#09 小説『メディック!』【第1章】1-8 俺×由良 夢のカケラ
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勇登はドアの前で腕時計を確認した。
喫茶PJ、閉店10分前。
「ギリギリセーフ!」
店のドアを勢いよく開けると、努めて明るくそういった。勇登と目が合うと、ナオは挙げていた手を焦って下ろした。
「何がギリギリセーフよ。もう閉店です」
客のいない店内にナオの声が響いた。
「いいじゃん。少しだけ」
そういってカウンターに座る勇登に、ナオは口を尖らせながら水を出した。
「今日は何よ?」
「ん?」
「知ってた?勇登は私に話があるとき、閉店間際にくるの」
「そうだっけ」
勇登は天井を見た。
「そうよ。で、なあに?」
勇登はここ数日の出来事をナオに話した。ナオはちゃんと聞いてくれると、勇登は知っていたからだった。
「勇登は優しいんだね」
一通り話をきいたナオは、開口一番そういった。思いもよらない言葉に勇登は赤くなった。当然反対されると思っていたのだ。ナオは続けた。
「勇登がお母さんを想う気持ちは嘘じゃないと思う。でも、それってお母さんのこと想ってることになるのかな」
「……どういう意味?」
「つまり、自分のせいで勇登がやりたいことやれてないって知ったら、お母さん悲しいんじゃないかな」
「まあ、……そうかもな」
「お母さんがどう思うかも大切だけど、それより、勇登がどうしたいかのほうが大切なんじゃないかな?勇登の話、ずっとお母さんが主役で、勇登はどこに行っちゃったのかなって思った。お母さんと勇登は別なんだし、お母さんがどう思うとかじゃなくて、そういうこと、全部、全部、取り払って素直な気持ちで考えてみたら?」
「それができればこんなに悩まないよ」
勇登はアイスコーヒーを額につけた。
「じゃあ、仮に、仮によ、家族が全員元気で、問題がなーんにもなくて、どうぞ好きなことして下さいってなったら、勇登はどうしたいの?」
――メディックになりたい。
勇登は心の中で即答していた。でも、言葉には出せなかった。
「なりたいんでしょ」
ナオの言葉に勇登はコクリと頷いた。
「でも、いいのかな」
「いいも悪いも、それが勇登なんだから仕方ないんじゃない?私は勇登が勇登らしく生きれる道を選んだらいいと思う」
「そうかな」
「そうよ。……それにしても、勇登はお母さんのこと大好きなんだね」
「な!」
勇登が顔を真っ赤にして反論しようとすると「別にからかってるわけじゃないから」とナオがなだめるようにいった。
「……まあ、嫌いではないよ」
「素直じゃないね」
ナオは優しい目をしていった。
「だから、勇登の本当の気持ち、私は伝わると思う」
「うん……」
ナオにそういわれ、勇登は大丈夫な気がしてきていた。
「あと、私思ったんだけど、勇登、大学受験のとき、二回も病気になったじゃない?」
「あ?……ああ、そんな事件もあったな」
勇登は目をぱちくりさせて答えた。今の問題のほうが大きすぎて、すっかり忘れていた。
「あれって、勇登の中の本当の気持ちが必死に『こっちじゃない!』って教えてくれてたのかも、って思ったんだけど……」
「……それ、新しいな」
「でしょ!」
ナオはこの日、はじめて笑った。
受験に失敗したときは、情けないわ、恥ずかしいわで、本気で嫌だった。
けど、もしナオのいうとおりだとしたら、今が本当の自分に戻るチャンスなのかもしれない。
逃げずに、今もう一歩踏み込んで、あの事件を正解にしてしまうのだ。
勇登は、すっかり氷が溶けてしまったアイスコーヒーを飲み干した。
そして、「よし」といって勢いよく席を立った。
「帰るの?」
「ああ、ありがとな、ナオ!」
心の底から出た感謝の言葉だった。
帰り際、勇登はドアの隙間から顔だけ出していった。
「お前ってなんか、ばあちゃんみたいだな」
「ばあちゃ……はあっ!?ちょ、待て、こら、勇登!」
ナオの声に押されて、勇登はすでに走り出していた。
*
勇登は家に帰ってシャワーを浴びた。汗と一緒に体の表面に残っていた迷いも流した。
きれいになった勇登は由良の机に座り、もう一度、文集に書かれた歪んだヘリコプターの絵を見つめた。
正直な俺の気持ちは――。
リダイヤルボタンを押した。
「母さん、俺、勇登。俺メディックになるから」
通話がはじまった途端、一息でいった。そうすると決めていた。
由良はしばらく黙ったままだった。聞こえなかったのかもしれない。
心臓の鼓動が高鳴った。
「……あんたが、自分で考えて、そう決めたの?」
「ああ。俺が決めた」
「……そう。勇登が自分で決めたんなら、それは正しいと思う」
由良がどんな顔でそういったのか、わからなかった。でも、後悔はしていなかった。
「頑張んなさい」
あっさりと、しかし力強い口調で由良がいった。
肩の力が一気に抜けた勇登は「あー、反対されるかと思った」と力ない声でいった。
「反対するわけないでしょ。あんたの父さんは、こ、の、わたしが、一番と認めた男で、その男に近づこうっていうんだから」
由良は『この私』を妙に強調した。電話の向こうで胸を張る姿が思い浮かんで、勇登は思わす吹きだしてしまった。
その瞬間、この前見つけたピースが元の場所にぴったりとはまり、心の中にあったパズルが再び完成した。
勇登がメディックという言葉を口にしたのは、実に6年ぶりのことだった――。
つづく(次回2章始動!来週水曜日更新)
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※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織、名称とは一切関係ありません。