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「自立」という言葉が"生きづらさ"の根源かもしれない

今日は「自立」という言葉が生きづらさを作っているのかもしれないと思い、色々考えてみた。

自立とは
自分以外の者の助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。
「自立している」というのは、どんな状態を指すかというと、三つの側面があり、経済面、生活面、そして精神面での自立とされています。

「自立」は自分で立つと書きますよね?
言葉からも誰の助けも借りないで、自分一人でやるというイメージが強い気がする。
だけど、経済面、生活面、精神面を誰の助けもなしで生きていける人なんっているのだろうか?

自立という言葉とその教育により困った時に助けを求めるハードルが上がっていく。
そして、逆に誰かが困っていても、周りは手を差し伸べにくい状況を作ってしまっている気がする。

日本語に「余計なお世話」「有難迷惑」「お節介」という言葉があるように、自分でやろうとしているのに、手を差し伸べたら余計なお世話になるんじゃないかという考えが浮かぶ人は少なくないと思う。

困難を乗り越えて自分一人で頑張った!は素晴らしいことだと思う。
けど、それをあまりにも美化し過ぎると生きにくい社会だと感じてしまう人もいるんじゃないかな。

だいたい人間は一人で生きていくなんて事はできない。
生まれた瞬間から、たくさんの人に愛され、支えられて生きてきたはずだ。
人間は生まれてすぐに、親なしでは生きていけないし、動物とは違い、何年も、何十年も独り立ちできるまでかかる生き物である。
そんな長い年月を経て人に支えられる経験をしているのに、なぜ一人で生きようとするのだとうか。

それは「子ども」「大人」という”区切り”があるようにも思えた。
大人の基準をいろいろ調べてみるとやはり「自立」という言葉があった。
・精神的に自立をしている。
・経済的に自立をしている。
大人になるためにそんな事を無意識に求められるのだろう。

では、
自分は一人だけで生きていると感じている人は幸せなのだろうか?

もしかしたらそれは自立より”孤立を強く感じているかもしれない。

本当に自立している人は、困ったときに頼れる人たちが近くにたくさんいる人ではないか。

そんな事を時々考えたりしている。


▽幸福のアウトプット

九州3日間の旅楽しかった。
大雨が心配されたけど、雨に振られることはほとんど無かった。
なんか雨男やめてから、晴れ男になっている気がします。笑


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