遊びは遊び」「オンとオフ」なんてことを意識して生活している。
だから大人になってからは、「いい歳なんだから遊んでいないで」なんてことを言われ”遊び”という言葉は否定的なものに聞こえてくる。
▽いくつになっても「遊ぶ」を忘れない大人
けど、いくつになっても遊び続けていたり、常に遊び心を持っている大人がいる。
仕事でも遊んでいるかのように楽しそうにしている大人がいる。
そんな人はなんだか幸せそうだ。
きっと幸せなんだろう。
「幸せを感じている人が成功する」という幸福優位論的に考えると、そのように遊びを続けている人の方が成功している。
先日読んだ本にもこのように書かれていた。
きっと、楽しそうな大人を見た時に「やりたい仕事ができているんだろうな」とか「楽しい仕事なんだろうな」と勘違いしている人が多いと思う。
実際は、どんな仕事も楽しもうと思っているだけで、仕事がデキル人はなんでも「楽しい」に変えることができ、「遊び心」を忘れない人だと思う。
▽楽しそうな人の周りには楽しそうな人がいる
いつも楽しそうにしている人の周りには楽しそうな人がいる。
楽しみたい人が寄ってくる、そんな気がする。
ポジティブが溢れ、物事がスムーズに進んでいく。
逆に、”つまらなそうな人”からは”楽しそうな人”が離れていく。
つまらなそうな人が寄ってきたり、孤独になったりしてしまう。
ネガティブが溢れ、物事が進まなくなっていく。
全ては自分次第なんだと思う。
何かをやるとき。
一人ではできないとき。
”やったら楽しい”が伝わると、自然に仲間が増える。
嫌々やろうとしてると、誰も一緒にやってくれないものなので、”楽しいに変える”を意識して仕事も遊びと同じように楽しんでいきたい。